注目の100m走漫画 作者が明かす『カイジ』から学んだ駆け引き
作者・魚豊さんインタビュー&1~3話を公開
東京オリンピックを来年に控え、盛り上がりを見せる日本の陸上競技界。特に男子100mでは、桐生祥秀、サニブラウン・ハキーム、小池祐貴ら「10秒の壁」を破る日本人選手が続々と現れ、ハイレベルな代表争いを繰り広げている。
そんななか、「たいていの問題(こと)は、100mだけ誰よりも速ければ、全部解決する」という恐ろしくシンプルな哲学を掲げ、「走る」ことに全てを懸けた人々を描いた漫画『ひゃくえむ。』が注目を集めている。
本作は、昨年11月からWeb上で連載がスタート。その独特かつ心に刺さるセリフや、キャラクターたちによる熱いドラマに魅せられる読者が続出し、熱心なファンを獲得していた。
しかし、サイト内での閲覧数はふるわなかったことから「単行本は発売しない」という決定が編集部によって下される。作者の魚豊(うおと)さんがこのことをSNSで読者に報告したところ、書籍の発売を望む声がインターネット上で爆発。この結果、閲覧数が伸び、一転して単行本化が決まるという異例の事態となったのだ。

『ひゃくえむ。』は、いったいなぜここまで読者を熱狂させたのか? その秘密を探るべく、作者の魚豊(うおと)さんを直撃取材したところ、思いがけない有名漫画のタイトルが飛び出してきた。
「漫画『賭博黙示録カイジ』が昔から大好きで、勝つか負けるかっていう極限の勝負に惹かれるんです。僕自身は運動が苦手で、部活動の経験も全くないんですけど、自分が描きたい『勝負の世界』をやるには、スポーツ漫画が一番良いんじゃないかと思って。
誰でも知っているスポーツをテーマにすれば、余計な説明に時間を割かなくていい。しかも、100m走なら大体皆知ってますから、いきなりドラマに入れるな、って。勿論、『まだ誰も描いてないものが描きたい』という気持ちもありました。そういう意味でも、100m走という競技は自分にとってベストだったんです」
『ひゃくえむ。』の物語は、生まれつき足が速い小学生・トガシが、足の遅い転校生・小宮と出会ったことからスタートする。トガシのアドバイスによって小宮はどんどんタイムを縮めていくが、次第に「速さ」に憑りつかれ、陸上に異様な熱を燃やすようになっていく。そんな小宮の存在によって、初めてトガシは「敗北の恐怖」を覚えるのだ。
「負けたらどうなる? どう変わる? どう進む? 俺の人生」と不安に駆られ、「ヤバイ…ヤバイぞ…」と言い知れぬ焦りに蝕まれていくトガシの切迫した心理描写は、なるほど確かに『カイジ』にも通じるものがある。100m走での「勝つか負けるか」が、「生きるか死ぬか」と同等の重みで描かれるからこそ、息詰まるような緊迫感と熱が生まれるのだろう。

「僕は『カイジ』にハマるまではギャグ漫画ばかり読んでいて、初めて描いた作品もギャグだったんですけど……第三者から見ると『そんなに悩むことか?』っていうことを、真面目に、大げさに考える姿って面白いなと思っていて。そういう風にひたすら悩んでいる奴が、開き直ってみせる瞬間が好きなんです。
そこには物凄いパワーがあるし、見ていて面白いし、爽快感やカタルシスがあるなって。でも、だからって勝ち負けがはっきりしている勝負の世界で、負けたのに『負けてない!』とか言うのは『嘘』だと思うんですよね。『いや、負けは負けだぞ』って認めた奴が、そこでどうするのか、どう開き直りを爆発させるのか、ってことを考えながら描いていました」
初めて描いたのがギャグ漫画ということだが、そのきっかけとなったエピソードにも驚かされた。元々漫画家に興味はあったものの、実際になるための具体的な方法が解らずにいたという魚豊さん。しかし、中学一年生の時にアニメ『バクマン。』(注※雑誌「週刊少年ジャンプ」で連載されていた、漫画家を目指す少年たちを描いた漫画。アニメ化の他、実写映画化も大ヒットとなった人気作)を見て、「なるほど!こうすれば漫画家になれるのか!」とすぐに漫画を描いて投稿したのだという。
それ以来、デビューに向けて試行錯誤しながら漫画を描き、「100m走」に辿り着いた魚豊さん。特にこだわりが強いのが、セリフのテンポだという。
「テンポがいい漫画って、読んでいて気持ちいいと思うんです。小気味よさというか、気持ちよさを覚えるセリフの応酬になるよう、気を使っています。あと、普段から自分の行動や考えに、『いやいや違うだろ』と脳内ですぐにツッコんでしまって……『ホントはそんなこと思ってないよね?』とか、『いや、それは綺麗事でしょ?』とか(笑) 自分でもめんどくさい奴だと思うんですけど、こういう風にザクザク刺していくところは、作中のセリフにも反映されているかもしれません」
そう語ったあと、インタビュー中に「今のはちょっと、カッコつけようとしてますね、僕」とわざわざ自己申告でダメ出しするシーンも。「本当にめんどくさいんですよ」と苦笑していたが、こういう客観的で冷静な視点があるからこそ、作中のセリフには胸に刺さるものが多いのだろう。

魚豊さんにとって初めての連載作品にあたる『ひゃくえむ。』は、先日「マガポケ」で完結を迎えている。最終回について聞いてみると、「やりたいことはできた」と満足気な表情を見せた。
「トガシは、『怖がりの思考そのものだな』って思いながら描いていたんですけど、『負けたらどうしよう』とかそんなことばかり考えている怖がりが、そういうのを一切考えず、『勝てたら楽しい』ってポジティブなことを思えるようになる。それは所詮一時的なものに過ぎないんだろうけど、そういう瞬間が描きたかったんです。
自分が考えていた通りのラストに持っていけたし、やりたかったことはできました。単行本発売の件もそうですが、マガポケでの読者さんからのコメントや、SNSでの応援に本当に励まされました。あれがあったから最後まで頑張れたと思うので、Web連載で良かったと思っています」
最後に、魚豊さんに次回作の構想などを聞いてみると、「ヒーローものはいつか絶対に描きたいと思っています!」という答えが返ってきた。0.01秒の「勝負の世界」を描き切った22歳の俊英は、今後も、読者の胸を熱くする作品を届けてくれるに違いない。
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取材・文:大門磨央
石川県出身。雑誌やWEBを中心に漫画、アニメ、映画などのコラムを執筆中