福岡一家4人殺人事件 中国現地取材でわかった犯人の素顔

平成を振り返る ノンフィクションライター・小野一光「凶悪事件」の現場から 第4回

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福岡市で2002年に発生した福岡一家4人殺人事件。残忍な犯行を起こしたのは日本に留学していた中国人3人だった。ノンフィクションライター小野一光氏は、犯行後中国に帰国していた楊寧と王亮の取材のため吉林省長春へ飛んだ。そこで明らかになった彼らの素顔とは。

犯行後中国に帰国した留学生の楊寧(左)と王亮(右)

2003年6月20日、福岡県福岡市にある博多港で、家族4人の遺体が次々と発見された。すぐに被害者は同市に住む安田次郎さん(仮名=死亡時41、以下同)と妻・千恵さん(40)、長男・陸くん(11)、長女・萌ちゃん(8)だと判明する。

この”福岡一家4人殺人事件”では、犯行から間もなく中国に出国した、元日本語学校生・王亮(犯行時21、以下同)と元私立大学留学生・楊寧(23)が中国国内で、さらに元専門学校留学生の魏巍(23)が福岡市内で逮捕された。

中国人留学生がカネ目当てで一般家庭に忍び込み、結果的に家族4人全員を殺害して死体を遺棄するという衝撃的な事件の発生を受け、私も『FRIDAY』取材班の一員に加わった。

当初は怨恨絡みではないかと見られていたこの事件が大きく動いたのは、発生から1カ月以上を経た7月下旬のこと。6月18日に安田家から近い福岡市東区内の量販店で、犯行に使われたのと同種の手錠やダンベルを購入していた男が特定されたのだ。当時の福岡県警担当記者は語る。

「防犯カメラに写っていた王亮は、中国・吉林省出身で、02年4月に来日し、福岡市内の日本語学校に通っていました。しかし、03年5月15日に学校を除籍になり、6月24日に福岡空港から上海行きの飛行機に乗って帰国しています。また、同じく吉林省出身で王と同居していた、北九州市内の私立大学に留学する楊寧も、出国して行方がわからなくなっています。2人が住んでいた福岡市東区のアパートの部屋は、7月下旬に殺人と死体遺棄の疑いで家宅捜索されましたが、テレビやベッドなどの荷物は残されたままになっており、量販店で手錠などを購入した際に着ていたとみられるTシャツが押収されています」

同年9月、王亮と楊寧の中国にある実家の住所を入手した私は、まず遼寧省の瀋陽へと飛んだ。続いて列車を使って吉林省の長春へと向かう。アポイントメントはない。日本での取材と同じく、事前に電話をかけて拒絶されることを懸念し、直接の訪問に踏み切ったのである。

長春で現地の通訳と合流した私は、最初に楊寧の実家を目指した。辿り着いたのは古びた6階建の団地。住人への聞き込みを行って特定した部屋の扉を叩く。姿を現したのは、角ばった輪郭で眉毛の濃い中年男性だった。これまで真面目に生きてきたことが伝わる、実直そうな顔立ち。事前に日本で入手していた楊の顔写真に似ていることから、彼の父親だと確信した。

私は通訳を介して、自分が日本から取材に来たこと、事件を起こした息子についての話がしたいことを伝える。

「なにも話すことはない」

父親は明らかに不機嫌そうな表情で言った。彼が怒っていることは、訳されなくても理解できる。私は通訳に、突然訪ねた非礼をお許し下さいと伝えてもらう。さらに、私は日本でこの事件の取材をずっと続けているので、知りたいことがあれば、自分のわかる範囲ならば、答えられる旨の言葉を続けてもらった。

「できれば、話したくない」

「もちろん、そのお気持ちはわかります。ただ、本当はどのような息子さんだったのか、それを伝えることで、世間の誤解や思い込みを正すことができると思うのですが」

言葉を重ねていくうちに、父親の表情に軟化の兆しが見える。私はさらに頭を下げ、事実を聞かせてもらえないかと繰り返す。

「わかった。家に上がりなさい」

5分ほどのやり取りを経て、父親は私たちを家のなかに入れてくれたのだった。

室内にはわずかな家具しかなく、質素な生活であることが窺える。腕組みする父親と、不安気な表情を浮かべる母親とは、居間のテーブル越しに向き合った。父親が切り出す。

「まずは中国人として、日本の被害者のご家族に対して、非常に申し訳なく思っています。息子が起こした事件については、記者からの連絡で知りました。それはもう、大変驚きました。ただ、いま息子が行方不明なため、真実がどうであるかがわからず、ちゃんとお話しできないことが残念でなりません」

