関西弁を操る38歳のロック トンプソン ルークが見据えるW杯 | FRIDAYデジタル

関西弁を操る38歳のロック トンプソン ルークが見据えるW杯

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写真:森田直樹/アフロスポーツ
写真:森田直樹/アフロスポーツ

海外移住者の増える現代社会の象徴のようでもあり、中年男性の英雄でもあり、何よりラグビー日本代表の救世主でもある。

2010年にこの国へ帰化したトンプソン ルークはいま、38歳にして9月開幕のワールドカップ日本大会を見据える。一時は代表引退を表明も、6月9日からの日本代表宮崎合宿のメンバー42名に入った。通称トモさんは言う。

「調子、いいです。全然、問題ない。もう、おじいちゃんだけどね」

空中戦と肉弾戦で踏ん張るロックのポジションへ入り、身長196センチ、体重110キロの大きな身体を低くかがめる。ボールを持つ相手を倒すタックルという動きを「私の仕事ね」と言い、試合が終われば「皆、むっちゃいいね」などと関西弁まじりの談話を残す。通好みのプレーと一般受けする個性で、広く支持される。2016年就任のジェイミー・ジョセフヘッドコーチからも、全幅の信頼を得ている。

「彼は周りからリスペクトされています。誇り高く、熱い情熱を持っています。彼がいま見せているパフォーマンスをそのまま続けてくれれば、チームにとって貴重な選手になると確信しています」

2004年の来日時は、数年もすれば母国のニュージーランドへ帰るつもりだった。地元のカンタベリー州の代表選手となるなど若手時代からファイトしてきたが、ラグビー王国の代表チームでロックになるブラッド・ソーン、ルーベン・ソーンらの陰に隠れてもいた。群馬県太田市の日本の三洋電機(現パナソニック)の門を叩いたのは、国際リーグのスーパーラグビーで戦えないなかでもプロになるためだった。

  新境地を開いたのは2006年以降。大阪府東大阪市の近鉄へ移ると、それまで外国人枠の関係で限られていた出番を徐々に増やし始める。同僚と食事に出かけてはラフな関西弁を覚え、「銀行の女の子が話す速い日本語は『ちょっと、わからへん』ってなる」と笑う。

2007年には、母国の英雄だった当時のジョン・カーワンヘッドコーチから日本代表に呼ばれる。以後は4年に1度のワールドカップへ、同年のフランス大会から3度も出る。ラグビーでは、海外出身者でも他国代表経験がないまま日本に3年以上住み続ければ日本代表になれる。本拠地の花園ラグビー場周辺でママチャリを漕ぐタックラーは、文句なしの有資格者だった。

強烈な印象を残したワールドカップは、エディー・ジョーンズ前ヘッドコーチと挑んだ2015年のイングランド大会だろう。

9月19日、ブライトンコミュニティスタジアム。過去優勝2回の南アフリカ代表と初対戦。同国で通算127キャップを獲ったロックのヴィクター・マットフィールドらを向こうに下働きで際立ち、5大会ぶりの白星を掴む。34―32。

会場のミックスゾーンで「……信じられへんね」とこぼした。

10月3日のサモア代表戦でも、タックルまたタックル。対するティム・ナナイ・ウィリアムズには、「僕たちのチームは彼にかなりスマッシュしていました。それでも彼は、スマッシュされても立ち上がり…を繰り返していた。どこにいてもトンプソンが出現していたのです。目の端っこには、常にトンプソンが見えていました」と驚かれた。

いずれ日本ラグビー協会の副会長候補と報じられる当時ヤマハ監督の清宮克幸氏は、都内の中継スタジオでの解説中に「この日のMVPは」といった風に聞かれ「トンプソン」と応じる。

26―5。ノーサイド。画面には、芝の上で膝を崩すトモさんが映っていた。

大会後の代表引退を決めたのは、本番前に長男のヘンリー勇人くんを産んだ妻のネリッサさんとの約束からだった。翻意したのもまた、家族の言葉によってだった。

2017年6月に期間限定でジョセフ体制の日本代表へ加わったトモさんは、翌2018年6月の日本代表対イタリア代表戦をテレビ観戦。「Fight(頑張れ)!」「Concentrate(集中だ)!」と叫んでいたら、ネリッサさんに「もし本当にやりたいのなら、私は止めないわよ」と背中を押されたのだ。

写真:森田直樹/アフロスポーツ
写真:森田直樹/アフロスポーツ

ナショナルチームでは、旧知の仲だったトニー・ブラウンがアタックコーチを務めていた。世間話の延長で復帰の可能性を探れば、「サンウルブズはどうだ」と耳にした。

サンウルブズとは、日本代表と連携を図るこの国のプロクラブ。若い頃のトモさんが行きたくても行けなかった、スーパーラグビーへ参戦している。晴れて37歳306日でリーグ史上最年長でのスーパーラグビーデビューを果たしたトモさんは、試合を重ねるごとに全盛時と近い働きをアピール。「一貫性」を求めるジョセフが代表に加えるのは、自然な流れだった。

「遅れて代表に入ったためにやらなくてはならないことがありますが、ワールドカップで成功したチームに一貫しているのは経験者が入っているということです」

2月からの合宿や3月以降の強化試合などで絞られた今度の選考結果および過程には、賛否両論がある。ワールドカップ経験者の山田章仁、立川理道は選外となり、6月中旬まであるサンウルブズのシーズンでのアピールが求められている。

それでも6月3日に都内であった約50分間のメンバー発表会見では、トモさんに期待する旨の質問がふたつも出た。そのたびにマイクを取ったジョセフは「私は、これまでロックの選出に苦戦しました。選手層が薄いからです」と、トモさんのような選手の必要性を訴えていた。

イングランド組のロックの多くはスパイクを脱いだりジョセフ体制下で選考されなくなったりしていて、スーパーラグビーでの成長が求められた日本の若手ロック数名もセレクションの網から外れた格好。過去のサンウルブズで活躍したサム・ワイクスやヴィリー・ブリッツも構想には加わらず、現在選ばれている海外出身者の一部は代表資格を得られない可能性もある。「おじいちゃん」と自嘲しながら「誰がおじいちゃんだって? 俺は27歳だよ!」と意気込みもするトモさんは、年齢や好感度とは無関係に貴重な戦力と目されているのだ。

 「いまのジャパンにはいいロックがたくさんいるけど、僕がもしサンウルブズでいいプレーができたら、いいバックアップオプションになれるね。でも、いまは、サンウルブズに集中。先のことを考えると、目の前の試合でベストを出せない。だから僕は、毎週、毎週のサンウルブズの試合に集中する」

2010年に日本国籍を取っているトモさんは、サンウルブズへの帯同中はこう自重していた。一瞬を生きる。

今年9月、もしふたつめの母国でのワールドカップでプレーしたら、現日本代表で唯一の4大会連続出場選手となる。

  • 取材・文向風見也

    スポーツライター。1982年、富山県生まれ。成城大学文芸学部芸術学科卒。2006年よりスポーツライターとして活躍。主にラグビーについての取材を行なっている。著書に『サンウルブズの挑戦 スーパーラグビー 闘う狼たちの記録』(双葉社)がある

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