日本人は何に並んできたのか?「行列」から平成を振り返ってみる
何にでも並んでしまう好奇心と、律儀に待つ忍耐力は日本人のアイデンティティ。いつの時代もいろいろなものに並んできたが、行列文化が加速したようにも思える平成の30年、我々日本人は何に並んできたのか振り返ってみた。
バブル景気に湧いた日本人。海外旅行者激増で、「免税店」に行列

2015年の流行語大賞にもなった「爆買い」。中国人観光客の大量な買い物を言うものだが、かつての日本人にも同じような経験がある。いわゆるバブル景気といわれるのは、昭和61年(1986年)12月から平成3年(1991年)2月までの51ヵ月に及ぶ好景気で、「平成景気」のことだ。平成はずっと不景気だった印象しかないのに、バブル期はそれほど遠い昔のことではなく、半分は平成のことなのだ。
1980年代後半から格安航空券の流通が広がり、海外旅行に行く人が増加。円高やバブル景気に浮かれ、海外旅行先で日本人がブランド品を買い漁る姿が目につくようになる。免税店で同じ商品を大量に購入したり、ハイブランドのブティックに大人数で押しかけ行儀のよろしくない買い物姿もあったという。今聞くと恥ずかしいが、平成に実際あった話なのだ。
国民食と言われる「ラーメン」は、いまやミシュランにも載る存在

行列のできる食べ物屋といえば、真っ先に浮かぶのがラーメン店だ。歴史をたどると、明治43年(1910年)、シュウマイやワンタン、支那ソバなどの庶民的なメニューを一人でも気軽に食べられる店として浅草に開店した「来々軒」が元祖と言われる。値段も手頃とあって、連日行列ができる大人気店となった。
昭和の時代にも行列のできる人気店は数々あったが、現在のように“ラーメンは並んで食べるもの”となったのは平成のことだろう。平成6年(1994年)、全国から人気店を集めた「新横浜ラーメン博物館」が会館。平成8年(1996年)には、後に「96年組」と言われる今でも屈指の人気店が続々オープンしラーメンブームが加速した。
いまやミシュランに載る外食へと昇格。ヨーロッパなど海外でもブームとなっているが、日本の味とともに、行儀よく並ぶ文化も輸出されたようだ。
瀕死だった「USJ」。復活の立役者はゾンビだった!?

平成13年(2001年)に華々しくオープンしたUSJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)だったが、2年目以降は集客が大幅に落ち込み、不振が長く続いた。
平成22年(2010年)からの改革で、低迷していたUSJ をV字回復させたのは、平成29年(2017年)に退社した森岡毅元執行役員・CMO(チーフ・マーケティング・オフィサー)だ。無類のテーマパーク好きという森岡氏の、ファン目線でのマーケティング戦略があたり、とくに、平成23年(2011年)から始めた「ハロウィーン・ホラー・ナイト」は復活の原動力となったという。パーク内に“何百体もゾンビを放ち、パーク全体をお化け屋敷にしたらおもしろいかも”という発想が爆発的ヒット。
その後も「ハリー・ポッター」エリアなど、大人気アトラクションが続々オープン。平成22年(2010年)以降、来場者数が増え続け、ここ数年はインバウンドの激増もあり、行列に長時間並ぶ事態となっている。
「iPhone」の新機種発売はお祭り。徹夜行列が名物に!

平成15年(2003年)11月30日、アメリカ本土以外では初めてのアップル直営店「アップルストア銀座」がオープン。雨の中5000人が並び、1kmの大行列をなした。開店時刻になると、歓声とともに拍手、ハイタッチで並んでいた人たちを迎え入れるという、いまやおなじみとなった光景が初めて日本で見られた。以後、銀座店は“聖地”として、数々の行列を生む。新機種発売のたび、数日間にも及ぶ徹夜行列は恒例のお祭りとなり、加熱していった。
平成20年(2008年)、日本で初めてのiPhoneである「iPhone3G」はソフトバンクから発売された。このときも、原宿の「ソフトバンク表参道」から渋谷駅の方まで約1kmの徹夜行列ができた。トイレに行く場合は、トイレチケットというものをもらって30 分だけ列を離れることができたという。
平成26年(2014年)以降は、オンライン予約をして買う方向へ向かうが、それでも行列はなくならない。並ぶ人たちは、「1番買い」「目立ちたい」「お祭り騒ぎに参加したい」が目的と言われてきたが、結局いちばんの理由は、「新作をいち早く手に入れて使いたい」からだという。やっぱりアップルの行列は、どこまでも「i」愛なのだ。
“日本初上陸!”に弱い、ニッポン人。あま〜い「ドーナツ」に大行列!

