元南ア代表の「悪童」ジェイムズ・スモールの早すぎる死 | FRIDAYデジタル

元南ア代表の「悪童」ジェイムズ・スモールの早すぎる死

藤島大『ラグビー 男たちの肖像』

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南アフリカ共和国元代表のジェイムズ・スモール(左)/写真 アフロ
南アフリカ共和国元代表のジェイムズ・スモール(左)/写真 アフロ

1995年の「怪物包囲網」

悪童が怪物を止めた。現代史の偉人は大いに喜んだ。あれから24年。英雄にして異端の男が死んだ。

ジェイムズ・スモール。南アフリカ代表スプリングボクスの右ウイングとして1995年、自国開催のワールドカップを制した。

白人政権によって長く孤島に収監されたネルソン・マンデラ大統領が、白人選手と白人社会に与えたインスピレーションは、のちにクリント・イーストウッド監督によるハリウッド映画『インビクタス』に描かれる。あの有名な大会の功労者だ。享年50。7月18日に葬儀。死因は心臓発作とされる。早世は驚きと、それと同量の「予感できた」という感情を呼んだ。

オールブラックスとの決勝。いま手元のプログラムを繰ったら「身長182cm・体重92kg」とある。走り屋のウイングとしては、ことに小柄でもない。ただし、少なくとも当日の芝の上においてはジェイムズ・スモールはスモールだった。なぜならマークするのが「195cm・118kg」のジョナ・ロムーなのだ。準決勝のイングランド戦で4トライ、タックルを砂塵とする強烈なランは「アースムーバー(=ブルドーザー)」と称された。

スプリングボクスの栄冠をつづった書にキックオフ直前の描写がある。

「『神様、やつはでかい……』。ロムーを見つめながらスモールは初めてそう思った」(『The Springboks and the Holy Grail』)

例のウォークライ、ハカが始まる。

対峙しながら、目を合わせ、そらさぬ、と胸に決めた。ところが、同僚にあって随一の巨漢、199cm、125kgのロック、コーバス・ヴィサが、ふいに仲間の列の前へ出てきた。先にロムーをにらみつける。後年、コーヒーショップのチェーン経営で大成功を収める名物男、ヴィサの述懐。「まっすぐ彼を見た。すると目をそらし、違う方に視線をやった。我々はそれを待っていた」(同前)
怪物包囲網はできあがった。そういえばマンデラ大統領も一役買っている。試合前、みずからスプリングボクスのジャージィをまとい、両軍の選手ひとりずつと握手を交わす。

「おー、ロムー、ハウ・アー・ユー」。このころ20歳の若者にすれば、尊敬する人物がいまからぶつかる敵をサポートしており、なのに、あたかも自分のファンであるかのごとくにこやかに声をかけてくる。トンガの血を引く新星の闘争心は出口をなくしてしまう。

試合開始。スモールはロムーの外側に構えてスペースを消した。ならば縦へとコースを変えれば仲間が内から追い上げる。複数ではさんで突破を阻んだ。

雲の上で待つ男

15対12。人種隔離政策撤廃後のマンデラの報復をおそれた保守的な白人たちが「ネールソン、ネールソン」と観客席で叫んだ。

ジェイムズ・スモールはスターと遇され、多くのファンに愛されもしたが、滑らかな「その後」とは無縁だった。無名のころから悪童であり、有名を得て、年齢を重ねても、穏健な市民とはならず、悪党にもならず、バッドボーイのままであった。

’69年2月、ケープタウン生まれ、ヨハネスブルグへ移って、ティーンエイジャーのころはサッカーに励む。主審に暴言を吐いて追放。本人の認識では「議論」だった。18歳、賭けゴルフの借金がかさみ、肩代わりを条件にラグビーのクラブへ入り、身上のスピードと活力で代表入りを果たした。ちなみに’93年のオーストラリア戦では楕円球のフットボールでもレフェリーを口汚く罵り、スプリングボクス史上初の退場となった。

’97年に代表を引退。以後、コカインや飲酒の問題を起こし、パートナーは離れ、幾度か自殺を試みた。

’09年の某月某日、救いの声が届く。ネルソン・マンデラ! メディア取材や注目を避けるため実家に身を隠していると電話が鳴った。母が受話器をとる。「大統領オフィスからよ」。息子ジェイムズは「切って」。もういっぺん呼び出し音。こんどは自分が受ける。本物のマンデラだった。

「君が人々に忘れられてしまう感覚にさいなまれているとしたら、私にも気持ちはよくわかる。獄中でいつもそう考えていたからね」

「ジェイムズ、君には大きな役割、さらには責任がある。(略)それこそが君のアイデンティティーだ」(Sport24)

4年後、偉大な大統領は95歳で天へと召された。会話の内容は当時の個人秘書が確認している。白い肌のさまよえる魂、深い湖のごとき褐色の賢人、遠いところにあったはずの両者は、栄光の瞬間から歳月を経て、なお結ばれていた。

スモールの突然の死をラグビーのサークルは悼んだ。素行は悪い。しかし心の根はまっすぐだ。本当に思ったことだけ口にして、すべきと考えたら実行した。かつての同僚、ヴェルナー・スワネポールは述べる。

「よい時も悪い時もあなたのそばにいてくれるチームマンを探すとしたら。ジェイムズ・スモール」(TimesLIVE)

複数の報道を引くなら、最期を迎えることとなった場所もどうやら聖人君子の集まるところではなかった。でも愚行と悪徳は違うだろう。雲の上で待つマンデラなら「おー、ジェイムズ」とわかってくれる。

 

※週刊現代2019年8月10日・17日号『ラグビー 男たちの肖像』より。

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  • 藤島大

    1961年東京生まれ。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。雑誌記者、スポーツ紙記者を経てフリーに。国立高校や早稲田大学のラグビー部のコーチも務めた。J SPORTSなどでラグビー中継解説を行う。著書に『ラグビーの世紀』(洋泉社)、『知と熱』(文藝春秋)、『スポーツ発熱地図』(ポプラ社)、『ラグビー大魂』(ベースボール・マガジン社)など

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