日大アメフト事件 内田正人前監督の「成り上がり黒歴史」 | FRIDAYデジタル

日大アメフト事件 内田正人前監督の「成り上がり黒歴史」

なぜ正直に話さないのか 本当はどういう指導をしていたのか どうやって「成り上がった」のか

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元々は「寡黙で真面目な人」(大学アメフト関係者)という内田氏。権力を得ていくなかで、変容したのか

「内田(正人)氏は日大の現役アメフト部員時代、”日大史上、一番ヘタクソなセンター(オフェンスライン中央のポジションのこと)”と呼ばれていたそうです。基本、大学アメフトで、QB(クォーターバック)以外のポジションで、4年生が1年生に負けるなんていうことはまずないんです。にもかかわらず、彼が4年生の時、練習中に1年生の選手に”アオテン”させられていました。アオテンとは、選手どうしがぶつかった際に、一方の選手が仰向けに倒されてしまうこと。アメフトで最も恥ずかしいことなんです。それどころか、あまりに舐められていたからか、4年生のときには、1年生からボコボコに殴られたこともあったそうです。内田氏にとって学生時代は『黒歴史』なんです」(大学アメフト関係者)

5月23日に前監督の内田正人氏(62)と前コーチの井上奨(つとむ)氏(30)が会見を開き、「殺人指令」をかたくなに否定したのはご存じの通り。しかし、29日に関東学生アメフト連盟は内田氏らが反則行為を容認していたと判断。内田氏、そして井上氏に「除名」処分を下した。以降、内田氏は「体調不良」という理由で雲隠れしたままで、いまだ日大の常務理事の座にも留まったままなのだ(職務を一時停止して謹慎。5月30日現在)。

内田氏は埼玉県出身。東京・文京区の日大豊山高校に進んだ。同級生らは「印象に残っていない」と口を揃える。目立たない生徒だったようだ。日大に進学しアメフト部に入ったものの、前述したように選手としての実績は芳しくなかったようだ。卒業後、なんとか日大文理学部の職員に滑り込む。そうして”日大アメフト部の中興の祖”篠竹幹夫監督の下で、コーチとして働き始めた。篠竹監督の下で働き続けながら、当時、日大の保健体育事務局の幹部だった田中英壽氏(現理事長)にかわいがられた。「内田さんは田中さんの言うことをなんでも聞いて、毎日のように使い走りをしていた」(日大関係者)という。’03年、篠竹氏が勇退すると、代わって内田氏が監督に就任した。

「当時のコーチ陣には外部から招聘されていた人も多く、日大の職員で、なおかつ年齢的に監督をやってもおかしくない人が、内田氏しかいなかったのです。単にタイミングが良かっただけで、この人事に田中理事長の意向はなかったと聞いています。ただ、監督に就任すると、田中理事長を後ろ盾に、潤沢な予算を獲得し、アメフト部を強化していったのです」(前出・日大関係者)

’07年には十数年ぶりに関東リーグ優勝を果たすなど、結果を残した。田中理事長の意向をバックに、日大内での地位も着実に高めていった。’14年には人事部長に就任し、人事権を掌握。’17年にはNo.2である常務理事にも就任している。

「内田氏が現役選手たちに技術的な指導をするのは限界があったと思います。だから細かい指導はコーチたちに丸投げになり、精神的に追い込む、プレッシャーをかけるという指導しかできなかったんじゃないでしょうか。その結果があの”殺人タックル”なのだと思います」(前出・アメフト関係者)

スポーツライターの玉木正之氏はこう話す。

「内田監督らが『除名』という永久追放処分になることは当然でしょう。ただ、部に残っているコーチ陣などスタッフも一掃しなくては、本当の意味での解決にはなりません」

現在、警視庁が捜査一課などを中心に捜査を進めており、内田氏、井上氏も傷害罪の共犯としての立件を目指しているという。「正直に真実を話せば、逮捕されるかもしれない」。そう考えたのか。この期に及んですべての罪を若者におしつけようとしている内田氏は、卑怯千万としか言いようがないのだ。

東京・市ヶ谷にある日大会館(本部)。内田氏は40年かけて、着実に日大内で権力の階段を上っていった

撮影:蓮尾真司

 

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