春風亭昇太師匠の会長就任は落語界再統一の兆し? | FRIDAYデジタル

春風亭昇太師匠の会長就任は落語界再統一の兆し?

指南役のエンタメのミカタ 第17回

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2016年5月22日、「笑点」の司会が、桂歌丸師匠から春風亭昇太に引き継がれた
2016年5月22日、「笑点」の司会が、桂歌丸師匠から春風亭昇太に引き継がれた

先日、『笑点』(日本テレビ系)の司会でお馴染みの春風亭昇太師匠が、「落語芸術協会」の次期会長に内定したことが複数のメディアで報じられた。6月の役員改選で正式に選ばれる運びだという。

落語芸術協会は、通称「芸協」と呼ばれる。前会長は昨年7月に亡くなられた桂歌丸さんで、現在は会長不在のまま、副会長の――こちらも『笑点』でお馴染みの三遊亭小遊三師匠が会長代行を務めている。だが、新元号に代わるタイミングで若い新会長にバトンタッチしたいと、昇太師匠を推薦したらしい。

え? 『笑点』の司会に続いて、落語のリアル世界でも会長に就いたら、昇太師匠は落語界で無敵になるんじゃないかって?

いえいえ、そう単純な話じゃないんです。

ご存知ない方も多いと思うが――現在、落語界は5つの団体に分かれている。先の芸協以外にも、「落語協会」、「円楽一門会」、「落語立川流」、それに関西の「上方落語協会」がある。言ってしまえば、昇太新会長の威光が及ぶのは、落語界のわずか5分の1に過ぎない。

もともと、東京の噺家たちは皆、同じ団体に所属していた。それが大正12年(1923年)10月――関東大震災の翌月に設立された「東京落語協会」である。震災で壊滅した東京を復興させようと、それまでバラバラに活動していた噺家たちが一致団結したという。これが、現在の「落語協会」(略称・協会)のルーツとなる。

しかし、次第に世の中が安定してくると、人間、我が出てくるもの。東京落語協会に所属する噺家たちの中には、我こそは一旗揚げようと、独立して新団体を立ち上げては、離合集散を繰り返した。

そんな中、NHKのラジオ出演を機に、東京の寄席から一人締め出された柳家金語楼(当時、寄席はラジオで落語を上演されると客足が落ちると、ラジオを敵視していた)の窮地を救おうと、吉本興業が後ろ盾になり、当代人気の噺家・六代目春風亭柳橋と組ませて設立したのが「日本芸術協会」――今日の落語芸術協会、芸協だった。時に昭和5年、1930年10月のことである。

しかし、時代は間もなく戦時へと突入する。物資が不足し、歌舞音曲が規制される中、落語界も例外ではなく、昭和15年(1940年)には、当局の指導で全ての団体・噺家たちは「講談落語協会」に再統一される。

昭和20年(1945年)8月、終戦。講談落語協会は解散し、以前の「東京落語協会」と「日本芸術協会」に再編され、ここに落語界の二大潮流が生まれる。東京落語協会は翌年、「落語協会」と改め、四代目柳家小さんが会長に就任。一方の芸協は、引き続き六代目春風亭柳橋が会長を務めた。

戦後は長らくこの2大潮流の時代が続く。協会の会長はその後、八代目桂文治、八代目桂文楽、五代目古今亭志ん生、六代目三遊亭圓生へと受け継がれ、対する芸協は、実に44年間に渡って柳橋の長期政権が続いた。昭和52年(1977年)には日本芸術協会改め、今日の「落語芸術協会」となる。

2つの団体の違いは、俗に「古典の協会、新作の芸協」と言われるように、主に古典落語の継承に重きを置いたのが落語協会で、新作落語を多く扱ったのが落語芸術協会である。協会には文楽や志ん生、圓生ら古典の権化とも言うべき名人たちが鎮座し、一方の芸協には初代会長春風亭柳橋の弟子の春風亭柳昇を始め、「お婆さんの今輔」こと五代目古今亭今輔、更にその弟子の四代目桂米丸など新作落語で名を馳せた噺家が多かった。

しかし――そんな二大潮流の太平の時代も突如、ある事件で終わりを告げる。昭和53年(1978年)5月、俗に言う「落語協会分裂騒動」である。かねてより、真打の大量昇進に端を発する五代目柳家小さん会長の協会運営に批判的だった前会長の圓生が、自身の一門を始め、月の家圓鏡や古今亭志ん朝ら人気噺家たちを引き連れ脱退、新団体「落語三遊協会」を設立したのである。

だが、事態は圓生の思うようには進まない。当初、新団体への参加を見込んでいた林家三平や立川談志は直前に不参加を表明。更に、東京の4つの落語定席(新宿末廣亭、浅草演芸ホール、鈴本演芸場、池袋演芸場)は、「新団体は10日間の寄席興行は打てない」と、寄席出演を認めない裁定を下した。これを受け、圓鏡と志ん朝は「話が違う」と会を離脱して協会へと戻る。かくして出鼻をくじかれた圓生は失意のまま、翌79年9月、79歳でこの世を去った。

カリスマを失った新団体は崩壊した。圓生一門の弟子たちの多くは圓生未亡人の仲介で協会へと復帰した。だが――亡き師匠を立て、頑なに復帰を拒む者がいた。五代目三遊亭圓楽である。時に昭和55年(1980年)、なんと圓楽は、自身の一門のみで新たに「大日本落語すみれ会」を設立する。今日の「円楽一門会」である。

更に、その3年後の昭和58年(1983年)には、今度は立川談志が落語協会の「真打昇進試験」で自らの弟子2人が不合格となる結果と考査基準に反発。弟子を引き連れ脱退して、新団体「立川流落語会」を創設した。談志は家元制度を確立し、初代家元となる。今日の「落語立川流」である。

