甲子園で有名な「白河の関」で、最近起こっていた「ある変化」

大正、昭和、平成で果たせなかった「真紅の大優勝旗」最後の砦に行ってみた

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昨年は秋田県の金足農業高校の快進撃に期待が集まったが、「白河の関」の壁は高かった…/写真アフロ

白河の関、100勝0敗

第100回夏の甲子園。秋田県立金足農業高校の快進撃に、日本中は沸きに沸いた。平成最後の夏、深紅の大優勝旗はついに東北の地にもたらされるのか? 日本中が固唾を呑んで見守ったが、エース吉田輝星(現・日本ハム)が打ち込まれ、金足農業は2ー13と大阪桐蔭高校に粉砕される。

優勝の大本命・大阪桐蔭はたしかに強かった。レギュラーに根尾昂(現・中日)、藤原恭大(現・ロッテ)、横川凱(現・巨人)、柿木蓮(現・日本ハム)と4人もプロ入りした選手が揃う黄金世代とあっては、仕方ない結果だったろう。

春夏あわせて190回のチャレンジを重ねても、東北には、まだ一度も甲子園の優勝旗がもたらされていない。ダルビッシュ有(東北高校→現・カブス)、菊池雄星(花巻東高校→現・マリナーズ)、大谷翔平(花巻東高校→現・エンゼルス)らでも破ることができなかった高校野球界最強の砦、それを「白河の関」という。

金足農業が準優勝に終わったとき、ネットには「白河の関、100勝0敗」「鉄壁のクローザーだ」といった言葉が踊った。

…と、こんなに野球ファンの間では有名だけど、ところで現実の「白河の関」ってどこにあるのだろう?  知ってそうで知らない「白河の関」に行ってみた。

福島県白河市にある「白河関」碑。白河神社の参道下にあり、目の前を県道76号線が走る

近年、準優勝は増えているものの…

白河の関にまつわる言葉は、昭和と平成で少しばかりニュアンスが違う。

「甲子園の優勝旗は“白河越え”を果たせない」

昭和の時代には、それはあたかも定説のように語られていた。関東以北の地は冬に雪が降ってグラウンドが使えず、練習不足になるため不利。高校野球が屋外スポーツである以上、雪の降る土地の代表校が優勝できないのは仕方がない――指導者も球児もそう思い込んでいた。

そんなジンクスを平成16(2004)年、南北海道代表の駒大苫小牧高校が覆す。駒大苫小牧は翌年夏も優勝して連覇を果たし、白河以北の高校は勝てないものだ、という潜在意識は次第に薄れていった。実際、それまで決勝進出がまれだった白河以北の高校が、“駒苫以後”は当たり前のように強豪校として名を連ねるようになっている。八戸学院光星(青森)が2011、2012年に連続準優勝、2015年仙台育英(宮城)、2016年北海(南北海道)も準優勝、そして2018年の金足農業(秋田)と、数年に一度は白河以北の代表校が決勝まで駒を進めている。

ところが、それでもまだ、東北に優勝旗がやってこない。そのため、最近では、起こりそうで起こらない「不思議現象」のようなニュアンスで、“白河越え”は語られるようになった。

しかも「深紅の大優勝旗は空路で北海道に渡ったから白河の関はまだ破られていない」という説が定着。東北の代表校が敗れ去るたびに、「白河の関、強すぎ!」という書き込みがネットに現れるのは、まさにそういう気持ちなのだろう。

ここでちょっと野球から離れて、実在の「白河の関」がどういうものだったのかに戻ってみる。(歴史上の白河の関は「白河関」と表記する)。

白河関は、6世紀頃に大和朝廷によって蝦夷に対する防御を目的に築かれた軍事要塞だった。その後、律令制度が確立し、全国に整備された国道の一つ=東山道(とうざんどう)の関所となり、下野国(現在の栃木県)と陸奥国(現在の福島県)の境目とされた。昔は東北全てを指して「陸奥(みちのく)」といったから、まさにここが「東北の入り口」だったわけだ。