平成18年(2006年)に日本上陸、“行列のできるドーナツ屋”として知られる「クリスピー・クリーム・ドーナツ」。旗艦店だった新宿サザンテラス店は10周年を迎えた直後の平成29年(2017年)に閉店したが、かつては連日2時間近く待つほどの人気で、長蛇の列ができた。
その後、迎えたのがパンケーキ・ブーム。平成20年(2008年)に「bills」が上陸、平成22年(2010年)にはハワイアンパンケーキの「エッグスンシングス」が原宿に海外初出店し行列店に。こうしてホットケーキはパンケーキと呼ばれるようになった。
平成は“スイーツの時代”でもある。平成2年(1990年)のティラミス大流行から、次々とブームが生まれ、そのうちにケーキや焼き菓子、チョコレート、アイスクリーム、様々なデザートなど、洋菓子はおろか和菓子の分野まで、甘いものをすべてスイーツと呼び始めた。
しかし、近年のスイーツ行列はSNS映えということも大きい。一度SNSに上げてしまったら、一気に興ざめするという実情も!?
銀座に行列! 平成は「ファストファッション」台頭の時代だった

高級店が立ち並ぶ街、銀座。地価(路線価)が33年連続日本一の鳩居堂から銀座8丁目へ続く中央通りは、平成の後半から、ZARA、H&M、ユニクロが軒を連ね、ファストファッションの激戦区となった。その後、ユニクロは平成24年(2012年)、同通りのギンザコマツ東館に移り1〜12階を占めるユニクロ世界最大規模の旗艦店をオープン。オープン時には800人ほどの行列ができた。
一方で、平成30年(2018年)、H&Mが10年の賃貸契約を更新せず閉店。銀座の地価が高騰し続けていることも理由とされている。同店が平成20年(2008年)9月に日本1号店としてオープンした際は、徹夜組を含む5000人を超える行列ができたほどだった。
不況で、ファストファッションが台頭した平成後半だったが、ネット通販躍進の影響もあり、ブランドも淘汰され始めた。これから新しい時代を迎え、銀座の景色はどう変わっていくのか?
「スカイツリー」初日、天候大荒れで展望台のエレベーターがストップ!

平成24年(2012年)5月22日、オープン初日は、あいにくの大雨。それでも、初日のスカイツリータウンへの来場者22万人弱、スカイツリーの入場者は9000人と盛り上がった。しかし、この日は強風の吹く大荒れの天候だったため、午後5時過ぎから展望台のエレベーターは停止。一時、約200人が展望回廊に取り残されたというニュースが流れた。そのため、“風に弱い”という印象が強く残った。
その後はもちろん、連日行列の大賑わい。かつては平日でも2時間待ちが当たり前だった。高さ634メートル、世界一高い電波塔が完成したと言われたら、誰だって昇ってみたい。展望台から、東京を一望してみたい。現在では、待ち時間無しで展望台に昇れる時間帯もあるという。当初の混雑情報に敬遠していた人は、そろそろ行ってみてはいかがだろう。
世界遺産に登録。「国立西洋美術館」に建物見学の行列ができた!

平成28年(2016年)上野の国立西洋美術館本館が、世界7カ国17件の建築物などで構成される「ル・コルビュジエの建築作品」の一つとして世界文化遺産に登録された。西洋美術館本館は、日本国内唯一のル・コルビュジエの作品で、昭和34年(1959年)に完成したものだ。日本では20件目の世界遺産となる。
7月17日登録が決定となったことが判明し、一夜明けた18日、“ニュースを見て来た”という人たちで朝早くから長蛇の列ができた。午前9時半の開場前に300人以上が並んだという。
日本の世界遺産登録が始まったのは平成5年(1993年)からで、平成30年(2018年)までに22件が登録となった。まさに平成は世界遺産登録の時代でもあった。
昭和に始まる“「パンダ」フィーバー”、客寄せ効果は平成も健在!

昭和を代表する行列といえば、上野動物園のパンダだろう。1972年(昭和47年)、中国から初めて日本にやってきたジャイアントパンダのカンカンとランラン。愛らしい姿を一目見ようという人で長蛇の列は2kmにも及び、「立ち止まらないでください!」とのアナウンスのもと、ご対面は2時間待って30秒。『客寄せパンダ』という言葉が生まれたほど、すごい経済効果だった。
平成29年(2017年)6月、リーリーとシンシンの間に待望のメスの赤ちゃんが誕生、シャンシャンと名付けられた。上野動物園で生まれたパンダの公開は、なんと29年ぶりのこと。平成となって初のことだった。シャンシャン効果で2017年度の入園者数は約450万人余りに上り、6年ぶりに400万人を突破。1歳の誕生日には約4000人が行列をなした。
12月からの公開当初、シャンシャンの観覧は事前申込の抽選方式だったが、希望者が膨大なため、翌年2月から先着順の整理券制に変わり、誰でも見学が可能になった。その整理券を得るために朝から行列ができる。その後、6月からは列に並んだ順に見られることに。あまりの人気ぶりに、園側も試行錯誤。平成30年(2018年)も来園者数は増え続けた。
「平成」は、インターネットの情報と“行列”が強く結びついた時代だった。さて、「令和」の時代、我々日本人は、どんな新しいことに並ぶのか? これからも、日本人らしく行儀よく並ぶ文化は守っていきたい。
取材・文:井津多亜子写真:アフロ