かくして、東京の落語界は、以後36年間に渡り、「落語協会」「落語芸術協会」「円楽一門会」「落語立川流」の4団体に分かれたまま、今日へと至る。

ちなみに、関西では昭和32年(1957年)、18人の噺家による発起で「上方落語協会」が設立。これは、今日まで分裂することなく存続している。結果、現在の落語界には、東西5団体が君臨していることになる。

――以上、落語界の近現代史を簡単におさらいしてみたが、驚くべきことに、このコラムの本題はここからである。

冒頭にも書いた、春風亭昇太師匠の「落語芸術協会」次期会長への内定――。ひょっとすると、それが落語界の再統一の機運になるのかもしれないのだ。

現在、落語界は、空前のブームの中にあると言っていい。

21世紀に入って、ドラマ『タイガー&ドラゴン』(TBS系)やNHKの朝ドラ『ちりとてちん』などで落語が扱われたこともあり、若者や女性たちの間で落語ブームが再燃。最近では師匠・立川談志と自らの修業時代を書いたエッセイ『赤めだか』をヒットさせた立川談春師匠が「東京で最もチケットの取りにくい落語家」と呼ばれるなど、一部の噺家たちの高座は人気アーティスト並みの動員力を誇る。今や東京では、月に1000件もの落語関連のイベントが開かれているという。

ところが、そんな落語界を支える環境は意外と脆弱なのだ。定席と呼ばれる東京の寄席は4館しかなく、しかも使える団体は落語協会と落語芸術協会の2つに限られている。僕らが立川談春師匠の高座を新宿末廣亭で見たいと思っても、叶わないのだ。一方で、噺家の数は過去最高で、今や東西合わせておよそ800人。これは同じ伝統芸能の歌舞伎役者の倍以上に当たる。それなのに、市場規模は歌舞伎の150億円に対して、落語界は40億円弱と、実に心もとない。

その差は何か?

――歌舞伎役者は全員が松竹に所属している。その強力なバックアップのもと、各一門が切磋琢磨しながら発展しているのだ。ならば、落語界も再統一し、誰もが定席の寄席に立てるチャンスを有し、その上で各一門が切磋琢磨する環境が作れないだろうか。

そこで、冒頭の昇太師匠の話に戻る。

これは、あくまで仮定の話だが――彼が落語芸術協会の会長になれば、円楽一門会や落語立川流と、芸協が合併する道も開けるかもしれないのだ。

実際、円楽一門会は2010年に一度、六代目三遊亭圓楽から芸協へ合流を申し入れている。この時は総会で否決されたが、昇太会長に代替わりすれば、今度こそ合流の芽はあるかもしれない。何せ、芸協の幹部である昇太師匠も小遊三師匠も、円楽一門会の圓楽師匠も好楽師匠も――皆、『笑点』の仲間なのだ。

更に言えば、落語立川流にとっても、昇太師匠とは距離が近い。何せ、立川流の理事であり、談志の一番弟子である立川志の輔師匠と昇太師匠は入門時期が同期の仲。今でも毎年国内外を旅行して回る大親友であり、落語「六人の会」の仲でもある。

六人の会――2003年に結成された同会は、落語協会から春風亭小朝師匠と9代目林家正蔵師匠が、落語芸術協会から春風亭昇太師匠が、落語立川流から立川志の輔師匠が、上方落語協会から笑福亭鶴瓶師匠が参加する落語界のニューウェーブ。現在は開店休業中だが、気が付けば皆、それぞれの団体の重鎮である。

毎年11月に福岡で開催される「博多・天神落語まつり」というイベントがある。プロデューサーは六代目三遊亭圓楽師匠。東西の人気の噺家たちが所属5団体の垣根を越え、60人強が出演する日本最大の落語の祭典である。圓楽師匠が楽太郎時代の2007年にスタートして、既に12回を数える。福岡で開催する理由を圓楽師匠はこう語る。

「大阪でやったら東の人間が遠慮する。東京だったら上方の人が遠慮する。ちょうどいい場所なんです」

2016年、同祭りが10周年を迎えた際の公開記者会見では、東西5団体の幹部たちが一堂に会した。その中で、上方落語協会に所属する笑福亭鶴瓶師匠はこう切り出した。

「東西とかそんなん関係なく、全部統一したらええなと思いますよ。落語協会とか芸術協会とか、三遊亭とか立川とかそんなん関係なくですね」

――6月、春風亭昇太師匠が落語芸術協会の会長に就任する。もしかしたら、それは落語界が再統一される兆しなのかもしれない。何せ、もう平成の時代ではないのである。

  • 草場滋(くさば・しげる)

    メディアプランナー。「指南役」代表。1998年「フジテレビ・バラエティプランナー大賞」グランプリ。現在、日経エンタテインメント!に「テレビ証券」、日経MJに「CM裏表」ほか連載多数。ホイチョイ・プロダクションズのブレーンも務める。代表作に、テレビ番組「逃走中」(フジテレビ)の企画原案、映画「バブルへGO!」(馬場康夫監督)の原作協力など。主な著書に、『テレビは余命7年』(大和書房)、『「朝ドラ」一人勝ちの法則』(光文社)、『情報は集めるな!」(マガジンハウス)、『「考え方」の考え方』(大和書房)、『キミがこの本を買ったワケ』(扶桑社)、『タイムウォーカー~時間旅行代理店』(ダイヤモンド社)、『幻の1940年計画』(アスペクト)、『買う5秒前』(宣伝会議)、『絶滅企業に学べ!』(大和書房)などがある

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