ただ、一般的な関所のイメージと、白河関はちょっと違う。

関所というと、日本で一番有名なのは、たぶん「箱根の関所」だろう。歴史の教科書で習った、幕府の役人がいて「入鉄砲(いりでっぽう)に出女(でおんな)」を厳しく検問し、大名行列が通過するというアレだ。しかし、白河関は大名行列も通らなければ、幕府役人の目も光っていなかった。それどころか、江戸時代は、ここはただの小山だった。

巨木が林立する白河関の敷地。山の中腹には空堀もあり、要塞の雰囲気が漂う

白河関が、関所として機能していたのは、じつは平安末期まで。源義経が匿われていた奥州藤原氏のもとから、挙兵した兄・源頼朝が本拠とする鎌倉に駆け付ける際には、この白河関を通過しており、その頃はまだここが関東への幹線道路だったことがわかる。

だが、律令制度が崩れて武士の世となり、群雄割拠の時代になると、東北地方の主要街道は旧奥州街道(国道294号線)、そして現在の幹線である国道4号線方向へと変わっていった。

「おくのほそ道」で有名な松尾芭蕉(1644-1694)が白河を訪れたときには、わざわざ白河関“跡”を探し出して、句を詠んでいるぐらいで、つまり元禄時代にはもう「白河の関」は、土地の古老に聞いて探さなければわからないぐらいの廃墟となっていたのだ。

幕末、白河は戊辰戦争(東北戦線)の序盤で最も激戦となった地のひとつだったが、その「白河の戦い」でも、白河関では何の戦闘も行われていない。それぐらいここは忘れられた土地だった。昭和41年になって、国が史跡として認定したことで、ようやく整備が進み、現在は「白河関の森公園」として開放されている。が、いまもふだんは閑散とした雰囲気に包まれている。

白河の関に行くには、東北道・白河ICを出て白河市街から南下するのが一般的。だが、栃木県側からこの細い県道76号線を北上していくほうが「白河越え」の気分が味わえる

昨年、白河の関に立てられた「あるもの」

閑散とした場所、と書いた「白河の関」だが、そこに昨年、ちょっとした変化があった。なんと! 白河の関についに「高校球児応援看板」が立てられたのである。

県道76号線に面して立てられている「高校球児応援看板」。巨大「通行手形」は、今のところ市販されていない、甲子園代表校のための「特注品」だ

「実を言うと、この看板、去年、金足農業が決勝戦に進出する直前に急遽作ったんですよ」というのは、白河神社の関守・川瀬ムツ子さんだ。

「あれよあれよという間に金足農業が勝ち進んだでしょ。それにつれて、どんどん問い合わせも増えて、いよいよ“白河越えだ!”って、白河の町も盛り上がってね。決勝戦の日は、『白河関の森公園』内のお蕎麦屋さんで、みんなでテレビ見て応援して。60人ぐらい来たかなぁ。ここは福島県だけど、東北全部応援してますよ。特に去年はすごかったですね」

じつは、白河神社は、もう20年近くの間、東北各県の代表となった高校に「白河関通行手形」と必勝祈願のお札を送っているのだという。

白河神社氏子で作る「敬神会」会長の三森繁氏が語る。

「お札と通行手形を贈るようになったのは平成9(1997)年の夏の甲子園から。当時、私は市議会議員をつとめていたのですが、町を回って市民の声を聞いたりしていたとき“甲子園の季節になると、どうしても東北の高校が白河の関を超えられない、ということが話題になる。白河の関がある地元として、何かしたほうがいいんじゃないか”という意見があったんですね。なるほど、と思ってね。白河神社のお札と通行手形を甲子園に出場する東北6県の代表校に贈ったらいいんじゃないか、と。それに、もしそういうつながりがあれば、本当に優勝旗が白河越えをしたら、きっと優勝チームが白河関に来てくれるだろうし」

