包丁で母子を殺傷 「ストーカー男」を放置した警察の杜撰な対応 | FRIDAYデジタル

包丁で母子を殺傷 「ストーカー男」を放置した警察の杜撰な対応

平成を振り返る ノンフィクションライター・小野一光「凶悪事件」の現場から 第12回

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第2の桶川ストーカー事件ともいわれた、大分県豊後大野市での母子殺傷事件。この事件ではその凄惨な現場の様子とともに警察のあまりにも杜撰な対応に注目が集まった。ノンフィクションライター小野一光氏は、当時、病院に搬送された犯人の姿を追うとともに被害者の家族を取材、事件の真相に迫った。

病院の窓から外を眺める小野。病室には警察官が頻繁に出入りしていた
病院の窓から外を眺める小野。病室には警察官が頻繁に出入りしていた

大分県豊後大野市で22歳の女性と4歳になる娘が殺傷された事件が起きたのは、2005年10月19日のこと。

一報を受けて現場に急行したところ、無職の小野修(逮捕時31)が、同市のスナックで働く元交際相手の山田里香さん(仮名)宅に忍び込み、里香さんと前夫との長女・麻希ちゃん(仮名)の胸や腹などを包丁で刺して殺害。里香さんの頭や腕にも切りつけて、全治3カ月の重傷を負わせたことがわかった。

犯人の小野は、犯行後に自分の左胸を刺して病院に搬送されていたが、命に別状はないとのことで、傷の回復を待って逮捕される見通しだという。

そこで『FRIDAY』のカメラマンは、小野が入院している病院を見渡せる場所に張り込むことにした。すると、警察官と思しき男性が頻繁に出入りする部屋があることに気付いたのである。その部屋の出入口に的を絞ってレンズを向け続けたところ、看護師に車椅子を押される小野の姿を発見。顔写真を撮影することができたのだった。

一方、私ともう1人の記者が関係者の周辺への聞き込み取材を続けたところ、生々しい犯行時の状況も浮かび上がってきた。

「麻希ちゃんと里香さんの姉の娘が2階に上がってすぐに、『ギャーッ』という悲鳴が聞こえました。驚いた里香さんが階段に向かうと、そこに包丁を持った小野がいて、襲いかかってきたのです。そこで里香さんが隣の家に逃げると、小野はガラスを割って彼女を引きずり出し、馬乗りになって切りつけてきました。しかし、里香さんの祖母が小野を引きはがしたことで、彼女は近くの家に逃げることができました」

そう語ったのは山田家と親しい人物である。小野は2階の押し入れに隠れており、そこにはタバコの吸い殻やビールの空き缶が何本も残されていた。証言者によれば、麻希ちゃんと里香さんを襲ってからも、小野の蛮行は続いたという。

室内には、返り血を浴びた小野の手の跡がべっとりと残っていた
室内には、返り血を浴びた小野の手の跡がべっとりと残っていた

「すでに麻希ちゃんを刺していた小野は、もう1度山田家の2階に戻りました。そのとき別の部屋で里香さんの姉と彼女の子供が隠れていたのですが、手と顔を血まみれにして包丁を持った小野がその部屋の扉を開き、『俺の気持ちがわかるかー』と叫び、麻希ちゃんが横たわる部屋で自分の胸を刺したのです」

小野と里香さんが出会ったのは、彼女が働くスナックでのこと。同店の関係者は語る。

「小野は色白でちょっと男前。背は165cmくらいと小柄でしたが、セルシオに乗り、里香さんには『大阪の伯父が会長を務めるIT企業で社長をしている』と説明していました。それで2人は去年(04年)の10月頃から付き合い始めたんです」

だが、小野が話していた内容はほとんどが嘘だった。豊後大野市出身の彼が地元で定職に就くことはなく、昼間はパチンコ屋に通い、夜はスナックに入り浸る生活を送っていた。スナック関係者は続ける。

