93歳のカメラマン 親子3代で記録「東京定点観測」
1947年から2019年 有楽町六本木/新宿副都心/上野/東京タワー
JR東京駅 丸の内中央口
昭和34(’59)年2月
平成28(’16)年12月
無残な焼け跡が高層ビルに
手書きの看板が連なるレトロな横丁に、壁の煤(すす)けた粗末な駅舎――。
本特集で掲載した写真は、終戦間もない東京の姿だ。写真家の富岡畦草(けいそう)氏(93)が、昭和22(’47)年から撮り続けている貴重な記録である。富岡氏が話す。
「写真を撮り始めたのは21歳の時です。当時は戦争が終わった直後。いたるところに焼け跡が残り、東京には無残な光景が広がっていました。高度経済成長期に入ると、街並みは目まぐるしく変わり始めます。敗戦のダメージを乗り越え立派な高層ビル群が建つ一方、のどかな日本の原風景が失われていった。私は人事院広報課のカメラマンだったこともあり、変貌する風景を後世に残そうと使命感にかられるようになったんです」
富岡氏の意志は、娘の富岡三智子氏から孫の鵜澤碧美(うざわたまみ)氏へと受け継がれている。現在も富岡氏が撮った同じ場所から撮影し、東京の街並みを定点観測し続けているのだ。三智子氏が語る。
「同じ地点から撮った写真を見比べてみると、東京がまったく別の街になったことがわかります。例えばJR有楽町駅東側には、『すし屋横丁』というバラック建ての小さな飲食店が並んでいました。昭和39(’64)年の東京五輪開催に向け、取り壊し処分に。現在はキレイな広場になり、様々なイベントが行われています」
親子3代の写真は、敗戦直後から現在までの都市の変貌を捉え続けている。
JR有楽町駅 東側(すし屋横丁)
昭和36(’61)年6月
平成29(’17)年1月
六本木ヒルズ前
昭和34(’59)年2月
平成28(’16)年10月
新宿副都心(西新宿)
昭和39(’64)年9月
平成28(’16)年11月
JR上野駅公園口
昭和36(’61)年4月
平成28(’16)年9月
敗戦のキズを乗り越え建てられた世界一のテレビ塔 東京タワー
昭和33(’58)年9月
平成29(’17)年1月
地方都市編 JR大阪駅 御堂筋口
昭和47(’72)年6月
平成28(’16)年5月
JR札幌駅南口
昭和50(’75)年10月
平成28(’16)年7月
JR名古屋駅桜通口
昭和22(’47)年5月
平成28(’16)年12月
『変貌する都市の記録』(白揚社)より
撮影:富岡畦草 富岡三智子 鵜澤碧美