新幹線殺傷事件「殺人鬼」小島一朗容疑者の成長記録
目の前でナタ男が暴れだしたら、あなたはどうする?
「彼が中学3年の夏休み頃、新学期のために水筒が欲しいと言ってきたことがあったんです。妻が中古の水筒を用意したんですが、『なんで中古なんだ!』と激昂された。寝室に金づちと包丁まで持って入ってきました。これはいかんと警察を呼び、大騒ぎになった。あの時、彼には言葉では通じないと痛感しました。それがキッカケで、彼は家を出た。僕としても、一朗くんと暮らすのは限界でした」
そう語るのは、6月9日に発生した新幹線3人殺傷事件の犯人・小島一朗容疑者(22)の実父だ。
東海道新幹線「のぞみ265号」にナタを隠し持って乗り込み、居合わせた乗客を無差別に切り刻む。彼が犯した突然の凶行に、車内は血の海と化した――。
これほどの残酷な事件を起こした小島は、いったいどのように成長してきたのだろうか。小島は’95年、一宮市(愛知)に生まれ、幼少期から両親と歪(いびつ)な関係を築いてきた。中学ではいじめが原因で不登校となり、進路を巡って父と没交渉に。冒頭の”水筒事件”を起こしてからは自立支援施設で暮らし、高校卒業後に機械メンテナンス会社に就職するも、長続きせず。’16年10月からは祖母と伯父の家に引き取られていた。
「一朗は仕事を辞めた後、アルバイトでトラックの配達員をしたこともありましたが、1週間で『こんなのやっとられるか』と投げ出してしまった。両親との関係が修復不可能になってウチで預かることになる時、私は『実の親が面倒を見るべきだ』と反対したんです。その後に祖母が一朗と養子縁組をした時も、こんな状況じゃ将来、トラブルになると不安でした」(小島の伯父)
祖母・伯父の家に暮らし始めてから4ヵ月後、小島は岡崎市内の心療内科で自閉症の診断を受け入院。2ヵ月後には退院したが、その後は部屋にひきこもり、ネットに耽(ふけ))る生活を送るようになる。
「なんとか社会復帰をしてもらおうと就労支援施設に就職させましたが、一朗は『こんな簡単なことは、俺のやるべきことじゃない』と1ヵ月も経たずに辞めてしまって。祖母や私にも横柄な態度を取るようになり、日に日に行動が目に余るようになったんです。そんな中、去年の12月に突然『俺は旅に出る』と言って家を飛び出してしまった。それから何度か携帯で連絡は取れたものの、どこで何をしているか、まったくわからなくなっていました」(前出・伯父)
この事件では、犯行の残虐さとともに、新幹線での”無差別テロ”がいとも容易に行われうることが明らかになってしまった。もし目の前でナタ男が暴れだしたら、なす術はない。しかし、犯人は以前からさまざまな”シグナル”を発していた。それをキャッチしていれば、未然に防げる悲劇だったのだ。
撮影:蓮尾真司(送検)