新井貴浩 強くなった広島カープ「ここが変わった!」

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あらい・たかひろ ’77年、広島県生まれ。広島工業から駒沢大学に進学。’98年にドラフト6位で広島に入団。昨年までのプロ通算19年で打率.279、315本塁打、1279打点。本塁打王1回、打点王1回獲得。右投げ右打ち


「力のある若い選手ばかりで、ボクのようなオッサンは出る幕がないんよ」

広島の最年長・新井貴浩(41)が笑う。

今季も広島が強い。セ・リーグの首位を保ち、球団史上初の3連覇を狙っている。新井は開幕直前に左ふくらはぎを痛め出遅れたものの、6月12日のオリックス戦で本塁打を放ち現役選手としての最多安打数を2189に更新。グラウンドでは、若手に声をかける姿をよく見かける。

「苦しいこと、悔しいことは誰にも負けないくらい経験してきましたからね。オッサンのアドバイスで、少しはチームも変わったと思うとるんです」

4番を任される鈴木誠也が、ある時チャンスで凡打しベンチでバットを叩きつけ怒りを爆発させたことがある。試合後、新井は鈴木を食事に誘った。

「チームが弱かった頃ボクも4番を任されていましたから、誠也の気持ちはようわかるんです。打てずに負けると、自分が情けなくて悔しくて……。試合中に誰もいないロッカールームに行き『クソ、ボケェ!』と叫び、涙をぬぐってベンチに戻ったことも一度ならずあります。だけど4番は態度に出してはいけない。誠也にはこう言いました。『オマエのことは、みんなが見とるんよ。ガマンや。周囲の雰囲気を悪くするようなことは、グッとガマンせんといけんよ』と。誠也が若くして立派な主砲に成長してくれたことが、広島の強みの一つです」

鈴木だけではない。田中広輔、菊池涼介、丸佳浩……。広島の主力選手は新井の言動から、「常に冷静な態度でいること」の大切さを学んでいる――。

「ワレが新井か!」

広島県出身の新井は、’98年に憧れのカープへ入団した。公私に新人・新井の面倒を見たのは、9歳年上の金本知憲だった。

「春のキャンプで挨拶すると、いきなり『ワレが新井か。やっちゃるけぇのう!』と言われました。ビビりましたが、金本さんなりの愛情表現だったんです。それからは『オマエが生きていくためには、キツい練習に耐えるしかないんじゃ』とケツを叩かれ続けた。当時の広島は万年Bクラスの低迷期で、チームは新人を一日でも早く戦力にしようと必死だったんです。胃液を吐くほど練習させられました。体感的には、夜、目を閉じたら3秒後には朝がくる感じです。ほんとうにツラかった。金本さんはそんなボクを気遣いしょっちゅう食事に誘い、シーズンオフは精神力を鍛えるため鹿児島での護摩行にも連れて行ってくれました。猛練習に耐えボクが一軍で活躍できるようになったのは、金本さんのおかげです」

’03年に金本が阪神に移籍すると、その5年後に新井もFA権を取得してタイガースへ。広島への愛着は強かったが、金本への尊敬の念が勝った。新井が再び広島に復帰したのは、金本引退後の’15年だ。

「カープの球団幹部から声をかけてもらいましたが、戻るべきか迷いました。阪神時代には、広島ファンから散々罵声を浴びましたから。『裏切り者!』と……。ただ復帰すると広島の人たちは温かかった。復帰後初打席では『ウワアッッッ―!!』って、ものスゴい歓声を受けたんです。その瞬間、感動で一気に頭が真っ白になり唇はカラカラ。もう死んでもいいと思った。それからは、歓声を送ってくれた人たちのために野球をやろうと決めたんです」

新井の再入団とともに広島は変わった。24年間優勝から遠ざかっていたが、’16年から2年連続V。選手たちは三振してもエラーしても翌日には早く球場に現れ汗を流す新井の姿に感化され、ツラい経験をいかした忠告に耳を傾けるようになったのだ。

「自分のことはどうでもいいんよ。若手が成長してくれれば。引退した黒田(博樹)さんからは『オマエには自分から辞める権利はない。ボロボロになるまでやれ』と言われました。まだボロボロではありませんけど、結構なボロですよ。朝起きると、しばらく身体が動きませんから。ハハハハ!」

新井がやり残した最大の仕事は、34年ぶりの日本一を広島ファンに届けることだ。

今季は20年連続で本塁打を記録。尊敬する金本に並んだ

撮影:西山和明

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