北九州監禁殺人事件 前代未聞の「残虐犯行」が明らかになった瞬間

平成を振り返る ノンフィクションライター・小野一光「凶悪事件」の現場から 第1回

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平成には、数多くの「凶悪事件」が発生した。ノンフィクションライター小野一光氏は事件発生時から、それぞれの現場で取材を敢行。猟奇的な大量殺人や身内による犯行など事件の全貌が明らかになるまで何ヶ月もかかるものもあった。この企画では、小野氏の当時の取材メモからいまだからこそ公開できる話題、また時には「事件のその後」についても解説していく。第1回は、「北九州監禁殺人事件」。監禁されていた少女が脱走したことで明るみに出た事件の現場から。

完全黙秘を貫き、逮捕から1週間近くその氏名すら判明しなかった松永太容疑者(当時)

親族同士で殺害を実行させるなどしたとして、最終的に7人への殺人罪を問われることになった”北九州監禁連続殺人事件”。端緒となった事件が起きたときは、これほどまでに死者が多くいる大事件だとは、誰も想像していなかった。

すべては、2002年3月7日午後9時に、当時17歳の広田清美さん(仮名)に対する監禁・傷害容疑で、中年の男女2人が緊急逮捕されたことに始まる。男女はともに完全黙秘を貫いており、身元不詳での逮捕だった。

さらにその日の午後11時には、保護された清美さんの証言をもとに、北九州市小倉北区にあるウイークリーマンションで、4人の男児が保護されている(*警察発表は10日。後にうち2人は夫との離婚を考えていた女性から有料で預かっていた双子であり、もう2人は逮捕された男女の実子だと判明)。

その2カ月前の02年1月、00年に新潟県で発覚した、少女が9年2カ月にわたって監禁された事件の判決が下されたばかりだった。そのため、またもや未成年者の監禁事件ではないかと、一気に注目が集まることになったのである。そうした理由から、地元のメディアに限らず、週刊誌や東京キー局のワイドショーなども取材に殺到した。その際にはフリーランスの私も『FRIDAY』の取材メンバーに組み込まれている。

「名前すら名乗らない被疑者はまれ。よほどの左翼か右翼か」

ある捜査幹部は堅く口を閉ざす2人について、そのように答えていた。また、「拉致」を想像させる犯行内容から、カルト教団のメンバーや北朝鮮の工作員を疑う声もあった。

2人が福岡地検小倉支部に氏名不詳のまま送検されたのは3月9日午後のこと。メディア各社は送検時に被疑者の顔写真を狙うが、スーツ姿の男は頭から白い上着を被っており、乗り込んだ車内でもその状態だったため、どの社も顔は撮影できなかった。後に聞いたことだが、捜査員が衣服を頭からかけたとき、男は「すいません」と口にしていたという。一方で女は「堂々としており、ふてぶてしい表情だった」(捜査関係者)ようだが、顔を撮影できたのはごくわずかなメディアのみ。『FRIDAY』も顔写真を撮り逃していた。

ご存知の通り、『FRIDAY』は写真週刊誌であるため、世間の耳目を集める事件が発生した際に、容疑者の顔写真がその他のメディア以上に必要とされる。だが、送検段階で2人の顔が写った写真は撮れていない。このような場合、記者はたとえそれが学生時代の卒業アルバムといった、過去のものであっても探し出すのだが、男女が氏名不詳であるため、その手がかりすらないという状況だった。

ただし、撮り逃したとはいえ、3月15日に発売される次号(3月29日号)の校了日は3月13日のため、まだ4日の猶予があった。そこで嘉納愛夏とFという2人の女性カメラマンが、女が留置されている警察署を徹底的に張り込むことにしたのである。

その成果が実ったのは張り込みを始めて2日目のこと。3月11日に女らしき人物を乗せた車両が勾留先の警察署から出てきたのだ。嘉納カメラマンは当時を振り返る。

「その車のあとをつけたところ、歯科医院に立ち寄りました。そこで病院の出入口が見える場所で張り込んでいると、やがて女が出てきたので正面から撮影したんです」

他社のカメラマンが誰もいないなかでの、独自の撮影だった。実はこの話には後日談がある。嘉納は続けた。

「うちの写真が出てから、各社があの歯科医院に殺到したということを後で聞きました」

逮捕の4日後、捜査員に連れられ歯科医院に行った緒方容疑者(当時)

