河野太郎を直撃! かつて主張していた「脱原発」はどうなったのか | FRIDAYデジタル

河野太郎を直撃! かつて主張していた「脱原発」はどうなったのか

「次の総理」とおだてられ、反骨の志を捨ててしまったの?

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本誌に書いた「脱原発」の色紙を見て一瞬、苦笑いを浮かべ、怒ったような表情で無言のまま去っていった

――河野先生、この色紙にご記憶はありませんか。

「おー、昔書いたやつね」

――この気持ちはまだ忘れていない?

「(むっとした様子で)うん」

――実現はいつ?

「…………」

7月上旬、都内のホテルでの講演会を終えた河野太郎外務相(55)は、本誌の直撃にそう語ると、怒ったような表情を浮かべて足早に立ち去った――。

原子力規制委員会は7月4日、茨城県東海村の東海第二原発について、新規制基準に適合しているとの判断を下した。ついに、’11年の東日本大震災で被害を受けた「被災原発」が、再稼働へ向けて動き出すことになる。

「エネルギーの安定供給はアベノミクスの必須条件だ」と語る安倍晋三首相(63)のもと、原発推進を続けてきた自民党だが、与党の全員が同じ旗を振ってきたわけではない。脱原発派の急先鋒として知られていたのが、河野外相だ。

「『原発ゼロの会』の代表として執行部に真っ向から楯突いた河野は、党内では完全に異端児扱いされていた。原発に頼らなくてもエネルギーは確保できる、というのが河野の主張でした」(自民党ベテラン議員)

しかし、’15年10月に発足した第3次安倍改造内閣で行革担当相に抜擢されると、河野氏の過激な脱原発論はめっきり影を潜めた。

「河野さんは当時すでに当選7回でしたが、大臣経験がなかった。それに業を煮やした後援会長から、『自民党の本流で出世するという約束はどうした』と詰められたんです。出世を取るか、それとも『脱原発』にこだわるか。河野さんは前者を選び、安倍首相に追従する道を選んだ」(地元支援者)

河野氏は’11年10月7日号で、本誌に登場。当時俳優だった山本太郎参議院議員と原発を進める政権を猛批判、最後には「脱原発」という色紙まで書いている。はたして河野外相は、長いものに巻かれ、反骨の志を捨ててしまったのか。色紙を持って直撃したのが冒頭のシーンだが、渋面を作るばかりで、原発についての思いは一切明言しなかった。

「脱原発の志自体はまだ持っていることは間違いありません。河野さんは支援者向けに発行している『ごまめの歯ぎしり』というタイトルの国政報告紙で、〈閣僚になることは不自由なこと〉〈原発の再稼働の可否について発言する自由を失いました〉と、苦しい胸の内を率直に語っています」(前出・支援者)

ポスト安倍を決める総裁選は’21年に行われる、と予想されており、河野氏は総裁候補の一人として見られている。政治アナリストの伊藤惇夫氏が言う。

「河野氏が菅義偉官房長官や麻生太郎副総理から可愛がられているのは間違いない。しかしそれは、かつての異端児的な言動を封印し、政権の思惑通りに動いてくれるからでもある。次期総裁に推す声があるのは確かですが、実際に総裁選が始まった時に『脱原発』という志を表に出すのかどうか。河野氏自身も自縄自縛に陥っているのかもしれません」

河野氏が総裁選に打って出れば、原発についての思いをしつこく問われるのは間違いない。その時、答えに窮しないためにも、いまこそ、「脱原発」を語るべきなのではないだろうか。

東日本大震災の約半年後、河野氏は本誌で山本太郎氏と対談。脱原発への熱い思いを語り合った

本誌未掲載カット

撮影:吉田暁史(1枚目) 鬼怒川 毅(2枚目)

 

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