五郎丸歩の激白「倒れても這い上がる日本代表を見てほしい」 | FRIDAYデジタル

五郎丸歩の激白「倒れても這い上がる日本代表を見てほしい」

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ラグビーのワールドカップ(W杯)まであと60日を切った。明日27日には日本代表が今年度最初の公式戦となるパシフィックネーションズカップでフィジー代表と対戦する。2015年イングランドW杯で大会ベスト15に選ばれる活躍をした元日本代表FB五郎丸歩(ヤマハ発動機)が取材に応じた。前回のW杯を最後に日本代表から離れたが、五郎丸が日本代表を思う気持ちは熱かった。

――W杯で優勝経験のある南アフリカに勝ち、世界に衝撃を与えてから4年が経ちました。五郎丸選手は今、日本代表を応援する立場に回っていますが、どんな気持ちで彼らを見ていますか?

まずはW杯でベスト8に行ってほしい。前回、日本代表はグループリーグで3勝しましたが、決勝トーナメントには進めませんでした。今回は、我々が見ることができなかった光景を日本の国民の皆さんに見せてほしい。それは、1人のプレーヤー、OBとしての思いです。

――参加するイベントでは他のスポーツ界との交流も多いようですが、新たな発見はありますか?

以前、元サッカー日本代表監督の岡田武史さんと話をさせてもらう機会がありましたが、「人間って、意外と反対のものを求めるんだよ」とおっしゃっていたことが印象に残っています。

今の時代、amazonなどが浸透し、携帯電話ひとつで生活が完結しますよね。でもスポーツはその真逆をいっていて、ラグビーは特にそうです。前に走っているのに、後ろにしかパスできないし、体も激しくぶつけあう。普通の人はあんな痛い思いをしなくても、生きていけるじゃないですか。でもラグビー選手はそこに夢を持って戦っている。

今、皇居の周りを走る人が多いのも、生活がすごく便利になっているから逆に走りたがっていることの一例だと思います。便利な生活が加速されるほど、スポーツは絶対に世の中に必要になってくるし、その大きいイベントが日本でありますよ、ということをより多くの方々に伝えたいです。

4年前のW杯第2戦・スコットランド戦。五郎丸歩(右)は体を張ったタックルで、自陣ゴール手前でトライさせなかった
4年前のW杯第2戦・スコットランド戦。五郎丸歩(右)は体を張ったタックルで、自陣ゴール手前でトライさせなかった

――4年前のことを思い出すことはありますか?

試合がないこの時期の日本代表合宿は、とにかくキツかった。ただ僕の場合、前回のW杯を迎える前から周囲に「この大会で区切りをつける」という趣旨のことを話していて、当時はW杯本番にピークをあわせることに集中していました。大会の初戦で南アフリカに勝ち、グループリーグでも代表史上初めて3勝して「自分が果たさなければいけない役割はすべて果たした」という気持ちで帰国しました。その後、豪州のレッズでプレーしましたが、移籍のオファーも当時、日本代表監督だったエディ・ジョーンズさん(現・イングランド代表監督)を通して、W杯の期間中にいただきました。もしその話がなかったら、W杯から帰国後の目標探しに非常に困っていたと思います。

――19歳から招集された日本代表への思いを聞かせてください。

代表になって一番うれしかったのは、日の丸を見たときに「自分が日本人だ」ということを意識できるようになったことです。「ああ、日本人でよかった」と。若い頃にスコットランド遠征に行って、街中に普通に国旗が立っていて、胸を張って生きている彼らの姿がすごく格好いいと思ったのが最初です。昔からオリンピック、W杯、お正月と日本国旗を見ることはありましたけど、あまり何とも思わなかった。ただ、日本代表として戦うと、チームに外国出身の選手がいたり、監督も外国人という(環境の)中で自然に「日本人の強みは何か」をずっと考えさせられました。

 ――五郎丸選手が考える日本人の強みは何ですか?

