カヌー羽根田卓也を「金メダル候補」にした”おひとりさま”力 | FRIDAYデジタル

カヌー羽根田卓也を「金メダル候補」にした”おひとりさま”力

海外留学、スポンサー集め、練習場探しも自分ひとりでこなし

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カヌーでは体幹が重要となるため、バランスボールや水泳など様々なトレーニング方法を取り入れているという羽根田卓也
カヌーでは体幹が重要となるため、バランスボールや水泳など様々なトレーニング方法を取り入れているという羽根田卓也

「今日はよろしくお願いします」

車を運転し、たった一人で現れた青年が礼儀正しく頭を下げる。’16年に行われたリオデジャネイロ五輪のカヌー・スラローム男子カナディアンシングルで、アジア人初となる銅メダルを獲得した羽根田卓也(31)だ。彼は川の近くにある倉庫からカヌーとパドルを取り出し、それらを脇に抱えて土手を下る。

「ポールで区切られたすき間を”ゲート”と呼びます。カヌー・スラロームでは、20くらいあるゲートを通過しながら急流を渡り、タイムを競うんですよ」

そう説明しながら、羽根田は3本のポールを川の上に設置した(写真2枚目)。車の運転から練習器具の設置まですべて自分でこなす彼の姿は、五輪のメダリストというよりどこにでもいる素朴な青年だ。だが、カヌーを漕ぎ始めた途端、彼の表情に気迫がこもった――。

コーチも練習場所もなし

カヌー選手だった父から指導を受け、小学3年生でカヌーを始めた羽根田。彼の競技人生は決して平坦ではなかった。

「日本でカヌーはマイナー競技なので、僕には特定のコーチも競い合えるライバルもいなかったし、カヌー・スラローム用の練習場もありませんでした。初めはそれでもよかったのですが、中学3年生のときに初めて出場した世界大会で予選敗退し、そこから意識が変わったんです」

’06年に高校を卒業すると、カヌー・スラローム本場のスロバキアへ単身で渡った。特訓に励む傍ら、現地の体育大学に進学し、同大学院を修了している。

「とにかく日本を出て、急流の人工コースがある国に行かなければと思いました。僕はその中でも、世界チャンピオンがいてレベルの高いスロバキアに行きたかった。でも、スロバキアは一度も訪れたことがなく親が心配すると思い、言い出せなかった。そんな僕の気持ちを汲んでくれたのか、父のほうから『スロバキアに行ってはどうか』とアドバイスをくれたんです。おかげで希望していた土地で練習を積めることになりました」

だが、言葉もままならない地での留学生活は、決して楽ではなかった。

「大学の勉強ではものすごく苦労しました。体育大学だったので、スポーツ理論などの難しい試験がいくつもあり、3回不合格だと大学を辞めさせられる。学期ごとにクラスの人数が減っていき、卒業する頃には初めの3分の1以下の人数になっていました。僕も、毎朝勉強するために早起きして、勉強が終わったら練習し、また夕方から寝るまで勉強して……という生活を送っていた。一日6時間は勉強していましたね」

やがてスロバキアでの練習の成果が出始める。14位に終わった’08年の北京五輪に対し、’12年のロンドン五輪では7位入賞。だが、どうしても五輪でメダルを獲れるレベルには到達できなかった。

「資金が足りず、参加できない大会や遠征が多くあったんです。カヌーの大会は賞金が出ません。それにもかかわらず、カヌー本体は30万円ほど、パドルは3万円ほどかかり、1年に1回は替えなくてはいけない。コーチ料も月10万円かかり、遠征などに行けば費用は天井知らずに上がっていく。金銭的なハンディを抱えて世界のトップと戦っていくのには、限界がありました。もともと父や地元の後援会の方々の援助によって何とか競技を続けてこられていたのですが、それだけではダメだと思い始めたんです」

企業10社以上に直筆で手紙

ロンドン五輪を終えた羽根田は、スポンサー探しに奔走する。

「地元・愛知県の企業10社以上に直筆で手紙を書きました。『世界で戦っていきたい』という思いを書いて、『競技をやるだけではなく御社で働かせていただきたい。だから、遠征資金を支援していただけませんか』と。ですが、投函後3〜4日して企業に電話し、『会っていただけないでしょうか』とお願いしても、全部断られました。そんなとき、今のスポンサーである『ミキハウス』の噂を耳にしたんです。『ミキハウス』はマイナースポーツの競技者を支援していると。僕なんか大した選手ではありませんでしたし、おそらく無理だろうと思いながら手紙を出しました。すると、広報の方が何度か会ってくださり、最終的にはスポンサー契約も結んでくれた。それが’13年のこと。それからは、資金面で大会出場を断念することもなくなりました」

25歳にしてようやく思う存分カヌーに取り組める環境が整った。羽根田は飛躍的に実力を伸ばし、’16年のリオ五輪で銅メダルを獲得する。

「以前はカヌー競技なんて、日本ではほとんど知られていなかった。でも、リオ五輪後にはずいぶん有名になったと感じます。驚いたのは、リオから帰国した直後に品川駅から徒歩2分のホテルまで歩いていたら、5〜6人に声をかけられたこと。僕にとっては未知の経験でしたし、ありがたいことだと感じています」

来年の東京五輪で羽根田が見据えているのは、もちろん「金メダル」だ。

「練習場所も資金もないところから競技人生をスタートさせた。そんな僕が競技を続けてこられたのは、周りの人たちの支援があったから。だからこそ、次の五輪では『羽根田卓也を応援して良かったな』とみんなに思ってもらいたいんです」

マイナースポーツのエースが東京五輪で金メダルを獲り、有名人になる――。そんな夢が実現するかもしれない。

(文中敬称略)

「普段は地域の子供たちが練習していることもあるのですが、今日は僕一人ですね」と呟きながらゲートを設置する羽根田卓也
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一年の大半はスロバキアで特訓に励むという羽根田卓也。4月は日本代表選考会(山口県)などに出場するため一時帰国している
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本誌未掲載カット 羽根田卓也 東京五輪で金メダルを目指す「カヌー・スラローム」に人生を捧げる スペシャルインタビュー
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『FRIDAY』2019年5月3日号より

  • 撮影佐藤茂樹

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