久留米看護師連続保険金殺人事件 主犯が探偵に依頼した調査内容 | FRIDAYデジタル

久留米看護師連続保険金殺人事件 主犯が探偵に依頼した調査内容

平成を振り返る ノンフィクションライター・小野一光「凶悪事件」の現場から 第3回

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福岡県久留米市で起きた看護師4人による連続保険金殺人事件。絶対的な力関係で看護学校時代の元同級生たちを従わせ、犯行にいたった吉田純子(16年に死刑執行)。彼女は犯行発覚直前に探偵社にとある調査を依頼していたという。現場で取材していたノンフィクションライター小野一光氏が、当時の取材メモからいまだから公開できる話題をお届けする。

2002年6月、平井さん(仮名)が殺害されたマンションで行われた現場検証に立ち会った吉田被告(当時)
2002年6月、平井さん(仮名)が殺害されたマンションで行われた現場検証に立ち会った吉田被告(当時)

2002年4月に福岡県久留米市の看護師4人が逮捕された”久留米看護師連続保険金殺人事件”。看護師が医療知識を使って夫を殺害したことで話題を集めたこの事件では、2件の殺人罪と、1件の強盗殺人未遂罪、さらには詐欺罪などが問われることになった。

その後の結果からいえば、主犯の吉田純子(45=一審判決時、以下同)には死刑(16年3月に執行)、堤美由紀(44)には無期懲役(求刑死刑)、石田真弓(仮名=46)には懲役17年(求刑無期懲役)の判決が下っている。また、池上和子(死亡時43)は判決前に病死し、公訴棄却となった(求刑死刑)。

同事件では全員に「吉田様」と呼ばせていた吉田が犯行を主導し、池上の夫・平井陽司さん(仮名=死亡時39)を98年1月に、続いて石田の夫・久田健さん(仮名=死亡時44)を99年3月に殺害している。その後、良心の呵責に耐えられなくなった石田が警察に自首したことで犯行が発覚。4人の逮捕に繋がったというのが一連の流れだ。

吉田を含む、犯人グループ4人は同じ看護学校の同窓生だった
吉田を含む、犯人グループ4人は同じ看護学校の同窓生だった

初公判が始まる直前の02年8月、『FRIDAY』編集部にとある情報が寄せられた。それは逮捕前の吉田が、石田に貸した2000万円を取り戻して欲しいと、探偵社に依頼していたというもの。その際に、全員が同じマンションで暮らす生活から逃げ出し、実家に戻っていた石田が警察に駆け込むことを危惧した吉田が、行動確認も依頼していたとの内容だった。

ちなみに、探偵への依頼については、4人の逮捕後に家宅捜索をしたところ、吉田の部屋から成功報酬600万円の領収書が出てきたことで発覚したという。そのため依頼を受けた探偵社のA氏は、警察での事情聴取を幾度も受けているとのことだった。

そこで私は、同探偵社の調査員A氏に連絡を入れ、こちらが詳しい事情を把握していることを説明。A氏を説得して取材の許可を得た。以下、A氏は語る。

「事件がテレビや新聞で報道されるまでは、私が仕事として依頼を受けた人物たちが、このような事件を起こしていることは、まったく知りませんでした。まさに”寝耳に水”な出来事。たしかに警察からの事情聴取は受けました。当初は私が事件に関与したのではないかとの疑いを持たれましたが、すべての流れを話していくうちに、わかっていただけたようです。次第に捜査員の質問は犯人たちの力関係についてが中心になっていました」

A氏の探偵社に「松本」を名乗る女性から電話がかかってきたのは、4人が逮捕される約半年前の01年9月末か10月頭のこと。後にこの「松本」は池上の使う偽名であったことが判明している(以下、池上と記載)。

「池上は『私の知人がある女性にお金を貸したが、戻ってこない』と切り出し、騙されたんだとか、なんだかんだと言いました。しかし、電話では要領を得ず、何が言いたいのかがわからなかった。そこで、できれば直接本人とお会いして話を伺いたいと答えました」

それから数日後、A氏に池上から電話があり、吉田の住む部屋に呼び出された。これも後にわかることだが、じつはこの部屋は吉田の部屋ではなく、堤の部屋だった。

堤美由紀(左)は、2010年最高裁で無期懲役が確定。池上和子(右)は一審で死刑が求刑されていたが判決前に病死した
堤美由紀(左)は、2010年最高裁で無期懲役が確定。池上和子(右)は一審で死刑が求刑されていたが判決前に病死した

