JKのカリスマ・kemioが23歳逆境人生を独白

両親の死亡、オーディション落選……。それでも腐らず戦い続けるハーフの波乱万丈半生

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’95年、東京都町田市生まれ。父はイタリア人とイラン人のミックスで母は日本人。歌手やモデルとしても活動中 生き方エッセイ『ウチら棺桶まで永遠のランウェイ』がベストセラー

両親はいないが気にしない

「『フライデー』さんってことはパパラッチですよね!? いつもパパられていらっしゃるんですか? 怖い〜!」

スラっと背の高い青年が人懐っこい笑顔を浮かべて現れた。彼の名前はkemio(23)。いま、女子高生を中心とする10代の男女に「カリスマ」と崇(あが)められているクリエイターだ。

主な活動内容は、日常で経験したこと、感じたことをYouTubeやインスタグラムで発信することだ。『韓国の激辛ヌードルをお口に添えた件』『アメリカの教科書に書いてある日本の学生事情がヤバみ』などの動画が受け、YouTubeのチャンネル登録者数は138万人を超える。人気の秘密は、動画内で彼の口から飛び出す風変わりな言葉にある。

「あげみざわ」(「テンションが上がっている」という意味)

「どこまでいっても渋谷は日本の東京」

こうして次から次へとキャッチーな言葉を紡(つむ)ぎ出す彼の脳内は、いったいどうなっているのだろうか。

「ワードメーカーだとか、皆さんよく言ってくださいますけど、ボク的には語彙(ごい)力が足りないのでなんて表現したらいいかわからないだけなんです。脳内は簡単な語彙だけでできた工場みたいな感じ。『出荷間に合わない、どうしよう』って思いながらなんとか知っている言葉を組み合わせて『発射!』みたいな。毎回、『伝わって良かったな』って思ってます」

物怖(お)じしない彼は、一見ポジティブな自信家のようにも見える。だが実際は、幼少期から多くのハンデを背負い、それらをはねのけてきた努力家でもある。

彼が生まれたのは’95年。2歳の頃に両親を亡くし、祖父母に育てられた。

「物心ついたら両親は亡くなっていて、”天国のギャル”になっていました。僕、ギャルって自分の道を突き進んでいて大好きだから、両親のことも親愛の意味を込めてそう呼んでます。両親がいなくても、祖父母が大切に面倒見てくれたので気にしたことはなかったです」

小さい頃から目立ちたがり屋だった彼は、小学6年生でジャニーズJr.のオーディションを受けたことを皮切りに、あらゆるオーディションを受け続けた。

「タレント事務所やドラマのオーディションなど、『有名になりたい』の一心で片っ端から受けて片っ端から落ちまくりました。ショックはありましたが、やり続けないと叶う目標も叶えられないので。『5億円ほしい』って思っても、シンプルに朝起きてベッドの横に5億円が置いてあるなんてことないじゃないですか。自分の目標を達成するにはやりたいことだけやってちゃいけない。落ちるのも目標までの通過点だって考えてました」

初めて結果が出たのは高校生のとき。ティーン向け雑誌『HR』への出演だ。

「『HR』の出演者募集に何度も応募したけど編集部から音沙汰がなくて、メールまでしたんです。『大丈夫ですかー、届いてますかー』って。しつこく連絡したおかげか、少し後に『HR』に出させてもらえた。戦いは誰かに止(や)めさせられるものじゃなくて、自分で納得いくまで続けるものなんだって、気づけた瞬間でした」

同じ時期、動画共有サービスのVineを始め、その中の『高校生あるある』ネタを話す動画が人気を集める。

「SNSで知らない人から悪口を言われることも増えました。そんなときは『なんか宇宙から交信キタ!』ってスルーしてます。そういう人たちはもっと自分のために生きればいいのにって思います」

英語もゼロから身に付けた

Vineに続き、ツイッター、インスタグラム、YouTubeと活躍の幅を広げていったkemio。どこまでもポジティブに見える彼だが、落ち込むことはないのだろうか。

「もちろんあります。でもそんなときは、祖父母に言われた『文句が出るのは自分がちゃんと努力していないから』って言葉を思い出すようにしています。テレビの収録でうまく喋(しゃべ)れなくて愚痴が出そうになるのとかって、結局自分が事前準備を怠っていたせいなんですよね」

そんな彼が現在暮らしているのはアメリカ・ロサンゼルス。20歳のときに単身渡米し、いまもアメリカで暮らす彼だが、当時はまったく英語を話せなかった。

「みんなが僕をSNSのフォロワー数だけで評価するようになってきたのが嫌で、もっと自分の中身を濃くしなきゃって思ったんです。そこで思いついたのがアメリカ留学。ハーフだけど日本語しかわからなかったので、アメリカでは語学学校の一番下のクラスに入学しました。しかも、『アイムフロムジャパン』しか喋れないのに毎日バーに通って、『Yeah』だけリズム良く刻んでた。そしたら、英語を話せるようになるまで”秒”でしたね」

芸能活動も語学留学も、初めからうまくはいかなかった。だが、腐らず努力を続けることで、彼は成功を手にしてきた。

「留学中、『もう帰りたい』って思うことの連続だったんですが、一晩寝て、すぐ忘れるようにしていました。人生の闇ってどんどん訪れてくるから、一個一個早めに手放して『はい、次の闇、次の闇、こんにちは』ってやっていかないと追いつかない。やりたいことやって、人生というランウェイを全力で歩んでいます」

kemioの言葉がささる理由――それは、言葉の一つ一つが、彼の実体験に基づいているからかもしれない。

波瀾万丈な23年間の人生

幼少期のkemio。東京都町田市で生まれ育った。幼い頃は『仮面ライダー』など男の子趣味の番組より『おジャ魔女どれみ』など女の子趣味の番組が好きだったという
高校のときの親友・ナディヤさんと。いまでも学生時代の友人と『サイゼリヤ』などのファミレスで食事をすることが多いそうだ
レディー・ガガの大ファンで、「自分の生き方を肯定する」という彼のポリシーもガガの歌詞に影響を受けている
アメリカでできた友人たちと撮った写真。いまでは英語を流暢に話すことができ、アメリカ・ロサンゼルスを拠点に活動を続けている
これまでの人生に点数を付けるなら、「不明点。それって他人に言われて初めてわかるものだから」とのこと
本誌未掲載カット JKのカリスマ・kemioが23歳逆境人生を独白
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『FRIDAY』2019年7月12日号より

  • 撮影結束武郎

Photo Gallary11

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