内田篤人との3144日 密着取材で見えた「戦う男の素顔」

ドイツ、ブラジル、日本と密着してきたジャーナリストが見た内田篤人 文:了戒美子

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鹿島アントラーズでの復帰2シーズン目をスタートさせた内田篤人。今季は小笠原満男からキャプテンの座を引き継ぎ、大きな責任を背負い戦うこととなった。開幕からわずか1ヶ月半ではあるが、既にサポーターと口論したり、相手との激しい接触で額を切って盛大に流血したりと、キャラが変わったと言っても差し支えないような、これまでのイメージを覆す熱い戦いぶりを見せている。

内田のこれまでの歩みについて簡単に振り返ると、06年に鹿島アントラーズに入団。クラブ史上初高卒ルーキーで開幕スタメンを勝ち取る華々しいスタートを飾り、一躍注目選手となった。スマートなルックスから、女性人気も急上昇した。このころは決して口数の多くない、どちらかといえば不愛想という印象を抱かせる若者ではあったが、それもまたべらべら喋る選手よりはミステリアスで素敵と人気の要因でもなった。2010年には22歳で南アフリカW杯メンバーに初選出される。直前まではレギュラーだったが、本大会では控えメンバーに甘んじた。大会直後、ドイツの名門シャルケに移籍。このシャルケで、日本人で過去最高の欧州CL準決勝進出をはたし、ドイツ杯優勝にも貢献した。鹿島時代の人気の若手選手という立ち位置から、一気に日本トップの選手となったわけだ。

この自信や責任が生まれたからなのだろうか、無口な若者という印象は徐々に薄れ、頼もしい兄貴と呼びたくなるような言動が増えた。例えば、だ。シャルケ時代のある試合後、ミックスゾーンと呼ばれる通常の取材をおこなったあとのこと。「この中で、デュッセルドルフ方面の人いる?乗せてくけど」と大勢の記者の前で、自分と同じ方向に移動する同乗者を募ったことがあった。その日、内田を取材していたなかには、内田とたいして親しくない記者もいたし、内田が名前を覚えていないような記者が大半だった。だが、それでも合計5人くらいが試合後で疲労しているはずの内田の運転する車で、デュッセルドルフまで送ってもらうことになった。選手側から声をかけてもらえば記者たちも嬉しいものだし、デュッセルドルフに行かないため同乗できない記者はとても羨ましがった。それまでも、取材現場でも愛される選手だったが、このとき報道陣からの内田への評価は一気に上がったことを記憶している。

また、17年夏、2部のウニオン・ベルリンに移籍した時のこと。急遽組まれた入団発表会見で通訳を務めることができる本職がつかまらず、若い記者がピンチヒッター役を担うことになった。緊張しながら、記者会見に備えるその若い記者に、内田は「通訳代のかわりに」とウニオンのユニフォームを無造作に手渡した。その若い記者は大変喜んだが。ばたばたと会見が終わり内田が去ると「サインもらっとけばよかった」と後悔していた。後日もらおうと言っていたが、どうしたかまではわからない。ただ、内田の気遣いが光った出来事だった。

今、鹿島での闘将とも言いたくなるような熱いパフォーマンスや、「仲間を守らなくてはいけない」と言いサポーターと口論する様子を見ていると、キャプテンに就任したことで急激に内田が変わったようにも見える。だが、ドイツで経験を積み、日本にいた頃とは比べ物にならない注目とプレッシャーを受けるなかで徐々に芽生えた、内田の兄貴感がここに来て現出しているのだなと思う。

内田は、この3月27日に31歳とベテランの域に入ったが、そんな変化を含め、今後もまだまだ興味深い存在であり続けそうだ。

『内田篤人 悲痛と希望の3144日』(了戒美子著:講談社刊)では、知られざる内田篤人の素顔を知ることができる。巻頭にはカラー写真も掲載。

  • 了戒美子

    1975年、埼玉県生まれ。日本女子大学文学部史学科卒。01年よりサッカーの取材を開始し、03年ワールドユース(現・U-20W杯)UAE大会取材をきっかけにライターに転身。サッカーW杯4大会、夏季オリンピック3大会を現地取材。11年3月11日からドイツ・デュッセルドルフ在住

  • 撮影大坪尚人(講談社写真部)

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