引退決意の羽生結弦に火をつけた“あのライバル”からの「屈辱」

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『世界選手権』を花道に引退を考えていたという羽生(18年)

日本フィギュアスケート発祥の地とされる宮城県仙台市の五色沼。その近くの地下鉄東西線「国際センター駅」南口側には、06年トリノ五輪金メダリストの荒川静香のモニュメントと並び、14年ソチ五輪SP「パリの散歩道」の決めポーズを刻む羽生結弦の像が建つ。そして66年ぶりの五輪連覇を記念し、世界中を魅了した「SIMEI」ポーズのモニュメントも20年4月に設置されることも決まり、そのデザインが19年4月20日発表された。

「デザイン発表式の席で羽生選手は、“4回転半(クワッドアクセル)は夢ではなく、マスターしたいもの”と明言し、“4回転半を初めて公式試合できれいに決める人になりたい”とも語りました。これは『打倒、ネイサン・チェン』宣言であるとは明らかです。周囲には“絶対ぶっ潰す!”と話しているそうで、今年の世界選手権で敗れことが、絶対王者の闘争心に火がついたのでしょう」(スポーツ紙記者)

18―19年シリーズの羽生は、11月のグランプリ(GP)シリーズ第3戦フィンランド大会で、ルール改正後の世界最高得点を3つ(ショートプログラム、フリー、総合)叩き出した。

「前年に五輪連覇の偉業を達成し、国民栄誉賞を贈られたこともあって、引退の噂が流れたこともありました。ですが、本人の中では足首の故障から4回転ルッツを回避したことや18年世界選手権出場断念が心残りで現役続行を決断。常に完璧な演技で頂きを目指す絶対王者らしいシーズンインでした」(前出・スポーツ紙記者)

しかし、再び、古傷の足首を負傷。ぶっつけ本番で19年3月に行われた世界選手権に臨むも、米国のチェンの連覇を許した。

「羽生選手の足首のケガはかなり悪く、普通なら回避してもおかしくないほどだったそうです。ですが、5年ぶりに日本で開催された大会だっただけに、彼としては何としても日本のファンの前で演技をしたかった。実は水面下では、母国で世界王者に返り咲き『現役引退』という驚きのシナリオが描かれていたんです。実際、報道各社はマネージメント会社関係者から情報を入手し、予定稿を準備していたほどでした」(スポーツ紙デスク)

羽生の引退話は、今に始まったことではない。14年に五輪と世界選手権を制覇してからというもの、スケート連盟は何度も引き止め工作を図っていた。

「彼には早期引退の可能性が常に付きまとっていた。というのも、1つは幼少期に患った小児ぜんそくで苦しんできただけに、両親サイドは常に彼の体を一番に気遣っていましたからね。もう1つはスケート連盟サイドへの不信感。例えばシニアに上がってすぐのころ、海外遠征へ同行したいという母親の希望を聞き入れないばかりか、実費で現地入りしても家族パスさえ支給しなかった。見かねた関係者が報道パスを渡していたほどなんです。それほど、羽生サイドと連盟には溝があるということですよ」(スポーツライター)

体調面などを心配する周囲は早い時期の引退を勧めていた。だが、最終決断は常に羽生に委ねられてきた。

「常々“まだまだ自分の中で限界とは思えていないです”と語って来た羽生自身、5種類の4回転を操るチェンに世界選手権で22・45点も差を広げられたことで、4回転全制覇を痛感したんだと思います。あんな屈辱的な負け方をしただけに、かなり燃えている。しばらく、周囲の願う『引退のシナリオ』は完全封印でしょうね」(前出・デスク)

『平成』の”絶対王者”は、『令和』時代になっても輝き続けることになるだろう――。

  • 写真森田直樹/アフロスポーツ

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