NTTコムで輝く、若き韓国の才能「張容興」を知っているか? | FRIDAYデジタル

NTTコムで輝く、若き韓国の才能「張容興」を知っているか?

藤島大『ラグビー 男たちの肖像』

  • Facebook シェアボタン
  • X(旧Twitter) シェアボタン
  • LINE シェアボタン
  • はてなブックマーク シェアボタン

7人制でも、15人制でも

あやしい第一発見者。本稿の筆者である。勝手に「私が見つけた」と信じたい。

すごく長いからこそ正式名称を記したくなるクラブ、NTTコミュニケーションズシャイニングアークス、その背番号15のルーキーのはつらつたるランを眺めながら、ほら、やっぱりね、と、どうにも嬉しい。

張容興。25歳。「チャン・ヨンフン」と読む。175㎝。80㎏。韓国はソウルの名門、延世大学校時代に同国代表に呼ばれ、おもにウイングでトライを重ねた。卒業後、軍体育部隊の「尚武」で兵役義務を終え、来日、6月23日のトップリーグカップの東芝ブレイブルーパス戦でデビューを飾り、そこから連続出場を果たした。

2017年9月。韓国の仁川。この若者の才能を見た。「アジアラグビーセブンズシリーズ」。15人制での走りっぷりなら知られていたが、7人制ではスクラムハーフの位置に回り、賢く、気の利く攻守を披露、なんといい選手なのだろうと心をつかまれた。

ウイングのみならず、むしろ背番号9として日本のトップリーグで力を発揮できる。そういえば「求む、ハーフ」のチームがあったなあ、とふと思い浮かび関係者に「韓国にて才能発見。調査されたし」とメールを送りたくなった。ニュージーランドの選手についてこんなことはしない。韓国にいると「ラグビーがマイナーな国の若者にも機会を」という感情がつい前に出てしまう。

ただし性急は慎まなくては。ラグビー選手獲得には、近しい人間からの情報、いわゆる「ヒューミント」が欠かせない。うまい、強い、なんて、よきラグビー選手のパートに過ぎない。深慮と豪胆の両立、信じる素直さと疑う力のバランス、向上心と協調性の調和などなど個性がいちばん大切なのだ。

世界で唯一の韓国ラグビー報道エキスパート、見明亨徳さんの交友を頼り、張容興本人の大学時代のコーチに現地で会えた。ソウル鍾路3街。おそろしく安価、なのに実においしい、それは人気の豚焼き肉店で李明根さんとビールを交わす。冷静で鳴った元代表の9番、ワールド、クボタに長く在籍、きれいな抑揚の日本語を話す。

教え子のチャン・ヨンフン、15人制でもハーフをできるのではありませんか?

「どこでもできますよ」

そして重要な評価。

「彼は頭がものすごくいいのです。練習で教わったことを絶対に忘れません」

まさに核心の情報ではないか。これなら「Enter」キーを押せる。

「みんな優しく、楽しい」

結局、おせっかいな取材者とはなんの関係もなくNTTコム入団は決まった。そして「ハーフがよいのでは」のこれまたおせっかいとは無縁、フルバックとして公式戦の先発に名を連ねている。

東芝戦後、取材通路で聞いた。来日を果たして、いま考えていることは?

「高校からの夢でした。ここ秩父宮ラグビー場で試合に出られるのは気持ちがよいです」

通訳はシャイニングアークス所属で大学の先輩、諸葛彬、この人物の日本語の能力も際立っている。

トップリーグの印象は。

「基本の技術と組織力に優れています。韓国は個人の勝負がおもなのです。いま、すべての選手から学んでいるところです」

ソウルで、李コーチが、あなたは頭がよいと話していました。「いいえ」。日本語で首を横に振った。隣の諸葛通訳が言葉を足す。

「頭、いいです。ミーティングで教わったことをすぐにグラウンドでイメージできる」

ラグビーを始めたのは釜山体育高校入学後の16歳。「中学では運動部には入らずに勉強していました」。遊びのサッカーで「よくほめられていた」ら、だれが見ていたのか、スポーツ系の学校に勧誘された。

大学はあこがれの延世へ進めた。ちなみにここは古典的なイメージの「半島の慶應」。ライバルの高麗大学校が「早稲田」らしい。両校のぶつかる定期戦、最終学年に勝利できて「最高にうれしかった」。卒業、約2年、尚武で軍隊生活を送った。「携帯電話も使えない。朝6時半起床、夜は10時に寝ます。家には月いっぺんしか帰れません」。日本行きが遠ざかる焦りは?

「すごくありました」

よかった。NTTコムには待つ人がいた。

東芝戦。理屈抜きにボールをたくさんさわる。手元のメモでは「16回」。最後尾のポジションの新人としては見事だ。身上のステップで抜きにかかって半分成功、倒される。起きる。直後、楕円球をまた抱えている。コーチの教えられない感覚に近い。勤勉なだけでなく非凡だ。

常翔啓光学園-早稲田大学出身の金正奎主将が言った。

「(入団前の)合同練習ですぐにきてほしいと思いました。積極的なランが魅力。言葉を覚えるのも速い」

本人は小さな声で話した。

「みんな優しく、楽しい。困ったことはひとつもありません」

部活知らずの中学生が隣国でプロのアスリートに。はるか遠いはずの海峡を結んだ橋の名はラグビー。

※この記事は週刊現代2019年7月27日号に掲載された連載『ラグビー 男たちの肖像』を転載したものです。
週刊現代の最新情報はコチラ

  • 藤島大

    1961年東京生まれ。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。雑誌記者、スポーツ紙記者を経てフリーに。国立高校や早稲田大学のラグビー部のコーチも務めた。J SPORTSなどでラグビー中継解説を行う。著書に『ラグビーの世紀』(洋泉社)、『知と熱』(文藝春秋)、『スポーツ発熱地図』(ポプラ社)、『ラグビー大魂』(ベースボール・マガジン社)など

FRIDAYの最新情報をGET!

Photo Selection

あなたへのおすすめ記事を写真から

関連記事