「街おこしとともに高校ラグビー日本一を」福岡県立浮羽究真館高校 | FRIDAYデジタル

「街おこしとともに高校ラグビー日本一を」福岡県立浮羽究真館高校

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ホームページ用の写真撮影の横でほほ笑む浮羽究真館ラグビー部の吉瀬晋太郎監督
ホームページ用の写真撮影の横でほほ笑む浮羽究真館ラグビー部の吉瀬晋太郎監督

「10年で高校ラグビー日本一」

途方もない目標を掲げたOB監督がいる。吉瀬(きちぜ)晋太郎。福岡の県立、浮羽究真館を率いる。

同校は今年1月、県新人戦で54年の部史上最高の4強入りを果たした。冬の全国大会(花園)優勝6回、歴代4位の東福岡にこそ0-103と敗れたが、吉瀬は就任4年目で大きな足跡を残す。

青年監督は丸刈り。目は修行僧のように鋭い。しかし、笑うと顔は崩れる。

「ベストフォーに入れたのは、地域や学校のみなさんのお蔭です」

行動力のかたまりのような33歳は、チーム強化とうきは市の街おこしを絡める。市には学校と自宅があり、吉瀬自身の出身でもある。根底にはあるのは郷土愛だ。

「市の収入を調べたら、1位が観光を軸にする収入やったんです」

人口3万人ほどのうきはは県の南部、久留米から大分に向かうJR久大本線沿いにある。いちご、ぶどう、なし狩りや旧筑後街道にある旧家群の白壁通り、吉井や筑後川など温泉が観光客を呼んで来る。

そこにラグビーも加えたい。

校内でラグビーグラウンドは2面取れる。県南部の強化を目的にする練成会もここで行われる。対戦希望のチームが増えれば、選手、父兄、OB、一般のファンらが集まる。飲食や宿泊などのお金が地元に落ちる。

「街が活性化して、人が来れば、住人は幸せになることのほうが多いと思うのです」

市へのアプローチは済ませている。4年前、当時の校長に連れられて市役所に市長の髙木典雄を訪ねた。その後、積極的に市の催しに参加する。

観光客の癒しを目的に作られた森林セラピーロードの石などを取り除く整備やチップをまくなどの補修を手伝う。秋の市民運動会では椅子やテントなどの片づけ、部でリレーなどに参加。冬の駅伝大会にも出場する。夏の吉井祇園祭では獅子の張り子を振って盛り上げる。

毎日の出来事や練習は女子マネージャーがブログに書き込み、Twitterと連動させる。ホームページもある。世界とつながる。この4月21日(日)には学校の南側で2回目となる「たんぼラグビー inうきは」が開催される。老若男女問わず4人一組で水を満たした田の中で、楕円球をつなぎ対戦する。初回は市の生涯学習課が音頭をとった。今回も市と市教育委員会は後援に名を連ねる。ラグビー部員は運営協力をする。

市が潤えば、恩恵はラグビー部にも及ぶ。行政の助力があれば、個人やチーム、学校では難しいことも実現可能になってくる。

奈良では県立の御所実が先んじている。全国大会準優勝3回の実業校には毎週のように日本全国からチームが武者修行に訪れる。「ラグビー・タウン」として名をはせた結果、市や県のバックアップもあり、そのグラウンドは人工芝化された。

「ゴセのようになれば…」

以前、吉瀬は話したことがある。

その情熱は周囲にも伝わり始めている。この4月、JR筑後吉井駅近くにラグビー部寮が完成する。学区は福岡と大分全県のため、寮の有無は強化に直結する。後援者が提供してくれ、寮費の中から賃料を払う。

吉瀬は自分磨きも怠らない。2年前の冬、栃木・宇都宮に出向いた。作新学院の硬式野球部監督・小針崇宏に会うためだ。35歳の若さで、2016年の夏の甲子園を制した指導力に感銘を受けた。

「連絡先がわからないので、学校に電話を入れましたが、監督につないでもらえました」

飛び込み、はたけ違い、しかも駆け出しにも関わらず、しっかり遇してもらう。練習視察後は焼き肉やお酒をごちそうになった。

「器の大きさや優しさなどの人間性を学ばせていただきました。優勝監督は違います」

他競技から学ぶのは、選手を勝利に導く最終目標は同じという信念に基づいている。

吉瀬は浮羽(浮羽究真館への統合前校名)から、京都産業大に進んだ。センターとして公式戦に出場した。日本代表プロップの山下裕史(神戸製鋼)は同期だった。卒業後、住宅販売会社に2年弱つとめる。営利企業で働いたことで、観念ではなく、行動に重点を置く傾向が強まる。

3月29日に開幕した高校ラグビーの第20回選抜大会では初出場に向けて、淡い期待を抱いていた。大会には実行委員会推薦枠が東西で2つずつある。選抜高校野球の21世紀枠と同様、勝敗よりもそれまでの実績などを考慮されて選ばれる。

しかし、今回は関西福祉大金光藤蔭(大阪)と大分東明(大分)に決まった。軽く落ち込んだ時、妻・友香に言われた。

「東福岡を倒して出たらいいだけでしょう」

学生時代、京都で出会った女子は、うきはに嫁ぎ、三児の母になっている。

「そやなあ、って思いました」

ジャイアントと称される東福岡との点差は103。これを縮め、ひっくり返すのは至難の業だ。しかし、吉瀬は無名に近いチームを4年で東福岡と対戦できる位置まで引き上げた。

現在の男子の部員数は35(新3年=20、新2年=9)。入学式前の段階で1年は11人の入部が決まっている。人数は吉瀬の赴任以来最多。3チームは組めるようになる。

「あと10人か20人くらいには入ってもらいたいと思っています」

街おこしとチーム強化。その融合を極め、近い将来、満願を成就したい。

  • 取材・写真・文鎮勝也

    (しずめかつや)1966年(昭和41)年生まれ。大阪府吹田市出身。スポーツライター。大阪府立摂津高校、立命館大学産業社会学部を卒業。デイリースポーツ、スポーツニッポン新聞社で整理、取材記者を経験する。スポーツ紙記者時代は主にアマ、プロ野球とラグビーを担当

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