なるほど、町おこしの一環でもあったというわけだ。たしかに昨年、吉田輝星投手と金農ナインが白河に来ていたら、大騒ぎになっていたことだろう。

そこで毎年、甲子園の出場校が決まり始めると、三森さんが「通行手形」を手作りで書き上げ、お札とともに白河神社の宮司に魂込めをしてもらって、各県の代表校に送り届ける、という“秘儀”が定着した。

「最初の頃は、東北の中でも宮城、山形、それに地元福島といった近県の野球部には手渡しに行っていました。皆さんとっても喜んでくれて、聖光学院とかでは『せっかくだから練習見て行ってください』と監督さんがグラウンドに呼んでくれたりして。ただ、東北全県を回るのはさすがにちょっと大変ということで、今では郵送しています」

地方大会で雨が続いて順延が重なり、出場校の決定が遅れると、甲子園までにお札が届くだろうか、とやきもきしたりするという。

「魂込めも念入りにしていただいてますから、けっこう手間と時間がかかるんです」(三森さん)

2016年のセンバツ時、青森山田高校へ送ったお札。大会終了後に「処分していいかどうかもわかりませんので」と丁寧に返却されたものを社務所で記念に保管している。このように時折、返却してくる高校もあるそうだ

地元民が一番望んでいる

昨年、初めてパブリックビューイングを行ったのも、三森さんのアイデアだった。

「去年は盛り上がりがすごくて、市長さんはじめ、皆で集まって応援しました。その前に、白河神社のお札と白河関の通行手形を代表校に送る作業をNHKローカルが放送したことも大きかったかもしれません。最初は『神事だから、撮影なんてだめだ』とお断りしたんですけどね。でも市民の皆さんからの関心が高くなったし、パブリックビューイングのときには福島民友や福島民報、読売新聞などローカル局10社が取材に来ました。結果は残念だったけれど、もう東北の学校もかなり強くなっているから、いずれ白河越えはあるでしょう。いつ優勝してくれっかな、と楽しみにしています」

白河市内には3校があるが、残念ながらいずれも甲子園に出場したことはない。では白河の関に(物理的に)一番近い甲子園出場校はどこだろう。グーグルマップで検索してみると、東北の出場校で、白河の関に一番近い学校は、2006年夏に初出場した県立光南高校(関から21.4km)だった。続いて、元仙台育英の指揮を執った佐々木順一朗氏が監督に就任して注目を浴びている学法石川高校(29.4km)。昨年まで12年連続15回出場している聖光学院高校は、実は県内強豪校の中で最も白河の関から遠い(99.7km)。

(聖光学院が一番、白河の関から遠いなんて、不思議な感じだなぁ……)

そんなことを考えながら帰り支度をしていた時、「白河関」碑のはす向かいにある『やたべ』というラーメン店に行列ができているのに気がついた。そういえば、ここは市内でも評判の名店だと聞いた記憶がある。午前11時から開店して、スープが終わる午後1時頃には終了するはずだ。「まだ入れますか?」と聞くと、あぁ、1名ならば大丈夫です、と店内に通された。どうやら最後の一人ぶんだったらしい。カウンターで急いで注文をして振り向くと、壁に何枚も張られている聖光学院のペナントが目に入った。

「常連のお客さんが聖光学院のOBで、甲子園に行くたびにこうやって買ってきてくれて」と店員さんが笑う。店内を見回すと、ペナント以外にも甲子園ののれんやキーホルダー、ほかにもさまざまな聖光グッズが置いてある。

その常連客さんは、きっと「来年こそは白河の関を越えてくれ」と祈りながら、このお店にグッズを置いていくのだろう。

今年も東北各地で「白河越え」に挑む球児たちの夏が始まる――。

『やたべ』の店内に張られた聖光学院のペナント。常連さんの熱意にひっぱられ、聖光学院が勝ち進むと、中継時にファンが集まってくることもあるという

 

白河関の森公園/福島県白河市旗宿白河内7-2

やたべ/福島県白河市旗宿広表74-1 TEL:0248-32-2007

  • 取材・文・撮影(白河市)花房麗子

Photo Gallary7

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