半グレ集団・怒羅権(ドラゴン)創設メンバーが「罪を懺悔する」 | FRIDAYデジタル

半グレ集団・怒羅権(ドラゴン)創設メンバーが「罪を懺悔する」

窃盗、詐欺、ドラッグ、殺人 ありとあらゆる犯罪を犯して来た集団の内幕

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取材に答える汪氏。右側の本棚に並んでいるのは、更生支援のNPOで取り扱っている受刑者に送る書籍だ
取材に答える汪氏。右側の本棚に並んでいるのは、更生支援のNPOで取り扱っている受刑者に送る書籍だ

普通、人って誰かを殴るときにためらうじゃないですか。でも俺らは、何度も喧嘩を繰り返しているうちに、その感覚が麻痺してしまった。相手が死ぬかもしれないとわかっていても、一切躊躇はなかった。俺たちにあったのは、世の中のすべてに対する”怒り”。それだけです。

東京都江戸川区西葛西の簡素な一軒家で、静かな口調でそう語り始めたのは、汪楠(ワンナン)氏(46)。最凶の半グレ集団「怒羅権(ドラゴン)」の創設メンバーだ。

「関東連合」と並び、怒羅権の名前は広く知られているが、その成り立ちは謎に包まれている。どのようにして怒羅権は生まれたのか。なぜ、犯罪集団になったのか。13年に及ぶ服役後、現在は受刑者の更生支援をするNPO「ほんにかえるプロジェクト」で活動する汪氏が明かした。

怒羅権は中国残留孤児2世・3世が中心になって作ったグループ。明確な設立日があるわけではないけど、怒羅権という名前がついたのは、’88年頃です。

俺は中国吉林省長春市で生まれ、中国残留孤児の母に育てられた。日本に来たのは’86年、13歳のときです。ウェイトレスとして働いていた母とともに、葛西のアパートに住み始めました。

日本に来て1週間後、近くの葛西中学に通い始めた。当時、葛西には「常盤寮」という残留孤児の受け入れ施設があって、葛西中学にはそこの子たちなど60人ほどの残留孤児ジュニアがいました。

俺も含めて、みんな日本語はほとんど話せなかった。当時は不良全盛時代ですから、相当イジメられましたよ。「中国人」だとか「バカ」だとか言われて、毎日、殴られる。だんだん、俺らも自衛のために固まって行動するようになる。やがて反抗心の強い奴らが、不良にやり返すようになる。それが、怒羅権の始まりです。

創設メンバーは12人。リーダーはいなかった。最初はカタカナで「ドラゴン」と名乗っていたんですよ。他の不良集団みたいに、壁に落書きとかしていたんですが、日本語ができないんでよく間違える。「トラコン」とかね(笑)。漢字ならわかるっていうんで、当て字で「怒羅権」となったわけです。

当時は暴走族全盛時代ですから、俺らも憧れてバイクに乗るようになる。カネがないから盗んだ単車を無免許で乗り回していました。暴走族として喧嘩を繰り返しているうちに、犯罪集団へと大きく舵を切る事件が起きる。’89年、「浦安事件」と呼ばれる乱闘です。浦安まで遠征した帰り道、怒羅権のメンバー8人が地元の暴走族に襲撃されたんです。50人を相手に、刃物を振り回して大暴れ。で、メンバーが相手の一人を刺し殺してしまった。

俺らとしては、正当防衛だった。でも刺した奴は殺人で逮捕された。そこから、警察に対する不信感と怒りが芽生えた。交番とかパトカーを襲撃するようになったんです。俺もよくやりました。江東区の深川署に、4~5人で火炎瓶投げたり、火をつけたバイクを突っ込ませたりね。

「浦安事件」から1年後くらいに、もう一つ大きな出来事がありました。マジメに働いている先輩と、地元の焼き肉屋でメシを食っていたら、たまたま居合わせたヤクザと喧嘩になった。そしたら先輩が大勢のヤクザにもみくちゃにされて、圧死しちゃったんです。それで、俺たちはヤクザにも敵対心を持つようになりました。組事務所を片っ端から襲撃。ヤクザとの抗争では、何人も仲間が死にました。

’90年頃、怒羅権は地元の暴走族はほとんど制覇して、王子や府中にも勢力を広げていった。全盛期、メンバーは800人近くいたんじゃないかな。ちなみに、「府中怒羅権」を作ったのは俺なんですよ。向こうの学校に転校していた時期があって、葛西の仲間を呼んで府中の不良を傘下に収めていったんです。

勢力が大きくなると、ヤクザになる奴も出てきた。怒羅権の組員が一声かければ、50人近く戦闘員が集まるから重宝されるんです。俺も、17歳で住吉会系の事務所に入りました。怒羅権を抜けたわけじゃなく、二足のわらじでした。

ただ俺自身は、18歳から少年刑務所に2年ほど入っていました。俺のカネを盗んだ組員の左腕を、日本刀で切り落としちゃったんです。相手は皮一枚で腕をプラプラさせて病院に担ぎ込まれたから、俺も警察に出頭するしかなかった。

やがて、俺みたいに極道になったメンバーを通じて、ヤクザのシノギ(仕事)を怒羅権が請け負うようになった。’90年代初頭に盛んだったのは、夜中にパチンコ屋に忍び込んで、台にイカサマをするシノギですね。朝、何食わぬ顔でイカサマ台に座って、何百万円も稼ぎました。その日食うものに困っていた怒羅権にとって、ヤクザのシノギは魅力的だった。

怒羅権が関与した事件は頻発しているけど、いまも構図はほとんど一緒。強盗もドラッグも殺人も、ヤクザを通じて怒羅権が仕事をするんです。

俺は少年刑務所を出た後、違法ポーカー店の仕切りをやっていたけど、25歳頃に組を破門になりました。別の組織と揉めちゃってね。で、怒羅権の仲間と詐欺を始めた。詐欺と言っても、手口は事務所荒らしです。夜、ヤクザの事務所に忍び込んで、小切手や手形を盗む。そして翌日、手下が銀行からカネを引き出すんです。

’00年に逮捕されて、13年間服役した。立件は2件でしたが、やったのは10件以上。10億円以上、稼ぎました。

服役中は、読書に没頭しました。抱えていた”怒り”はやがて消えましたね。俺たち怒羅権は、犯罪をする以外に生きていけなかった。でも、社会に悪意があったワケじゃないことに気づいたんです。

出所後は受刑者に本を送るNPOで活動しています。受刑者とは手紙のやり取りもしていて、「これまでの人生が不本意じゃなかったのか」と問いかけている。

怒羅権の幹部連中とは、いまも繋がりがあります。相談しているのは、怒羅権の解散について。いまの怒羅権のメンバーも、やりたくて犯罪をやっているわけじゃない。どうにかして、真っ当な道に戻そうと、みんなで話し合っていますよ。

暴走族時代の怒羅権。勢力拡大につれ、中国残留孤児だけでなく、中国人や日本人なども多数加わったという
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’13年、怒羅権は関東連合と共に警察庁から「準暴力団」として認定された
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本誌未掲載カット 半グレ集団・怒羅権(ドラゴン)創設メンバーの告白「すべての罪を懺悔する」
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『FRIDAY』2019年5月10・17日号より

  • 撮影濱﨑慎治(1枚目写真)

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