「最初は”いい客”だったんですが、だんだん店の払いが悪くなり、結局3万~4万円のツケがいまも残っています。あと、無職だから自分では契約できなかったんだと思いますが、携帯電話も里香さんの名義で契約していました。そんな状況に愛想を尽かしたんでしょう。今年(05年)の夏に里香さんからは、『(小野と)別れた』と聞いていました」

この関係者によれば、里香さんから別れを切り出された小野は、ストーカーと化したのだという。

「店にも里香さんの携帯にも、何度も電話してくるようになったんです。ママが叱ったら『もう店にも電話しません。すみません』と謝るけど、電話もストーカー行為も止まらない。ママが電話に出るとすぐに切れてしまうんです。里香さんを尾行したりとかもしていて、本当に怖かった。事件の数日前には、『言うことを聞かんかったら、お前も子供も殺して、俺も死ぬ』と、予言めいたことを言っていたそうです」

こうした小野のストーカー行為について、里香さんの友人も語る。

「彼女の実家に土足で上がり、刃物を振り回したこともあったようです。里香さんは精神的に参っていて、『生きた心地がせん』と話していました」

そのため、事件前の9月7日は家族が、10月5日には里香さん本人が姉と一緒に所轄署に出向いて相談したのだが、対策が取られることはなかった。里香さんの母・真知子さん(仮名)は当時、我々の取材に対して次のように憤っている。

「里香とお姉ちゃんが行ったときに、相手の警察官から『××町(里香さんが住む地域)には他にもストーカーが多いけん。あんた方だけじゃないんで』と、里香のことまで手が回らんみたいなことを言われたんです。実際、里香は助けて欲しいと言っとるのに、なんにもやってくれんかった。その場では小野がうちで包丁を振り回したことも伝えとるんですよ。けど、相手の警察官は『それは時間が経ちすぎとる。そのときに言わんと、現行犯じゃないと逮捕できんから』と言ったそうです」

こうした警察の対応に失望した里香さんだったが、小野が娘と自分の殺害を口にするようになったことから、ふたたび10月8日に所轄署へ助けを求める電話をかけていた。真知子さんの証言は続く。

「自分で『ストーカー行為でそちらに相談している山田里香ですけど』と名乗ったうえで、怖いからいますぐそっちに行ってもいいか尋ねたそうです。そしたら電話に出た相手に、『今日は担当者がおらんから、来週ならおるから』と言われたんです」

結局、事件が発生するまで、所轄署は小野に接触することはなかったのである。こうした対応について、大分県警本部生活安全企画課にコメントを求めたところ、「まだ捜査中で事実確認が全部終わっていない。捜査に影響があるため、現時点ではコメントできない」との、木で鼻を括るような言葉しか返ってこなかった。そうしたことから、当時の誌面ではその文面のみの掲載に止まっている。

事件発生から約1週間後、まだ生々しく血痕が残る自宅で真知子さんが語った、娘の里香さんから聞いた言葉を、我々は翌週に続けて出した第2弾の記事の冒頭に、コメントとして使用した。

「(小野)修に馬乗りになられ、ザク、ザクと自分の頭に包丁の刃が刺さる音を聞きながら、里香は、『ああ、これが警察の言いよった、なんかあったら110番しなさいっちいうときなんやろうな』と、思いよったそうです」

まさに当時の警察の杜撰な対応が、浮きぼりになる事件だったのである。

小野は、「大阪でIT企業の社長をしている」などと言って、里香さんに近づいたという
小野は、「大阪でIT企業の社長をしている」などと言って、里香さんに近づいたという
  • 取材・文小野一光

    1966年生まれ。福岡県北九州市出身。雑誌編集者、雑誌記者を経てフリーライターに。アフガン内戦や東日本大震災、さまざまな事件現場で取材を行う。主な著書に『新版 家族喰い 尼崎連続変死事件の真相』(文春文庫)、『全告白 後妻業の女: 「近畿連続青酸死事件」筧千佐子が語ったこと』(小学館)、『人殺しの論理 凶悪殺人犯へのインタビュー』 (幻冬舎新書)、『連続殺人犯』(文春文庫)ほか

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