秋田大仙市発 我が子を惨殺した鬼母がハマった「出会い系サイト」

平成を振り返る ノンフィクションライター・小野一光「凶悪事件」の現場から 第17回

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秋田県大仙市で4歳児が死亡する事件が起きた。当初事故かと思われたこの事件、発見された男児の亡骸のそばで泣き叫ぶ母親の姿が印象的だったという。しかし、事件は急転する。ノンフィクションライターの小野一光氏が、当時の取材メモからこの事件を振り返る。

男児の遺体が発見されたのは、進藤美香の自宅から400メートルほどの場所だった

2006年10月23日、またもや秋田県で児童が不審死する事案が発生した。

ここで「またもや」との表現を使ったのは、同年4月から5月にかけて、2名の児童が殺害される、「秋田児童連続殺人事件」が発生し、被害に遭った女子児童(9)の母親・畠山鈴香(逮捕時33)が、6月に逮捕されたばかりだったからだ。

遺体で発見されたのは大仙市に住む保育園児の進藤康介ちゃん(仮名、死亡時4)。同市内の田園地帯にある農業用水路で、うつ伏せに倒れていた。後に取材した第一発見者の男性による説明は次の通りだ。

「あの子のおじいちゃんから『子供がいなくなった』と聞き、私も懐中電灯を持って田んぼの用水路付近を探していました。それで午後7時頃に、水深が2~3㎝しかないその用水路で、両手足を広げた大の字の姿勢で、うつぶせに倒れている小さな男の子を見つけたんです。すぐに警察官がやってきて抱きかかえたのですが、男の子の手足はだらっとしたままで、もうダメだと思いました。お母さんはその場にへたり込んで、『康介~!』と泣き叫んでいて、その姿が痛々しくて見ていられませんでした」

当初は康介ちゃんの額に擦り傷があったくらいで、事件性を窺わせる目立った外傷がなかったことから、用水路にかかる小さな橋から転落した事故だと見られていた。ところが、秋田県警が司法解剖を行ったところ、死因は窒息死の疑いが強くなり、事件に巻き込まれた可能性が浮上したのである。

「秋田児童連続殺人事件」の余韻が残る時期に児童が不審死したことで、私もすぐに現場へ駆けつけた。

その時点では、犯人に繋がる有力な情報はなく、最初に出した記事では、遺体発見時の状況や、近隣住民の不安の声、さらには、秋田県警が康介ちゃんの最後の目撃者である母親や、彼女の内縁の夫、さらに近隣の住民など、広範囲にわたって事情を聴いていることを記すに留まった。

だが、その2週間後に発売された号には、信じ難い内容の記事が掲載されることになる。以下、タイトルを列記する。

〈秋田発 4歳のわが子を惨殺した”バツ2 31歳”のドロドロ愛欲/鬼母がハマった「出会い系サイト」での男漁り〉

康介ちゃんの遺体発見から20日後の11月13日、母親の進藤美香(逮捕時31)と、その愛人である畠山博(逮捕時43)が、殺人容疑で逮捕されたのである。ふたたび母親(ら)による我が子の殺害が明らかになったことで、世間の注目が一気に集まったことは言うまでもない。

しかも、秋田県警担当記者からもたらされた犯行の経緯は、極めて自己中心的な内容だった。同記者は語る。

「家に内縁の夫がいる美香は、出会い系サイトで知り合った畠山とホテルや車中で逢瀬を繰り返していました。事件の日も駐車場に停めた車中で性行為に及ぼうとしたふたりですが、その最中に美香が連れて来ていた康介ちゃんがむずかったのです。それに腹を立てて殴ったり、口を塞いだりの暴行を加えたところ、康介ちゃんはぐったりして動かなくなった。そこで畠山が『捨ててしまえ』と指示を出し、美香が自宅近くの用水路に放置した結果、死に至ったというのが犯行の流れです」

犯行については畠山が主導したものだったが、この事件の数年前から、美香が康介ちゃんを虐待していたことも判明した。同記者は続ける。

「04年7月、美香は福祉事務所に電話を入れ、康介ちゃんに睡眠薬を飲ませたり、ベランダに放置したことを告白しています。そこで児童相談所が動き、康介ちゃんを美香の実家に預ける措置を取ったのですが、すぐに美香自身も実家に戻ってしまったため、まったく意味をなさない結果になっていました」

高校時代の進藤美香(左)と畠山博(右)

その後、美香は建設会社に勤める男性と交際を始め、05年末に康介ちゃんを連れて実家を出て、この男性と事実上の夫婦生活を送っていた。そうしたなかで、今回の犯行に及んだのである。

美香の過去にさかのぼる取材においては、驚きの事実がいくつも掘り出された。中学・高校時代と地味な存在だった彼女だが、20歳で地元の縫製工場に勤めているときに、周囲が驚く事件を起こしていた。当時の工場での同僚は証言する。

「職場では無口で目立たない存在でしたが、入社から半年後に放火事件を起こしています。動機は付き合っていた消防士の男性に冷たくされ、火をつければ彼が消火をしに来てくれると考えたから。日頃から、ひどくおとなしいうえに、彼氏がいるようには見えなかったので、周囲はみんなびっくりしていました」

彼女を知る誰もが”地味”な存在だったと語るが、その見た目や無口な性格から周囲が受ける印象とは異なり、異性関係について奔放だったことがわかった。

放火事件から約4年後の00年1月に、彼女は地元タウン誌の恋人募集ページで知り合った男性と、”出来ちゃった結婚”をして、入籍から1カ月足らずで出産。しかし、その翌月にはスピード離婚をしている。

さらに02年には2回目の入籍をしたが、その際も彼女は妊娠しており、そこで生まれたのが康介ちゃんである。だがこの結婚生活も2年で破綻し、離婚に際しては、夫が頭から灯油をかぶって焼身自殺を図るという結末を迎えていた。

前出の県警担当記者は語る。

「美香も畠山も、出会い系サイトにはまっていて、盛んにアクセスしていたようです。とくに美香は、みずからの肉体を求める男性にチヤホヤされることを好み、頻繁に”男漁り”を繰り返していました」

当時の取り調べのなかで、美香は犯行動機について「(康介ちゃんが)言うことを聞かなかったから」と話している。とはいえ、それ以前から康介ちゃんへの虐待は繰り返されており、彼女にとっては我が子が、新たな男性との出会いに邪魔な存在であったことは明らかだ。そうしたことを考えると、近隣住民が語ったエピソードはあまりに痛ましい。

「(美香母子が住む)家からは、よく子供の泣いている声が聞こえてました。康介ちゃんの顔や体にアザが残っていたこともあります。それでも、あの子はお母さんのことが好きだったようで、よく彼女のうしろについて歩いていました」

なんともやりきれないこの事件。その後、美香に対しては懲役14年、畠山に対しては懲役16年の刑が確定している。

  • 取材・文小野一光

    1966年生まれ。福岡県北九州市出身。雑誌編集者、雑誌記者を経てフリーライターに。アフガン内戦や東日本大震災、さまざまな事件現場で取材を行う。主な著書に『新版 家族喰い 尼崎連続変死事件の真相』(文春文庫)、『全告白 後妻業の女: 「近畿連続青酸死事件」筧千佐子が語ったこと』(小学館)、『人殺しの論理 凶悪殺人犯へのインタビュー』 (幻冬舎新書)、『連続殺人犯』(文春文庫)ほか

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