「大阪大震災」震度6弱 倒壊現場で生死を分けた瞬間
大阪では観測史上最大震度 阪神大震災なみの犠牲者が出た可能性
「璃奈(りな)ちゃんとは、休み時間によく一緒に縄跳びをして遊んでいました。彼女のほうから『一緒に遊ぼう!』って誘ってくれて。本当に優しい子でした。あの倒れたブロック塀は、小学校の40周年記念で作ったもの。壁画の他にも当時の児童や保護者の手形も押されていた。それがあんなことになるなんて……」
そう涙ながらに語るのは、大阪大地震で亡くなった三宅璃奈ちゃん(9)と同じ小学校に通っていた女子だ。
6月18日の午前7時58分、大阪北部で起きた震度6弱の地震は、日本中に計り知れない衝撃を与えた。死者5人に負傷者400人超、避難者は1700人超というこの天災は、気象庁が1923年に観測を始めてから大阪史上最大。一歩間違えば、阪神・淡路大震災なみの犠牲者を出すほどの強烈な地震だった。
冒頭の璃奈ちゃんは登校中、自身が通う寿栄(じゅえい)小学校(高槻市)のプール塀の下敷きになったが、この塀は建築基準法を超えた高さで建てられた違法建築だった。
「実は、彼女が亡くなった理由はそれだけじゃないんです。プール沿いの道は児童の通学時間中には車両進入禁止なんですが、それを無視して通行する車が絶えなかった。だから、学校側は児童に対して塀側の白線の中を歩くように指導していたんです。それが裏目に出てしまって……」(寿栄小学校に通う児童の保護者)
まさに不運が重なって起きてしまった悲劇。璃奈ちゃん同様に、東淀川区の安井実さん(80)も、倒壊したブロック塀に押し潰(つぶ)されて亡くなった。
「安井さんは、’12年からほとんど毎日、通学中の児童をケアする『見守り隊』として活動してくれた。地震の日も、活動拠点にしているウチの小学校に向かう途中だったんです。地震が起きた直後、教員が塀の下にいる安井さんと、もう一人の見守り隊男性を見つけました。助かった方は、『誰か、助けてくれ! ワシは大丈夫やねんけど、安井さんの返事がないんや!』と叫んでいた。安井さんはうつぶせに倒れブロック塀が背中に乗っかり、頭から血が広がっている状態。意識がなく、声をかけても反応しませんでした」(新庄小学校の山本勝巳校長)
同じ場所にいながらも、一人は生き残り、一人は帰らぬ人となる――。実際、本誌が取材した被災者も、
「地震が起きたとき、あまりの揺れの大きさに、家の中で10秒以上、身動きすら取れなくなった。もしあのタイミングで棚などの大きな家具の近くにいたら……そう考えると、ゾッとします」
と、恐怖の瞬間を振り返る。
“地震大国”に生きる以上、天災のリスクは避けられない。今回の地震でも明らかになったように、生死を分けるのはほんの僅(わず)かな違いなのだ。我々ができることは、正しい情報を得て、正しい判断をすること。以下の記事も、是非ご覧いただきたい。
撮影:幸多潤平(浄教寺) 濱﨑慎治(献花台)
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