イチローの決定的瞬間! 現役時代ホンネを隠し続けた男の「素顔」 | FRIDAYデジタル

イチローの決定的瞬間! 現役時代ホンネを隠し続けた男の「素顔」

〔完全保存版〕貴重フォト&語録、意外な交遊録、弓子夫人との絆

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最終打席最後の全力疾走

’19年3月。東京ドームでの現役最終打席は遊ゴロに。常に必死のイチローがどこか寂しげな表情
’19年3月。東京ドームでの現役最終打席は遊ゴロに。常に必死のイチローがどこか寂しげな表情

本誌が報じてきたレジェンドの本心

「『人に見られる』というのは大変なことでしょう。これからいろいろな問題が生じるでしょうけど、その時に本当に心を開ける人を見つけることができるのか。これはとても難しいことです」

3月21日に突然引退を発表したマリナーズのイチロー(45)はメジャーに移籍する前年、本誌の取材に対しこう語っていた(’99年5月17日号)。

イチローは現役時代、素顔とホンネを隠し続けてきた。「人に見られる」ことで心を閉ざしていったイチロー。その理由を、恩師で元オリックスの打撃コーチ・新井宏昌氏が語る。

「野球を楽しく感じたのは、自分の才能を見出してくれた仰木彬監督(当時)と出会った’94年ごろまででしょう。以後は、ブレイクして常に注目されるようになった。自分の言動が面白おかしく報じられるため、いつしか人前でホンネを言わなくなっていったんです」

そんなイチローも、本誌には独特の表現でたびたびホンネを吐露(とろ)してきた。多くを語らなくなった理由について「マスコミだけではない。野球に対する周囲との意識のズレも大きい」と話している。

「日本の野球は、もっと夢のあるドラマを提供していかなければファンを失ってしまいます。野球そのものの質を変えなければいけません。もっと上のレベルを目指して真剣にやらないと。でも、一人でそれを主張しても伝わらない。(ホンネを語らないのは)言葉は簡単に倒れてしまうから。行動で見せたいと思っています」(’00年11月3日号)

「上のレベル」にあるメジャー移籍直前には、こう語っていた。

「メジャー挑戦は冒険といえば冒険ですね。もちろん、心に秘めた自信はあります。行くなら当然、レギュラーでやらなければダメでしょう。一方で、メジャーに行きコテンパンにやられてみたい思いもある。そこから学ぶことができるわけですから」(’99年3月26日号)

’00年10月。メジャー移籍直前、オリックスの本拠地・神戸でのシーズン最終戦後に撮影。「日本の野球はもっと上を目指すべき」と語った
’00年10月。メジャー移籍直前、オリックスの本拠地・神戸でのシーズン最終戦後に撮影。「日本の野球はもっと上を目指すべき」と語った

ASKA、木梨…… 有名人たちとも交際

東京・渋谷にある庶民的な焼き鳥店から、フード姿の男性が出てきた。酔っているのか頬を赤らめ、ハイテンションで知人たちに話しかけている。イチローの貴重なオフショットである――。

本誌は、イチローの素顔をたびたび目撃してきた。東京・原宿のブランド店には、黒塗りハイヤーで乗りつけ1時間以上かけてジーンズを選択。歌手のASKAやタレントの木梨憲武らとの高級ふぐ店での会合では、満面の笑みを見せていた。母校・愛工大名電高の元監督・中村豪氏が、イチローの素顔を明かす。

「特に食にうるさい大偏食家です。野菜が大嫌いで、好きなモノは焼き肉。しかも食べるのはタン塩とカルビばかり。高校時代は寮で出された食事はすべて食べなければならないルールだったので、相当苦労していました」

メジャー移籍前年の’99年9月には、父親の鈴木宣之氏へプライベートで地元・愛知県に不動産をプレゼントしている。土地面積約826㎡の大豪邸だ。

「イチロー自身は、この豪邸にほとんど行っていません。愛知に戻っても、ホテル住まい。原因は宣之さんとの不仲です。宣之さんは日本の野球への愛着が強く、息子のメジャー移籍に猛反対していました。その上、イチローの承諾なしに幼少時代の写真を有料で貸し出していた。こうした事態に、イチローは不快感を示していたんです」(スポーツ紙記者)