「室内の家具などはごく普通のもので、わりと整理整頓されていました。そこにいたのは吉田と池上の二人で、吉田は白っぽいブラウスと長いスカート姿、池上はたしかジャージを着ていたと思います。それ以降に会ったときも、二人はだいたいそんなイメージの服装でした。吉田はまず石田の名前を出し、彼女とは同じ学校で何十年来の付き合いであること、彼女の夫は99年に死亡したが、彼には多額の借金があり、女性関係が複雑だったと説明しています。要はその夫の借金の返済のために泣きつかれたので、2000万円を貸したのだということを言っていました」

そこで吉田は迫真の演技を見せたとA氏は語る。

「私もこういう商売をやっているため、人を観察するクセがついているのですが、そのときは吉田の言うことを100%信じてしまいました。というのも彼女は涙ながらに話をするのですが、その涙がどう見ても本物なのです。ぬぐうことをせずにそのまま涙をポロポロ流すという泣き方でした。吉田が涙を流したのは、昔から仲の良かった石田に裏切られたというくだりです。現在はいくら電話をかけても本人が出ないと話し、『なんで私がそこまでされないかんとね』と言ってました」

その場で吉田から、石田が久留米市内で飲食店をやっている女性に書いたという紙を見せられたそうだ。

「そこには『抹殺誓約書』と書かれており、石田が夫を殺しますと誓約している内容の手書きの文章で、署名捺印がされていました。私も詳しいことは憶えてないのですが、気持ち悪いのは文章の一番最後に『抹殺日』との記述があり、それがたしか石田の夫が亡くなった日だったのです。吉田は『たぶん(石田は夫殺害を)やったんやないか。私も看護婦をやっとるんで』や『階段から突き落としたんじゃなかろうか』といった話をしていました。ただ、正直言ってそういう話にはかかわりたくないので、聞き流していたんです。我々としては吉田が石田に貸した2000万円を取り戻す方法について相談されているわけで、本件については関係ないとの認識でした」

じつは吉田は石田に対して、この『抹殺誓約書』をばらまくと脅しをかけていた。それを知らない探偵社が、吉田と正式に契約を結んだのは01年10月のこと。

「そこで契約として結んだ調査依頼内容は3点です。まずは石田に関する身辺調査。これは今後交渉する相手を知るという目的から行いました。2番目は石田から謝罪文を得るための調査。これは『これまでのひどい仕打ちに対する本人が書いた謝罪文が欲しい』という吉田からの要望があり、加えたものです。それから3番目、これがメインなのですが、石田との間に結んだ(土地売買)契約を解除して2千万円の現金を取り戻すか、もしくはそれに相当する額の担保を押さえるために有効な手段の調査を行うというものでした」

A氏は法律の専門家であるブレーンを交えて法律的手段を取り、02年2月頭には謝罪文を除いて、依頼はすべて解決するという段階にまできた。また石田の行動調査では、とくに怪しい行動はなかった。すると吉田が急に難癖をつけ始めたのだという。

「最初は私のブレーンに対するクレーム、続いて私に対してのクレームが入りました。要はお金を払いたくなかったのだと思います。これまでとは180度違う態度でした。吉田は人のことを我がことのように心配する『天使みたいな人』だと思ってたんです。それがもう、形相が変わって汚い言葉で人をののしる『悪魔』に変わった。とにかく驚きました」

そこでA氏が法的措置をとると申し出たところ、後日池上からブレーンに連絡が入り、3月初旬に残金が振り込まれたのである。その直前、池上からブレーンに対して「最近の石田の行動調査をして欲しい」との連絡があり、残金が支払われるならと、A氏は3月中旬に2日間だけ石田の行動調査を行った。

「そのとき、石田の家に私服の刑事が出入りするのが確認されています。私がそのことを池上に報告すると、彼女は『本当ですか』とだけ口にして、電話を切りました」

それは逮捕へのカウントダウンを意味する。吉田、堤、池上は、逮捕前に自身の破滅が迫っていることを、意識していたのである。

石田真弓(仮名)の自宅を張り込んだときの状況を説明する探偵社のA氏
石田真弓(仮名)の自宅を張り込んだときの状況を説明する探偵社のA氏
  • 取材・文小野一光

    1966年生まれ。福岡県北九州市出身。雑誌編集者、雑誌記者を経てフリーライターに。アフガン内戦や東日本大震災、さまざまな事件現場で取材を行う。主な著書に『新版 家族喰い 尼崎連続変死事件の真相』(文春文庫)、『全告白 後妻業の女: 「近畿連続青酸死事件」筧千佐子が語ったこと』(小学館)、『人殺しの論理 凶悪殺人犯へのインタビュー』 (幻冬舎新書)、『連続殺人犯』(文春文庫)ほか

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