福岡スナックママ連続保険金殺人事件 逮捕直前のパチンコ三昧

平成を振り返る ノンフィクションライター・小野一光「凶悪事件」の現場から 第6回

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04年に福岡で起きたスナックママによる連続保険金殺人事件。中州の美人ママ髙橋裕子(逮捕時48歳)が、元夫2人を保険金目当てで殺害したとして摘発された。ノンフィクションライター小野一光氏は、逮捕前から犯人をマークし、取材活動を行っていた。いまだから明かせる取材の舞台裏と当時の証言を届けする。

中州にあった自分のスナックの前で常連客と写真を撮る髙橋裕子(当時43歳)

15年を経たいまだから明かせる話だが、じつはこの事件については、逮捕前に福岡県警が内偵しているとの情報を得ていた――。

2004年7月22日に博多・中洲の元スナックママである高橋裕子(逮捕時48)が、恐喝容疑で逮捕された事件のことだ。

しかも情報では、最初の逮捕容疑の恐喝については”本件”ではなく、元夫2人を保険金目当てで殺害した殺人容疑での摘発が、捜査の主目的であることもわかっていた。

そのため、逮捕の8日後(7月30日)に発売された『FRIDAY』04年8月13日号では、まだ恐喝容疑の段階であるにもかかわらず、『”保険金2億円”夫の実母は「あの女に殺された」と激白/夫二人が不審死48歳「恐喝ママ」の”黒い美貌”と”カネ遣い”』とのタイトルが躍る記事となった。

結果として彼女は、それから2件の恐喝と2件の殺人、さらに殺人によって死亡保険金を騙し取った3件の詐欺と1件の詐欺未遂で起訴された(最初の殺人による保険金詐欺は公訴時効が完成のため立件されず)。またその後、無期懲役の判決が確定している。

逮捕直後の号での掲載は見送られたが、2番目の夫である野田昭二さん(仮名=死亡時34)への殺人容疑で、9月15日に裕子が再逮捕された際には、逮捕前に撮影された、彼女が行きつけのパチンコ屋へ自転車で向かう姿の写真を使用した。情報源については明かせないが、いかに以前から秘匿取材をしていたか、ご理解いただけると思う。

ちなみに福岡県警がこの事件に着手したのは03年秋のこと。県警担当記者は語る。

「捜査一課の捜査員が過去の変死事案を再調査していたところ、2人の夫が連続して死亡し、保険金を受け取っていた裕子の存在が浮上したのです。04年の前半には中洲の歓楽街で『保険金目当てでダンナば殺したスナックママの噂を聞かんね?』と、捜査員が聞いてまわっていました」

裕子は逮捕までに3度の結婚をしており、最初の夫とは離婚したが、2番目の野田昭二さんと、3番目の高倉博之さん(仮名=死亡時54)が死亡。当初、1994年10月に死亡した野田さんは自殺、00年11月に死亡した高倉さんは病死との判断が下されていた。野田さんの”自殺”では約1億6000万円の死亡保険金が支払われている。また、高倉さんの”病死”では約2700万円の死亡保険金が支払われた。ただし、警察がこのような判断を下したことにも理由があった。先の県警担当記者は続ける。

「野田さんは自身が経営していた建築設計事務所がバブル崩壊のあおりを受けて、多額の借金を抱えていました。そのため自殺未遂を繰り返し、死亡時には過去に書いた遺書も残されていました。一方で高倉さんは勤務先の人事で部署が変わり、慣れない仕事のストレスでみずから職を辞し、生活に窮していました。その渦中に服用していた睡眠導入剤を彼自身が病院で処方してもらうなど、事件性を否定する材料があったのです」

福岡県糟屋郡で靴店を営む資産家の長女として生まれた裕子は、福岡市内のお嬢様学校として知られる私立の中高一貫校へ進学。裕福な生活とその愛くるしい顔立ちから、周囲に「白雪姫」ともてはやされていた。幼少期からピアノを習っていた彼女は、東京の音楽大学に進学し、そこで出会った1歳上の慶応大学生Aさんと交際を始め、互いの両親の反対を押し切って最初の結婚をしている。

