プロ野球名物審判の感動戦記 “世紀の大誤審”に耐え抜き号泣

現役生活29年の名物審判が犯した“痛恨のミスジャッジ”とは? 大ブーイングと重圧に耐え抜いて男の生き様

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現在も「審判応援団長」として高校野球などの試合現場に立つ山崎夏生氏。北海道大学では硬式野球部に所属していた

‘82年にデビューし’10年に引退するまで、1451試合でジャッジしたパ・リーグの名物審判がいる。日刊スポーツを退社し、どうしても野球にたずさわりたいと審判員の試験を受けた異色の経歴を持つ山崎夏生氏(64)だ。山崎氏が出した退場宣告は当時史上最多の17回。ファンからの激しい反発や“痛恨のミスジャッジ”も経験したという。山崎氏が審判員人生の中で印象的だった「事件」を振り返る。

ファンからビールをかけられた“川崎劇場”

関東圏を中心にいろいろな球場で審判をしましたが、やりづらかったのがロッテの本拠地・川崎球場です。狭いのでヤジはよく聞こえるし、モノまで飛んでくる。

‘80年代終わりの西武戦のことです。私はライトで外野審判をしていました。西武の主軸・石毛宏典の放った打球が、ライン上微妙なところに落ちます。私の判定は「フェア」。ボールは転々ところがり、石毛は悠々と二塁に進みました。大変だったのは、この直後。「オマエの目は節穴か!」と、ロッテファンのいるライトスタンドからビールをかけられたんです。憮然として振り返ると、今度は「柿の種」が飛んできた。頭にきましたが、ファンとやり合っても仕方がありません。私は数歩前進し、「柿の種」が届かないところまで退避しました。

球場大ブーイング、抗議電話殺到“痛恨のミスジャッジ”

今でも「重大なミス」と悔やまれるのが、’00年6月に東京ドームで行われた日本ハム対ロッテ戦での判定です。

試合は6回を終わって、10対3と日ハムがリードしていました。事件が起きたのは7回表。2死一、二塁でロッテの大塚明が、レフトのポール際に大飛球を放ったんです。三塁の塁審をしていた私からは、打球がポールをかすめ観客席に入ったように見えました。判定は本塁打。自信を持って右手を大きく回しました。
ところがレフトを守っていた日ハムの選手が「違う、違う」と手を振りながら、こちらに駆け寄ってきます。日ハムの大島康徳監督もベンチから飛び出し、ものすごい剣幕で「どこ見てるんだ!」と私に詰め寄る。ここから猛烈な抗議が始まります。抗議は23分間にも及び、私は大島監督に退場宣告しました。日ハムファンからは「ヤマザキ、ふざけるなーー!」「オマエこそ退場だーーー!」と罵声の嵐。場内放送がかき消されるほどの激しさでした。

当時はリプレイ検証などありません。審判のジャッジが最終判定です。しかも私は目をこらして見ていた。スタンドの騒然とした様子から一抹の不安がありましたが、日ハム側の抗議を突っぱねるしかありません。試合は結局、12対7で日ハムが逃げ切りました。

衝撃の事実を知ったのは帰宅してからです。スポーツニュースを見て愕然としました。本塁打と判定した打球は、ポールの50㎝ほど左側(ファールゾーン)を通っていたんです。明らかに私のミス・ジャッジ。しかも私は翌日も、同じカードで球審をしなければなりません。悔しさで一睡もできず、試合前は軽食も喉を通らないほどでした。

翌日、試合が始まると場内からは「帰れ、帰れ、ヤマザキ!」と大ブーイング。まさに針のムシロです。パ・リーグの審判連盟には「あんな審判辞めさせろ」と抗議電話が殺到。事務局長からは「何かあったらかばいきれない」と休養を勧められましたが、「逃げたらおしまいだ」と自らを鼓舞して必死にキャッチャーの後で立ち続けた。ボールだけに集中しようと、もはや何も聞こえませんでした……。

その試合は、どちらが勝ったかも覚えていません。3時間ほどで無事に終わり、大きなミスもなく何とか切り抜けることができました。

ホッとして家に帰ると、珍しく居間のテレビの前に普段は野球に興味のない息子たちがいます。私のただならぬ雰囲気に不安を感じ、「オヤジ、がんばれ!」と祈りながら試合中継を見ていたそうです。妻からは「本当にお疲れ様でした」と声をかけられました。次の瞬間です。ヒザから力が抜け、その場にヘタり込んでしまいました。こらえていたものが一気にあふれ、気がつけば大声で泣いていたんです。仲間の前では強がってみせても、相当追い詰められていたんでしょう。

審判とは重圧のかかる仕事です。ただ逃げてはいけない。私は号泣しながら、全身全霊で打ち込める審判という仕事のありがたみを感じていました。

…………………………

山崎氏にとって、’10年9月に札幌ドームで行われた日ハム対西武戦が引退試合となった。
試合後、29年間重圧に耐え続けてきた名物審判を日ハムの梨田昌孝監督が「長い間お疲れ様でした」と握手で迎え肩を抱く。スタンドには「山崎審判、ありがとう」の横断幕がかかり、拍手が鳴りやまない。山崎氏は審判室に戻ると、声をこらえて泣き続けた。

山崎氏の引退試合には「ありがとう」「お疲れ様」の横断幕が。ファンからは惜しみない拍手が
フロリダ州で米国の名審判ジム・エバンスから指導を受ける。’93年1月に撮影
山崎氏現役最終年の’10年6月のロッテ対楽天戦で。審判もミスが多ければ二軍に回され、解雇されることもある

 

  • 写真山崎夏生氏提供

Photo Gallary4

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