カネやん「バカヤロー!」 プロ野球審判が語る“猛抗議の舞台裏”

パ・リーグ一筋29年の名物審判が''80年代~’00年代にかけて監督や選手から受けた猛烈クレームの一部始終を明かす

  • Facebook シェアボタン
  • Twitter シェアボタン
  • LINE シェアボタン
  • はてなブックマーク シェアボタン
「平成の名勝負」と言われた近鉄・野茂英雄と西武・清原和博の対戦。清原の三振を告げているのが山崎氏だ。’92年頃撮影

‘82年にプロ野球の世界に入り、’10年のシーズンを最後にパ・リーグ一筋29年、1451試合に出場した審判がいる。日刊スポーツから転職し審判員に採用された、“レジェンドジャッジ”山崎夏生氏(64)だ。山崎氏は引退するまでに、当時歴代1位の17回にのぼる退場宣告。以下は山崎氏が振り返る、現在はほとんど見られなくなった強烈抗議の舞台裏だ。

金田正一監督「どこ見とんじゃ、バカヤロー!」

‘91年5月のロッテ対日本ハム戦でのことです。球審の私は終盤のもつれた場面で、日ハムの打者にボールの判定をしました。

するとロッテの金田正一監督が三塁側ベンチから飛び出してきて、いきなり私をこう怒鳴りつけたんです。「どこ見とんじゃ、バカヤロー!」と。突然のことに、カッとなりました。確かに私はそれほど利口じゃないが、アンタに言われるスジ合いはない。すぐに「退場!」と宣告しました。しばらく打席付近で監督と怒鳴り合いになり、その激しさはスポーツニュースのトップで放映されたほどです。

後日談があります。別の球場で再会した金田監督は「オマエ、大学(北海道大学)出てるんだってな。インテリに『バカヤロー』って言ってすまんかった」と、ニコニコしながら謝る。そして頭を上げると、こう続けました。「『ヘタクソ!』って言えば良かったな」と。カネやん独特の、暴言スレスレの冗談だったのでしょう。

ボビー・バレンタインのユーモア

ロッテのボビー・バレンタイン監督の抗議は、さすがメジャー仕込みで迫力がありました。通訳そっちのけで、一気に英語でまくしたてるんです。

確か北海道での試合でのことでした。一塁塁審だった私がアウトの判定をすると、バレンタイン監督が抗議に飛んできた。私は自分のジャッジに自信満々。拙いながらも英語で応戦します。「自分のジャッジはいつでも(Always)正しい」と。バレンタインは首をすくめ手のひらを上にあげながら、「確かにキミのジャッジは正しい……」と言ってベンチに戻ろうとします。ただ、それで収まらない。帰り際「……but sometimes」とつぶやいたんです。

「ん? sometimes? あっ、『時にはね』と言ったのか!」。

バカにされたと気づいた時には、もうバレンタイン監督の姿は、目の前にありませんでした。

金村義明の意外な行動に観客席大爆笑!

微妙な判定で、時には感謝されることもあります。
近鉄「いてまえ打線」の中核・金村義明は、ハーフスイングの多い打者でした。’90年代前半の西武対近鉄戦のことです。金村は2ストライク3ボールから、外角低めのスライダーに手を出します。スイングで三振か、バットが止まって四球か。球審からジャッジを求められた一塁塁審の私は、「ノースイング!」と両手を大きく広げました。近鉄の応援席からは大歓声が、西武側からは大ブーイングがおきます。

ひょこひょこと一塁に駆け出した金村はベース手前で立ち止まると、なんとヘルメットを脱いで「山崎さん、ありがとうございました!」と最敬礼したんです。本人は「しまった」と思っていたところ、判定に助けられたと感じたのでしょう。球場内は大爆笑です。私は赤面。礼を言うなら、塁上でこっそりささやいてほしいものです。

…………………………

数々の修羅場を乗り越えた名審判は、現在「審判応援団長」という肩書で後進の育成に力を注いでいる。

「ボークではないのか!」と激しく抗議した日ハムの近藤貞雄監督(中央)に退場宣告する山崎氏(左手前)。’89年4月撮影
’06年の交流戦ではヤクルトの古田敦也監督からも抗議。山崎氏は「選手としての古田はキャッチングが上手く判定しやすい捕手だった」と語る
取材に答える山崎氏。北海道大学では硬式野球部に所属。審判になって1年目の年俸は160万円しかなかっため、アルバイトをして家族を養った
  • 写真山崎夏生氏提供

Photo Gallary4

share icon記事をシェアする

  • Facebook シェアボタン
  • Twitter シェアボタン
  • LINE シェアボタン
  • はてなブックマーク シェアボタン

Photo Selection

あなたへのおすすめ記事を写真から

関連記事