災害の少ない「金沢」だから残った珠玉の名建築の数々
北陸新幹線で行ける"奇跡の都市"の魅力
古地図だけを頼りに町歩きができる町 江戸時代から現代までの名建築が残る




災害の少なさが芸術を生んだ
「台風の多くは反時計回りの風雨を伴って日本列島を北上します。が、この風雨から金沢をブロックする奇跡的な位置に白山がある。また日本は太平洋、北米、フィリピン海、ユーラシアの各プレートの境界に位置してそれぞれの影響を受けますが、金沢は北米とユーラシアプレートの境界であるフォッサマグナから外れた場所に位置し、巨大地震が起きづらい」(金沢大学防災工学研究室・池本敏和氏)
戦国大名・前田利家が入府して約400年。この間、M7以上の地震は一度もなく、太平洋戦争中も陸軍第9師団の本拠があったにもかかわらず奇跡的に空襲を受けなかった「非災都市」が金沢なのだ。
災害は町の姿を大きく変えてしまうが、金沢は今も江戸期の町割りを残し、市民が我が町に強い誇りを持っている。しかも特徴的なのは、伝統だけに頼るのではなく、江戸、明治、大正、昭和、そして平成とその時代ごとに優れた建築を生み出していることだ。そのため町が重層的になり、さまざまな楽しみ方ができる。
「前田家は文化に造詣が深く、蒔絵師、塗師、細工師などを全国から招聘しました。しかも源氏物語写本を手に入れたといっては特注の箱を作るような”オーダーメイド”を尊重した。その影響で現在でも金沢の工芸家は大量生産をよしとせず、オリジナリティを追求しているのです」(加賀蒔絵師・西村松逸氏)
芸術家を生む風土が息づいているのだ。



工芸家を大切にする風土
金沢というと金箔や蒔絵などの伝統工芸が思い浮かぶが、実は現代工芸も盛ん。「金沢職人大学校」や若手工芸家を育成する「卯辰山工芸工房」があり、’20年には東京から国立工芸館が金沢に移転されることになった。
彼らの作品は「クラフト広坂」で展示販売されるだけでなく、市内のカフェ、料亭などでも積極的に活用され、町中で工芸家を育てる風土がある。「人と同じものは作らない」という金沢の工芸家たちの矜持が生んだ文化だ。



開場から300年! 今や観光名所で大人気 「殿様の台所」から「市民の台所」になった近江町市場を巡る
「金沢市民の台所」として親しまれてきたのが近江町市場だ。ルーツはなんと300年前に遡る。『近江町市場300年史』を編纂している石田順一氏が語る。
「近江町市場は、かつて殿様の食卓に上(のぼ)る食材を蓄える場所でした。それが明治になって市民に開放されたのです」
アーケードが完備され、細かく仕切られた市場には、金沢野菜を売る青果店、富山湾の海の幸を堪能できる鮮魚店、日用品を売る雑貨店などが軒を連ねる。最近は観光地として人気になったため、観光客用のイートインも充実している。










『FRIDAY』2019年4月26日号より
撮影:中西優写真:金沢市(四高)