シアトルでのイチローの生活は、優雅なモノだった。中心部から車で40分ほどの郊外に推定2億円の豪邸を購入し、弓子夫人と住んでいたのだ。

「湖や森に囲まれた静かな環境で、敷地内にはバスケットコートが併設されています。イタリア製の大理石を使ったバスルームや、展望デッキのついた主寝室もあるんです。1階にある木製のワインセラーは、アルコールは赤ワインしか口にしないイチローの特注。弓子さんが料理を作っていたキッチンは、花崗岩でできていました。この豪邸は’09年3月に売却。ロサンゼルスやアリゾナ、ニューヨークにも邸宅を持っているんです」(前出・記者)

後半では、これまで表に出てこなかった弓子夫人との結婚生活を振り返る。

’12年12月。東京・渋谷の焼き鳥店で知人男性らと会食。左手には分厚い本が
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’98年1月。当時からメジャー志望を表明していたイチローは、オフに単身渡米しロスで寿司を堪能
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’14年12月。大魔神・佐々木主浩(かづひろ)の野球殿堂入りパーティで、当時楽天にいた松井稼頭央(かずお)と談笑する
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’17年1月。東京・麻布十番の高級ふぐ店で木梨憲武やASKA、騎手の武豊ら有名人と食事
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’02年11月。東京ドームで行われた日米野球の練習後、東京・原宿のジーンズ店でショッピング
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父親に贈った愛知県内の5億円大豪邸。’00年1月に完成した
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シアトル郊外の自宅。推定価格2億円。建物の床面積は440平方メートル
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語られてこなかった弓子夫人との私生活

「日中は、それぞれ別の仕事をしていました。イチローは野球に専念し、弓子夫人は資産管理会社『IYI』(イチロー、弓子夫人、愛犬『一弓』のイニシャルからつけた社名)や美容院『エンサロン』の経営に携わっていた。ホームゲームの時、イチローは真っ直ぐ家に帰ります。夜は弓子夫人とともに食事をし、夫婦の時間を楽しむためです。ただ自身のプライベート同様、結婚生活について周囲に語ることはほとんどありませんでした」(スポーツ紙記者)

そんなイチローが引退会見で、珍しく「妻と一弓には感謝の思いしかない」と口にしたのだ。スポーツジャーナリストの友成那智氏が語る。

「驚きました。イチローが『妻が2800個のおにぎりを作ってくれた。3000個まで作らせてあげたかった』と具体的な話をするとは……。『妻にはゆっくりしてほしい』と、優しい言葉も述べている。イチローはマリナーズと契約金や年俸の一部を分割して、引退後にもらえる契約をしています。年間5億5000万円ほどです。今後は弓子夫人の資産管理会社に委託し、税金対策などをすることになるのでしょう」

グラウンド内外で、苦難の道を歩んできた天才打者・イチロー。バットを置き、弓子夫人との第二の人生が始まる。

’99年12月。ロスでの挙式を終え帰国後に弓子夫人と記者会見。結婚指輪を披露した
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’08年7月。ニューヨークで行われたオールスターゲームのパレードに夫妻で参加
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’00年12月。マリナーズと3年総額1400万ドル(約15億円)の大型契約を結び帰国
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’14年9月。ニューヨークで開催された、テニスの全米オープン決勝戦を観戦する
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’01年7月。メジャー1年目のシーズン中、地元シアトルでの試合を終え夫婦で寿司店に向かう
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  • 小池義弘(1枚目)、ジジ(2枚目)、神崎龍、島颯太、等々力純生、中井川俊洋、西圭介、原一平、中井川俊洋、Tina Paul/Camera Press/アフロ、日刊スポーツ/アフロ 

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