我慢をしながらでもやり抜けることです。エディさんにも「日本人は我慢強い」とずっと言われ続けてきましたが、最初は(外国人に)馬鹿にされているのかなって思っていた。「日本人って『右』と指示を出せば、何も考えずに右向くんでしょ」と。でも僕がW杯後に海外に出てみて、はじめてその我慢強さを実感しました。

 ――具体例があれば教えてください。

チームとしてやろうとしている方針に対し、海外の方は意思を言葉に出す。だから自分が納得しないとやらないんです。でも日本人は、とりあえず組織のために動くじゃないですか。たとえば休みの日でも(組織に)お願いされたら出勤してしまう。これは日本人特有のものです。2015年の日本代表も、僕らが残す結果によって2019年W杯を迎えるまでのラグビー人気に影響する、という使命感のような感情を持っていた。「日本のラグビーのために、スポーツ界のために、どういう環境でも、どんな待遇でもやりぬく」とみんなで覚悟を決めていた。もし自分のためだったら、あの南アフリカ戦までの猛練習は耐えられなかった。*当時も代表の中に外国出身の選手もいましたが、彼らは来日して日本で過ごす期間が長く、日本人が大事にしているものをわかっていた。だから和を乱すことはなかったですよ。

――では一番高ぶったのは、やはりあの南アフリカ戦ですか?

リーマン・ショックがあって、プロ契約から社員になったりして、いろんな苦労があった中で、誰もが目指すW杯のピッチに15番をつけて日の丸を背負って立っている自分に感動した部分はありました。いろんな感情が込みあげてきたし、同時に恩返ししないといけないという思いもかなり強かったですね。

五郎丸歩(右端)は国歌斉唱のたびに気持ちが高ぶった
五郎丸歩(右端)は国歌斉唱のたびに気持ちが高ぶった

――2008年9月に起きたリーマン・ショックの影響でヤマハ発動機は2009年、ラグビー部の強化縮小を発表しました。当時はプロ契約2年目だった五郎丸選手は2015年のW杯を目指すならチームを離れる選択肢もあったと思いますが、社員選手として残留したのはなぜですか?

大学時代、一番最初に声をかけていただき、大学2年の時にはこのチームに行くと決めていました。早稲田大学を卒業するまで、大学生相手に負けたのは1度だけで、その結果には非常に満足していたのですが、社会人では勝ったことがないチームに行って優勝して、名門にいた時と違う喜びを味わってみたかったんです。ただ、プロ選手から社員に雇用形態が切り替わると、しばらくは毎月の給料がマイナスでしたね(プロ契約時の住民税等が翌年に繰り越される)。当時、すでに結婚もしていたので、自分たちも苦しかったんですが、会社も苦しかった。そこを共に歩むのも人生かなと考えました。それでも仕事でいろんな方と触れ合う機会があり、かえってプロ契約をしていた時よりスタジアムに来てくださるファンは多くなったと思います。

――先ほど話にあった「恩返し」は、具体的に今、何かされていますか?

ラグビーW杯は、「サッカーW杯」「夏季オリンピック」と並んで世界三大スポーツイベントと言われますけど、その2大会が日本に来るのに、「ラグビーだけ応援してください」というのはナンセンスなのかなと。僕は昨年行われたサッカーW杯からラグビー界にバトンをもらって、次の東京五輪パラリンピックにつなげるのがラグビー界の役割だと思っていて、スポーツ全体を盛り上げたい、という気持ちでイベントに参加させてもらっています。

――ラグビーのどんなところを見てほしいですか?

ラグビーはコンタクトスポーツなので、サッカーやオリンピックにはない良さがあると思います。顔を切ろうが、倒れようが這い上がってきますので、ラグビー選手は。それが自分のためじゃなく、国のためにやっている。国のために自分を犠牲にしながら、80分間グラウンドに立ち続ける選手を見て何かを感じてもらえれば、と思います。

 *2015年大会で主力だった外国出身選手のうち、主将をつとめたリーチマイケルは15歳の時から留学生として札幌山の手高に入学し以来、日本で生活。LOトンプソンルークも2004年に来日。FLブロードハーストも2009年に来日。このニュージーランド人3人はみな帰化している。

五郎丸歩は日本代表のジャージーは脱いでも、この歓喜を再び味わいたいと思っている
五郎丸歩は日本代表のジャージーは脱いでも、この歓喜を再び味わいたいと思っている

 

  • 映像編集木村匡希

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