2019年が舞台の「名作映画」 あえていま見て、答え合わせ!
『2001年宇宙の旅』(1968年公開)や『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART 2』(1989年公開)など、「ちょっと先の未来」を描き、多くのファンを魅了してきた近未来SF映画の数々。その人気は、公開時だけでなく舞台となった年が実際に訪れる度に、映画ファンたちはこぞって劇中の世界と現代とを比較し、さまざまな考察や“答え合わせ”をして作品をもう一度楽しんできた。
そして、今年は、2019年の未来を舞台にした映画の答え合わせができる年。1982年公開の『ブレードランナー』、1988年の『AKIRA』、2010年の『デイブレイカー』の3本はすべて2019年を舞台にした映画だ。
なにか新しい発見があるかもしれないと、改めてこれらの作品を鑑賞してみた。
やっぱり金田バイクがカッコいい『AKIRA』
2019年のネオ東京が舞台。こちらは、2020年のオリンピック・パラリンピックの東京開催が決まった際にも話題となった作品。作中でも翌年2020年に東京オリンピックが開催されるという設定で、建設途中のメイン会場で激しい戦いが繰り広げられる。そして、現在ではまさに東京の新国立競技場が建設中。近くに立ち寄った際は「ここで軍事衛星兵器が使用されたのか……」と思いをはせるのも一興だ。
物語は、1988年の第三次世界大戦で一度壊滅した東京が復興した後の世界。国家機密「アキラ」をめぐり、軍、ゲリラ、暴走族の少年たち、科学実験によって生み出された超能力者らが入り乱れ、争いが巻き起こる。舞台となる2019年のネオ東京は、高層ビルが建ち並び、『ブレードランナー』同様に雑多な街並みが描かれている。
その街中を疾走する主人公・金田のバイクは、作品のアイコンにもなっているマシンだ。この映画をリアルタイムで見ていた世代にとっては憧れのバイクであり、2000年初頭の“ビッグスクーターブーム”から約20年経った現在、ビッグスクーターのフォルムが年々、この金田のバイクに近づいている観さえある(今、第一線で活躍しているであろうバイクのデザイナーの年代が、この世代だからではないかとにらんでいる)。ただし、金田バイクは二輪駆動でバックもできる優れもの。この機能が必要かどうかは別として、憧れのバイクに乗れる日はまだまだ遠いようだ。
さて、こちらの世界観は、SFにありがちな監視社会、支配的な社会ではなく、民主主義的で文明も現在と変わらない印象。しかし、一般人の多くが社会的繁栄を享受する一方で、反政府ゲリラや強大な力を持つ都市伝説的な存在「アキラ」の登場を待ち望む市民たちも登場する。また、主人公の金田や彼の暴走族仲間たちのように、学校や社会になじめず、それでも社会の枠組みの端っこで泥臭く生き抜いていく少年たちも描かれる。
物質的に豊かになり、社会に迎合すれば不自由なく暮らせる世の中で感じる息苦しさや生きづらさ。格差社会が叫ばれている現代日本の病巣は作品が作られた30年前からあり、現代まで変わっていないのかもしれない。
ハリソン・フォードがインバウンドに見える『ブレードランナー』
1982年公開の映画で、2017年にはそのさらに30年後を舞台にした続編『ブレードランナー2049』も公開されている作品。第1作の舞台は2019年のロサンゼルス。宇宙の植民地での労働や戦争用に人造人間・レプリカントが開発されていたが、数年経つと感情を持ち始めることが分かったため、寿命を4年に限定するようになった。それに気づき、延命するために開発者のもとへ向かう反逆レプリカントをブレードランナーが追うというストーリーだ。
さて、作中の地球はというと超高層ビルが乱立し、街では怪しい日本語が飛び交っており、雑多でにぎやかな雰囲気。ハリソン・フォード演じる主人公・デッカードが屋台のような店でうどんをすするシーンは、なんとなく東京・新宿のしょんべん横丁にいる外国人観光客のようだ。
レプリカントたちは宇宙の植民地で過酷な労働をさせられていて、たびたび脱走をしては人間社会に紛れ込んでいる。本作で登場する脱走レプリカントも、そんな宇宙の植民地からはるばる地球にやってくる。映画の公開から37年後の現代、ようやく個人の宇宙旅行が話題となっているものの、宇宙への旅の実現はまだまだ先になりそうだ。
また、環境破壊のため酸性雨が降り続けているという設定もあり、映画の中のシーンはいつも雨。ここで興味深いのは、みんな現代と変わらない傘をさしているという点だ。37年前のクリエイターも未来型の傘を創造できず、現代も傘は昔のまま。ちなみに作中に登場する車のワイパーも変わらない。「傘とワイパーはすでに最終形が完成している」という説を『ブレードランナー』が裏付けたのではないだろうか。
血液不足に悩む吸血鬼の日常を描く『デイブレイカー』
3本目は変わりダネ。2010年公開のヴァンパイア映画で「2019年、ヴァンパイアウィルスにより人類の95%がヴァンパイアとなり、人間のときと変わらない営みを続けている世界」が舞台。2009年に突如発生したヴァンパイアウィルスに人類が次々と感染、残された人類たちはヴァンパイアに血を提供するためだけの存在となり、生存者は残りわずか。そこで「人間が減って血液の供給が間に合わない、困った!」というのがこの映画の始まりだ。
2010年の作品なので街や風景の描写は現代とさほど変わらない。それだけに、その異質な舞台設定がより際立つし、血を飲む以外は人間となんら変わらない暮らしをしているヴァンパイアが、なんだか愛らしい。地下鉄のホームにある血液スタンドでは美人ヴァンパイア店員が血液ドリンクを売っているし、ヴァンパイアが乗る車は昼間の走行中は遮光できる仕様になっていたりする。ヴァンパイア同士のカーチェイスや、狂暴化したヴァンパイアとまともなヴァンパイアのバトルなども見どころだ。
作品の世界では、ヴァンパイアになっても血さえ飲んでいれば人間のときと変わらないまま社会生活が送れることになっている。そのため「人間が激減して必要な血液が不足する」というジレンマに頭を悩ませるヴァンパイアたち。現代社会に生きる我々も、物質的豊かさや快適さを求めるがあまり、大切な資源を犠牲にしていないだろうか……という問題提起をしようと試みたが、この映画を語るうえでは野暮なので、とにかく登場するヴァンパイアたちがそれぞれ個性的でとてもよいです!ということをお伝えして終わりたい。
- 取材・文:高橋ダイスケ