93歳のカメラマン 親子3代で記録「東京定点観測」 | FRIDAYデジタル

93歳のカメラマン 親子3代で記録「東京定点観測」

1947年から2019年 有楽町六本木/新宿副都心/上野/東京タワー

  • Facebook シェアボタン
  • X(旧Twitter) シェアボタン
  • LINE シェアボタン
  • はてなブックマーク シェアボタン

JR東京駅 丸の内中央口

昭和34(’59)年2月

東京駅から皇居に伸びる「行幸通り」。写真(上)は、その地下に駐車場を建設中の時のモノ。駅舎は大正3(1914)年に竣工。関東大震災にも耐えたが空襲で壊滅。平成24(’12)年には戦前の姿に復元された
東京駅から皇居に伸びる「行幸通り」。写真(上)は、その地下に駐車場を建設中の時のモノ。駅舎は大正3(1914)年に竣工。関東大震災にも耐えたが空襲で壊滅。平成24(’12)年には戦前の姿に復元された

平成28(’16)年12月

注:写真はすべて地図中のカメラマークから矢印方向に向かい撮影(以下同)
注:写真はすべて地図中のカメラマークから矢印方向に向かい撮影(以下同)

無残な焼け跡が高層ビルに

手書きの看板が連なるレトロな横丁に、壁の煤(すす)けた粗末な駅舎――。

本特集で掲載した写真は、終戦間もない東京の姿だ。写真家の富岡畦草(けいそう)氏(93)が、昭和22(’47)年から撮り続けている貴重な記録である。富岡氏が話す。

「写真を撮り始めたのは21歳の時です。当時は戦争が終わった直後。いたるところに焼け跡が残り、東京には無残な光景が広がっていました。高度経済成長期に入ると、街並みは目まぐるしく変わり始めます。敗戦のダメージを乗り越え立派な高層ビル群が建つ一方、のどかな日本の原風景が失われていった。私は人事院広報課のカメラマンだったこともあり、変貌する風景を後世に残そうと使命感にかられるようになったんです」

富岡氏の意志は、娘の富岡三智子氏から孫の鵜澤碧美(うざわたまみ)氏へと受け継がれている。現在も富岡氏が撮った同じ場所から撮影し、東京の街並みを定点観測し続けているのだ。三智子氏が語る。

「同じ地点から撮った写真を見比べてみると、東京がまったく別の街になったことがわかります。例えばJR有楽町駅東側には、『すし屋横丁』というバラック建ての小さな飲食店が並んでいました。昭和39(’64)年の東京五輪開催に向け、取り壊し処分に。現在はキレイな広場になり、様々なイベントが行われています」 

親子3代の写真は、敗戦直後から現在までの都市の変貌を捉え続けている。

JR有楽町駅 東側(すし屋横丁)

昭和36(’61)年6月

駅の東側に広がっていた「すし屋横丁」(上)。食糧難で米飯が出せるようになったのは昭和30(’55)年以降だ。東京五輪開催による整備事業で取り壊し。昭和40(’65)年に東京交通会館が建った
駅の東側に広がっていた「すし屋横丁」(上)。食糧難で米飯が出せるようになったのは昭和30(’55)年以降だ。東京五輪開催による整備事業で取り壊し。昭和40(’65)年に東京交通会館が建った

平成29(’17)年1月

六本木ヒルズ前

昭和34(’59)年2月

戦後、同地には自治庁の研修所が建てられた。昭和30(’55)年代に入りテレビ放送が本格化すると、跡地に日本教育テレビが開設(上)。現在のテレビ朝日に発展
戦後、同地には自治庁の研修所が建てられた。昭和30(’55)年代に入りテレビ放送が本格化すると、跡地に日本教育テレビが開設(上)。現在のテレビ朝日に発展

平成28(’16)年10月

新宿副都心(西新宿)

昭和39(’64)年9月

昭和40(’65)年代に入り、西新宿に広がっていた淀橋浄水場(上)が撤去され超高層ビル群が出現。平成3(’91)年には都庁が移転。工学院大学など学校も進出
昭和40(’65)年代に入り、西新宿に広がっていた淀橋浄水場(上)が撤去され超高層ビル群が出現。平成3(’91)年には都庁が移転。工学院大学など学校も進出

平成28(’16)年11月

JR上野駅公園口

昭和36(’61)年4月

空襲の影響で壁の煤けた駅舎(上)。駅前の上野恩賜(おんし)公園は戦災孤児のたまり場でもあった。昭和34(’59)年、国立西洋美術館が設立されると公園も大改修。現在は花見の名所として外国人観光客も多く訪れる
空襲の影響で壁の煤けた駅舎(上)。駅前の上野恩賜(おんし)公園は戦災孤児のたまり場でもあった。昭和34(’59)年、国立西洋美術館が設立されると公園も大改修。現在は花見の名所として外国人観光客も多く訪れる

平成28(’16)年9月

敗戦のキズを乗り越え建てられた世界一のテレビ塔 東京タワー

昭和33(’58)年9月

昭和33(’58)年、世界一高いテレビ塔「東京タワー」が完成(上)。資材不足だったため、米軍からスクラップになった戦車を購入し鋼材とした。周囲には質素な平屋の商店街があった
昭和33(’58)年、世界一高いテレビ塔「東京タワー」が完成(上)。資材不足だったため、米軍からスクラップになった戦車を購入し鋼材とした。周囲には質素な平屋の商店街があった

平成29(’17)年1月

地方都市編 JR大阪駅 御堂筋口

昭和47(’72)年6月

写真(上)に写っているのは明治7(1874)年の開業から3代目の駅舎。現在は平成23(’11)年に改装したモノ。駐車場を潰して拡大。「ノースゲートビルディング」と「サウスゲートビルディング」の2つの駅ビルを擁する
写真(上)に写っているのは明治7(1874)年の開業から3代目の駅舎。現在は平成23(’11)年に改装したモノ。駐車場を潰して拡大。「ノースゲートビルディング」と「サウスゲートビルディング」の2つの駅ビルを擁する

平成28(’16)年5月

JR札幌駅南口

昭和50(’75)年10月

今も昔も変わらないのは彫刻家・本郷新の群像「牧歌」のみだ(上)。平成12(’00)年の南口再開発事業で風景は激変。「JRタワー」や大丸デパートがそびえる
今も昔も変わらないのは彫刻家・本郷新の群像「牧歌」のみだ(上)。平成12(’00)年の南口再開発事業で風景は激変。「JRタワー」や大丸デパートがそびえる

平成28(’16)年7月

JR名古屋駅桜通口

昭和22(’47)年5月

写真(上)は終戦直後で3階以上の建物は皆無だ。現在は「ミッドランドスクエア豊田・毎日ビル」や「モード学園スパイラルタワーズ」など高層ビルが林立
写真(上)は終戦直後で3階以上の建物は皆無だ。現在は「ミッドランドスクエア豊田・毎日ビル」や「モード学園スパイラルタワーズ」など高層ビルが林立

平成28(’16)年12月

『変貌する都市の記録』(白揚社)より

  • 撮影富岡畦草 富岡三智子 鵜澤碧美

Photo Gallery27

FRIDAYの最新情報をGET!

Photo Selection

あなたへのおすすめ記事を写真から

関連記事