後に判明することだが、私が話を聞きに行った時点で、楊はすでに身柄を中国の公安当局に拘束されていた。ただ、それは実家には知らされず、公表もされていなかった。

「息子が留学したのは、日本の進んだ技術を勉強するためです。それが息子にとっての鍛錬になると思っていました。中国に帰ってからいい仕事をしてほしいと期待していました。私は月収1000元(約1万6000円=当時、以下同)しかもらっていない建設会社の社員です。しかし留学には10数万元(160万円以上)かかります。息子のために親戚に多額の借金をし、私の一生を賭ける思いで日本に送り出しました」

そう口にすると父親はため息をついた。彼によれば、学生時代の楊は1度も悪いことをしたことがなかったという。

「子供のころから厳しくしつけ、素直で優しい息子に育っていました。おいしい食べ物があれば残してお母さんに食べさせますし、無駄遣いもしません……」

そこで父親が見せてくれたのは、楊が日本から帰国したときお土産にくれたという、野菜の皮を剝くピーラーと油差し、猫の絵が描かれたベルだった。

「安いものですが、里帰りのときは必ず親戚や家族にお土産を買ってきてくれました。こちらも節約して、美味しい物を食べなくても、息子に仕送りしようと考えていました。これは世界中の親はみんな同じ気持ちのはずです。こんなに一所懸命な思いでおカネを出して、勉強をさせて、そんな子供が悪いことをするはずがないと信じたいです……」

そう口にする父親の目には涙が浮かんでいた。彼の心情は痛いほどわかる。息子が事件に関わっているとの話を聞き、隣に座る母親は心臓の病を2回発症し、通院したそうだ。

「でも、日本の被害者の家族はもっと悲しいだろうと思っています。もし息子が事件に関わっていたとしたら、私はこちらの家族を代表して、大変申し訳ないことをしたと謝りたいです」

日本への留学にあたり、父親は楊に3つのことを告げたと語る。

「いくら生活が大変でも辛抱すること。よく勉強をすること。そしてもう1つは、日本の法律をきちんと守ること。この3つの約束に息子はうなずいて出て行きました。もし真実がわかり、本当に息子が事件に関わっていたとしたら、厳しい処分も納得します。死刑になっても仕方がないと思っています。ただ、親として、最後まで自分の子供のことは信じていたいのです……」

楊寧が買ってきたお土産を見せながら話す両親。手は母親。

両親の沈痛な表情を胸に残しつつ、続いて私は、王亮の実家があるという住所を目指した。レンガ造りの低層住宅が並ぶ一角の古い家。だが、そこには誰もいなかった。いくら呼びかけても人のいる気配がない。

取材を諦めた私は、王が日本語学校に提出した書類に書かれている、中国で通っていたという学校に立ち寄り、在籍確認を行った。後日、日本に戻った私に、通訳から学校の回答書がFAXで届いた。その余白部分に通訳が日本語で説明を書き加えている。

〈小野様:上記の証明は、王亮はこの学校の履歴はにせ物で、実際この学校の卒業生ではありません〉

慌てて通訳に国際電話をかけたが、彼もそれ以上のことはわからないとの返答だった。中国で逮捕された2人のうち、王亮については、謎が残る結末だったのである。

  • 取材・文小野一光

    1966年生まれ。福岡県北九州市出身。雑誌編集者、雑誌記者を経てフリーライターに。アフガン内戦や東日本大震災、さまざまな事件現場で取材を行う。主な著書に『新装 家族喰い 尼崎連続変死事件の真相』(文春新書)、『全告白 後妻業の女: 「近畿連続青酸死事件」筧千佐子が語ったこと』(小学館)、『人殺しの論理 凶悪殺人犯へのインタビュー』 (幻冬舎新書)ほか

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