巨漢だが俊敏…仏代表を去った「マチュー・バスタロー」という才能 | FRIDAYデジタル

巨漢だが俊敏…仏代表を去った「マチュー・バスタロー」という才能

藤島大『ラグビー 男たちの肖像』

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問答無用の破壊タックル

強烈で、破壊的で、怪物的であり、悪童めいて、どこか幼く、アスリートの理想の均整とは対極にあって、スポーツ生理学の学術的成果を無視するかのごとく肥え、腰の周囲はワイン樽のサイズにも達し、なのに彼はスクラムを押すフォワードでなく、押したあとの球をもらって走るバックスなのだった。

先日、残念なニュースが流れた。

マチュー・バスタローは日本へやってこない。このほどワールドカップのフランス代表の編成を外され、自身で「国際ラグビーからの引退」を明かした。

こんなにまで太っていても素早く動けるという絶滅危惧種のフットボーラー、ほとんど最後かもしれぬロマンの実物を目撃することは許されない。

身長182㎝。問題の体重は「120㎏」とされる。後者について信じる者は、よほど無垢な少年少女ファンを除くと少数である。偽りなき数字はフランスの国家機密かもしれなかった。ポジションはセンター。あらためてプロップではない。

30歳。現代のプロにあって年寄りではあるまい。なのに代表から除外。考えられる理由はひとつしかない。「これからのフランスはバスタローのような試合をしない」。それだけだ。バスタローが調子を崩したのではなくバスタローを求めない。

鉄の皮に覆われたサイ。大聖堂の鐘に羽根が生えたみたい。人間ダム。ともかく、ぶちかましの迫力は破格で、それでいて密集のボールを瞬時にかすめとるような巧さも備えていた。もっとも腹の引き締まった選手ほど横に広くは動けず、いくら駆けても息まるで乱れず、とは運ばない。

おのれが「問答無用の突進および破壊タックルという世界」をつくる。こちらへ引き込めば、オールブラックスの選手でも恐怖を覚える。しかし「よくフィットした者たちのよき世界」に連れていかれると異質が弱みとなりかねない。ここのところは監督の腹の決め方だ。どうやらフランスは後者に備えた。

本人のインスタグラムでの代表引退宣言。

「楽な道ばかりではなかった。でも、この(フランスの)ジャージィをまとうことは私の最大の誇りだった。国を、家族を代表できるなんて。なんたる名誉」

バンリュー。フランス語の「郊外」。パリ中心部の周縁、移民の多く暮らす土地やそこの公共住宅を示す。エッフェル塔の16㎞南、マシーという街に育った。両親はカリブ海のグアドループ島の出身である。

巨漢のセンター。マチュー・バスタローは、ラグビー界において異質の才能だった/写真アフロ
巨漢のセンター。マチュー・バスタローは、ラグビー界において異質の才能だった/写真アフロ

よいことも、悪いことも

報道を引くなら「その(バンリューと呼ばれる)地域出身では初のラグビーの国際的ヒーロー」(インディペンデント紙)。そこはサッカーの才能の供給地であった。

マチュー少年は丸でなく楕円のボールを選んだ。「13歳にして非凡だった。いまとあまり変わらぬほどに」(同前)。9年前、当時のコーチがそう語っている。

早熟は実る。2007年、富裕層のひしめくパリ16区に本拠を構えるクラブ、スタッド・フランセとプロ契約。2年後にフランス代表へ選ばれる。

そして楽でない道。

’09年6月。ニュージーランドへ遠征。テストマッチの夜、ウェリントンで顔を血だらけにした。試合中ではなかった。試合後に。

「4人か5人の暴漢に襲われた」

20歳のマチューは明かした。警察が動く。ニュージーランドの首相がわざわざ謝った。

嘘だった。実際は、泥酔状態のままホテルへ朝帰り、部屋で服を脱ぎ、そのときバランスを崩し、転び、かの全体重もろとも顔面からテーブルにぶつける。ひどい出血を招いた。

著書にこうある。

「パニックに陥った」

チーム医師に縫ってもらうと、どうして傷ついたのかと聞かれた。

「白状すべきだった。自分は酔っていると。でも自分の行状にプライドを持てず、罰もこわかった。チームのマネジメントに信頼を寄せることなしに嘘をついた。ひどい結果が待っていた」(『Tēte haute-Confessions d’un enfant terrible du rugby』NZヘラルド紙を引用)

罪の意識にさいなまれるも引き返せない。監視カメラなどの解析で真相がわかる。こんどはフランスの首相が謝罪文を送った。

チーム離脱、国へ戻される。

ウェブ上に匿名の非難があふれた。またアルコールにおぼれる。さらに。

「飛び起きてキッチンへ向かった。大きなナイフをつかんで静脈を切った。床に倒れて、意識をなくした」(同前)

友人の気転で助かる。どこまで本気で死を望んだかは当人にもわからない。少なくともみずからをみずからが罰したかった。

心理学の専門家に支えられ、翌’10年の6ヵ国対抗に代表復帰、’15年、前回のワールドカップにも出場した。最近は副将や、主将不在の際のキャプテンシーの代行を務めていただけに意外な「落選」であった。

よいこと悪いこと。ふいのおしまい。

爆発力を身上としてきた巨漢は衰えをさらす前に記憶のギャラリーに収められた。ドーン。ドカーン。

一瞬こそは永遠なり。スポーツの特権である。

※この記事は週刊現代2019年7月6日号に掲載された連載『ラグビー 男たちの肖像』を転載したものです。
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  • 藤島大

    1961年東京生まれ。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。雑誌記者、スポーツ紙記者を経てフリーに。国立高校や早稲田大学のラグビー部のコーチも務めた。J SPORTSなどでラグビー中継解説を行う。著書に『ラグビーの世紀』(洋泉社)、『知と熱』(文藝春秋)、『スポーツ発熱地図』(ポプラ社)、『ラグビー大魂』(ベースボール・マガジン社)など

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