東京の音大に通っていた頃の髙橋裕子(中央)。当時の同級生によると「校内でも3本の指に入る美人だった」という

裕子の恐喝容疑での逮捕を受けて『FRIDAY』記者は、離婚後に地元の福島県に住むAさんの親戚を取材した。その親戚は言う。

「Aは離婚して福島に帰ってきたとき、『おっがねがった(怖かった)』と言ってました。『(Aさんが乗った)飛行機が落ちると大金が入るんよね』というようなことを言われたそうです。いまとなってはAが生きて帰ってきてよかった」

2番目の夫である野田さんの長崎県に住む母親も、殺人容疑での逮捕前にもかかわらず、取材に対して、「息子はあの女に殺されよったばい」と断言していた。

「あの子が死ぬ直前、留守番電話に『刺された、刺された……』と呟くようなメッセージが入っていたんです。何度も聞き返したのでよく覚えとります。怪しいのは息子の携帯電話とカバンがなくなっていて見つかってないこと。これは自殺ではないと確信しています。息子が死んだ後、裕子は福岡での葬式には出ましたが、長崎でやった葬式には来ませんでした。息子の遺品だといって、段ボール箱2つを着払いで送ってきました」

また、野田さん殺人容疑で裕子が再逮捕された後には、『FRIDAY』記者が離婚したAさん本人に取材した。そこでAさんは語っている。

「(裕子は)芸能人になりたかった、というだけあって見た目は華やか、でも性格は上品で控え目なお嬢さんでした。しかし、結婚して3カ月くらいで本当の姿を見せ始めました。気が強く、こっちが“一”言うと“百”返ってくる。ときには手も出ました。結婚生活6年間で東京、福岡など6回も引っ越しましたが、すべて彼女が原因。『親との同居はいや』『部屋が狭い、向きがよくない』とか不満を言い、そのつど転居でした」

Aさんによれば、離婚後の裕子が変わったのは、ある時期からだという。

「福岡で知り合いにスナックの手伝いを頼まれてから変わった。音大出でピアノが弾けて歌もうまくてあの美貌だから、どんどん指名も入る。そのうち、自分で店を持ったほうが儲かると気付いた。水商売に入って、カネも男も思うようになると考えたのではないでしょうか」

裕子がスナックを手伝い始めたのは、野田さんが死亡する前のこと。やがて、野田さんの“自殺”によって支払われた死亡保険金を使い、みずからスナック経営に乗り出したのである。この時期も、裕子は実家が資産家であるAさんに、カネの無心を繰り返していたそうだ。

「(取材時の)7年くらい前だったかな、『スナックの経営が大変で従業員の給料が払えないので、50万円ほど融通して』と電話がありました。断っても日に5回も6回も電話がくる。仕方なく数万円振り込むと、少し静かになるんですが、しばらくすると『子供が高校に行かなくて大変』だとか、いろんな理由をつけてカネを催促されました」

スナック経営に行き詰まった裕子は、自分と肉体関係があった客にカネを貢がせ、ときには「あなたの子供を堕ろしたことで、心と体に傷を負った」といった文言を使い、恐喝を繰り返した。

やがて3番目の夫となる高倉さんと出会い、スナックを閉めて会社員の妻としての安定を得ようとするも、前述の理由で夫が職を失い、家計が破綻してしまう。

カネの切れ目が縁の切れ目、どころではない。裕子にとってのカネは、配偶者の命を奪ってでも手に入れるべき代償だったのである。

  • 取材・文小野一光

    1966年生まれ。福岡県北九州市出身。雑誌編集者、雑誌記者を経てフリーライターに。アフガン内戦や東日本大震災、さまざまな事件現場で取材を行う。主な著書に『新装 家族喰い 尼崎連続変死事件の真相』(文春新書)、『全告白 後妻業の女: 「近畿連続青酸死事件」筧千佐子が語ったこと』(小学館)、『人殺しの論理 凶悪殺人犯へのインタビュー』 (幻冬舎新書)ほか

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