“奇跡の50歳”森高千里が「1度も水着姿を披露しなかった」理由
4月11日に50歳の誕生日を迎えた森高千里は翌12日、NHK『あさイチ』に生出演したのだが、とてもアラフィフとは思えないその容姿に、視聴者から称賛のメッセージが多数寄せられていた。
森高といえばミニスカートがトレードマーク。この日は、アイドル時代のミュージックビデオで見られたような極短ミニスカート姿ではなかったが、美脚は健在ということがはっきりと見て取れた。番組では生歌も披露し、アイドル時代とほとんど変わらないスタイルと歌声に、SNSでも、
「こんな細い脚でミニスカ履ける50歳2児の母とかありえない」
「『私がオバサンになっても』を歌ってた人が一向にオバサンにならないですね」
「森高千里50歳って信じられない。綺麗すぎる」
など、驚嘆の声があふれていた。
1月26日からは実に21年ぶりとなる全国ツアーがスタートを切っている。12月まで36か所37公演を行う予定だ。
「初日のステージでも膝上15センチのミニスカ姿で、デビュー曲『NEW SEASON』や『私がオバさんになっても』などヒット曲を含めて20曲近くを披露。満員の会場は超盛り上がっていましたね。スカート丈は長くなったように見えましたが、実は昔と変わっていないという話です」(スポーツ紙記者)
森高は、アイドル歌手が数少なくアイドル冬の時代と言われた90年代を代表する歌手だ。だが、それまでのアイドルと大きく異なるところがあった。
それは、彼女は公には1度も水着姿を披露していないのだ。
当時のアイドルは必ずと言っていいほど、水着で仕事をすることがあった。
雑誌のグラビアには毎週のように、アイドルの水着写真が掲載され、テレビでは定期的に“アイドル水泳大会”や“水着で大運動会”といった番組が放送されていた。
榊原郁恵や河合奈保子、柏原芳恵が出演するときは、テレビ画面にくぎ付けになったものだ。松田聖子も斉藤由貴も三田寛子も中森明菜もみんな水着で、画面いっぱいに健康的な肢体を披露していた。
しかし、グラビアでもテレビでも森高の水着姿は見ることはなかった。唯一現存しているのは、オーディション時の写真。いわゆる“お宝写真”のみだ。
四半世紀ほど前のこと、彼女が休暇でハワイに行ったという情報を入手したデスクから、「水着姿を撮ってこい」という指令が。
《ハワイに行ったなら、絶対水着でプールやビーチにいるはず》
という発想が陳腐な気はしたが、とりあえず私はハワイに向かった。だが情報は“ハワイに行った”というだけで、どのホテルに宿泊しているなどの情報は一切なかった。現地に着いて、日本人が宿泊しそうなホテルをしらみつぶしにチェック。訪れそうなビーチもくまなく探したが、彼女を発見することはできなかった。
そこまでしても手に入れたいほど、彼女の水着写真は貴重なものだったのだ。
なぜ、彼女の水着写真が存在しないのか?
一昨年、デビュー30周年を迎えた彼女が、出演したテレビ番組の中でその理由を語っていた。
当時事務所サイドは、アイドルではなく、あくまでアーティストとして売り出したいと考えていたようだが、
《グラビアというか、写真誌のこういうのがあるんですけどっていうお話をすごくいっぱいいただいて》
と、雑誌や写真誌からグラビアのオファーが殺到していたことを明かしている。だが、彼女は、そういう仕事に抵抗があり、
《特に水着とかは。絶対やりたくない》
と断固拒否したのだという。
そして書き上げたのが、’89年にリリースされたアルバム『非実力派宣言』に収録されている楽曲『はだかにはならない』の歌詞だった。この詞を書けば、水着グラビアなどの仕事をしなくても良いだろうとの狙いがあったのだそうだ。
かつて彼女のグラビアを企画したことのある雑誌編集者はこう語る。
「昔と変わらぬ姿を目にして、再び“水着姿を見たい”という気持ちが強くなりました。おそらくファンも同じじゃないでしょうか。写真集のプランも出ているようですが、水着ショットが1枚でもあれば大ヒット間違いないでしょう」
やはり“オバさん”になっても、“森高の水着姿”は永遠のターゲットなのだ。
文:佐々木博之
芸能ジャーナリスト。宮城県仙台市出身。31歳の時にFRIDAYの取材記者になる。FRIDAY時代には数々のスクープを報じ、その後も週刊誌を中心に活躍。最近は、コメンテーターとしてもテレビやラジオに出演中