福岡県警はこの3月11日に、98人体制の『北九州市小倉北区内における少女特異監禁等事件』捜査本部を設置した。容疑者が逮捕され、殺人が発覚していない段階での捜査本部設置は異例中の異例とのこと。ちなみに逮捕された男女はといえば、男は雑談に応じるようになったが、氏名や事件に関しては男女ともに黙秘が続いていた。また食事については、2人とも残さずに食べていたようだ。

この時点でいくつかの情報が捜査員経由で明かされている。それは、男女が逮捕される前日の3月6日に、清美さんが捜査員に対して、自分の父親は殺されており、男女2人と彼女が父親の遺体を解体したことや、解体された遺体はフェリーから捨てられたと話していたこと。また、3月8日に関係先4カ所を家宅捜索したとき、遺体を解体したというマンションには、異様なほどたくさん芳香剤があったことなどである。

『FRIDAY』の記者は、清美さんの実母に接触し、行方不明になる前の父親と会った際に、顔に激しく殴られた傷があったこと、手の甲にタバコの火傷痕がいくつもあったことなどの証言を得ている。さらに彼女は父親から「もうダメだ。俺はもうすぐ殺されるかも」との発言も聞いていた。

また、3月13日には、捜査本部が男女の氏名について、松永太(40=逮捕時。以下同)と緒方純子(40)であると特定したことから、ギリギリの段階で記事に実名を入れることができた。

いったいなぜ彼らの氏名がわかったのか。それは、家宅捜索の際に緒方の保険証が押収されていたからだ。ただし、そこに記載された住所が変更されていたため、確認に手間取ったのである。また、緒方の身元が判明したことで、松永の身元も特定された。

やがて3月15日には、清美さんの父親・広田由紀夫さん(仮名=当時34)に対する殺人容疑で、関係先への家宅捜索が行われた。ここでようやく2人が殺人に関与している疑いが浮上したのだが、それはまだ氷山の一角に過ぎなかった。元福岡県警担当記者は言う。

「清美さんの証言もあり、緒方の親族6人が行方不明だという話は、かなり早い段階で出ていました。また松永と緒方でいえば、松永の方が先に、調書を取らない雑談のなかで、親族がいなくなったことを認めていたのですが、緒方が完黙を貫いていたため、捜査に進展がみられなかったのです。そのため捜査員は、たぶん親族は亡くなっているだろうと口にはしますが、殺人で立件できるかどうかについては、言葉を濁していました」

捜査本部が緒方の姪である花奈ちゃん(仮名=当時10)殺害容疑で家宅捜索を行ったのは、5月9日から19日にかけてのこと。ただ、それまで松永と緒方の勾留を続けるために、過去に別の女性が被害者となった事件で、2度の再逮捕(4月4日と5月16日)を繰り返している。つまり、それほどまでに捜査は難航していたのだ。

その潮目が変わったのは、逮捕から7カ月半が過ぎた10月23日のこと。松永と緒方の弁護団が異例のコメントを発表したのである。

「緒方容疑者より、自分の意思で『私の家族のこと、松永のことを考えて、事実をありのままお話する気持ちになりました』との申し出がありました」

つまり、緒方が完黙の方針を変え、すべて自供する気になったというのだ。それにより、7人の被害者全員について、殺人事件での立件へと捜査の舵が切られたのだった。

  • 小野一光

    1966年生まれ。福岡県北九州市出身。雑誌編集者、雑誌記者を経てフリーライターに。アフガン内戦や東日本大震災、さまざまな事件現場で取材を行う。主な著書に『新版 家族喰い 尼崎連続変死事件の真相』(文春文庫)、『全告白 後妻業の女: 「近畿連続青酸死事件」筧千佐子が語ったこと』(小学館)、『人殺しの論理 凶悪殺人犯へのインタビュー』 (幻冬舎新書)、『連続殺人犯』(文春文庫)ほか

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