光GENJI、SMAP、嵐…ジャニー喜多川が生み出したスター達
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9日午後4時47分、ジャニーズ事務所社長のジャニー喜多川氏が、解離性脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血のため亡くなった。享年87。12日に都内で執り行われた「家族葬」には、ジャニーズ事務所所属のタレントら約150人が参列した。
ジャニー喜多川氏が芸能界に与えた影響は計り知れない。ジャニー氏が、日本でエンターテインメント事業を手掛け始めたのは1960年代。そして’62年、ジャニーズ事務所を立ち上げる。
「『フォーリーブス』、郷ひろみ(63)、川﨑麻世(56)らをデビューさせましたが、実際に事務所が軌道に乗ったのは、’80年代に入ってから。田原俊彦(58)、近藤真彦らの『たのきんトリオ』がブレイクしたのが大きかった」(大手芸能プロ関係者)
その後、本木雅弘(53)、薬丸裕英(53)らの『シブがき隊』、東山紀之らの『少年隊』など、人気グループを次々に売り出し、さらに『光GENJI』の爆発的な人気は社会現象にまでなった。
「7人組の『光GENJI』は、ローラースケートで踊りながら歌い、バック転も行うという、当時のアイドルとしては非常に画期的なグループでした。’88年には『パラダイス銀河』で同年のレコード大賞も受賞するなど、凄まじい人気を誇りました」(テレビ局関係者)
ジャニーズ事務所は、ジャニー社長と姉のメリー喜多川副社長の二人によって運営されていたが、そこには明確な役割分担があった。タレントの育成面をジャニー氏が担い、経営面をメリー氏が担っていくことで、事務所の運営が保たれていた。
「入所を希望する少年を選抜するのはジャニーさんの役目でした。将来、スターになれる素材かどうかを見極める審美眼はピカイチでした。スターを見つける能力は天才的でしたね」(前出・芸能プロ関係者)
ジャニー氏のそうした手腕は、’90年代に入ってからもさらに磨きがかかっていく。それが国民的アイドルとまで称された『SMAP』の誕生である。
「『SMAP』は’91年にデビュー。デビュー直後、しばらくは不遇をかこっていましたが、’92年『夢がMORIMORI』(フジテレビ系)でコントに挑戦したことがきっかけで人気に火が付きました。これまでのアイドルとは異なり、バラエティや司会もこなすなどし、以後、人気を不動のものとしました」(前出・テレビ局関係者)
その後のジャニーズ事務所の勢いは言うまでもない。『TOKIO』『V6』から『嵐』『関ジャニ∞』『KAT-TUN』『Hey!Say!JUMP』など次々に人気グループを誕生させていく。
「ただ、’16年には『SMAP』が解散。『KAT-TUN』や『関ジャニ∞』もメンバーが脱退し、『嵐』の’20年での活動休止が発表されました。これまで事務所を支えてきた屋台骨が揺らぎ始めているのも事実です」(スポーツ紙芸能担当記者)
そうした動きを見越してなのか、今年1月、ジャニー氏は、自らが手掛けていたジャニーズJr.の育成を、滝沢秀明に委ねる決断をした。
「ジャニー氏自ら後継者として選んだのが滝沢でした。滝沢はジャニーズJr.のプロデュースを手掛ける『ジャニーズアイランド』の社長に就任。今後、Jr.たちの育成は滝沢の手腕にかかっていると言っても過言ではありません」(芸能リポーター)
200人近いタレントをデビューさせ、年間売り上げ1000億円以上とも言われるアイドル帝国を築き上げたジャニー喜多川氏。その死去によって、ひとつの時代が終わりを告げたのだった。
たのきんトリオ
光GENJI
V6
ファンクラブ会員数トップクラスの超人気グループ
会員数200万人超え 嵐
関ジャニ∞
Hey! Say! JUMP
『FRIDAY』2019年7月26日号より
- 撮影:菊地弘一、結束武郎、蓮尾真司