佐々木朗希の甲子園不出場 議論の余地のない「明るい未来」 | FRIDAYデジタル

佐々木朗希の甲子園不出場 議論の余地のない「明るい未来」

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大船渡高校の佐々木朗希投手。岩手県予選の決勝では、それまでの疲労を考慮して登板せず、チームは敗退した
大船渡高校の佐々木朗希投手。岩手県予選の決勝では、それまでの疲労を考慮して登板せず、チームは敗退した

元メジャー投手長谷川滋利が名言 佐々木朗希は甲子園に出なくて正解

 

夏の甲子園が開幕しました。

全国から集まった球児の溌剌としたプレーを観ていると元気をもらえますね。最近の高校生は技術も高く、感心させられるプレーも多いです。

報道も日々されているのですが、中にはまだ岩手・大船渡の佐々木朗希投手の姿がないのが残念、という記事を見かけました。

気持ちは分かりますが、彼の将来を考えれば断言できます。出ないほうがいいです。論争になっている岩手大会決勝の登板回避ですが、あれは当然ですね。

ただ、よく分からないのは、なぜ佐々木投手は4回戦で延長12回投げ抜き、194球を放っているのか。決勝の登板回避は議論の余地はありませんが、ここに疑問は残ります。プロでも「先発完投」がエースの代名詞だった時代はとっくに去り、ブルペンの厚みがチーム力に直結する現代です。そこでなぜ時代錯誤とも言える登板を課されたのか。

もちろん本人の意思もあるでしょう。でも、まだ精神的にも肉体的にも向上の余地を残している高校生にストップをかけるのが指導者の大きな役割だと僕は信じています。彼は9日間で435球、投げていますが、こんな出鱈目なスケジュールはプロにだってありません。

佐々木投手の素材は間違いなく一級品です。腕の振りが早いのでまっすぐはもちろん、握り方や投げ方を工夫すれば速い、あるいは曲がり幅の大きい変化球も容易に習得するでしょう。速いまっすぐで有利なカウントを作れば、かなり優位にマウンドを捌くことができます。

また、もう少しスムーズに体重移動して、ボールに対する力の伝え方を意識すれば、さらに良くなるでしょう。まだ荒削りなので、そのポテンシャルも魅力の一つですね。順調に成長すれば将来、年俸20億円レベルの右腕になるでしょう。でも、それは今じゃない。

岩手県決勝で登板すべきだったと主張する人がまだいます。そういう方は、彼がメジャーに行ってとんでもないスラッガーに対峙する姿を見たくないのでしょうか。その興奮はひと夏の甲子園より格段に勝るはずです。

球児の酷使、特に投手の肩や肘はかなり深刻な状態になっています。

ようやく近年は球数制限などの議論が起こり始めていますが、それもまだ遅いですね。制度そのものを変えなければ意味がないです。

実際、帝京長岡(新潟県)の後藤凌太監督は自身の経験から選手を守ることを勝利より優先させ、独自に球数制限を設けたというニュースを拝見しました。素晴らしい考え方だと思いますが、これが当たり前にならないといけない。そしてこの類のニュースは甲子園を盛り上げないといけない、そこでお金を稼がないといけないメディアは一切、報じない。それが現実です。

また、現行の制度ではそういうチームは勝てないでしょう。そういう意味での根本的な改革が必要です。高野連が設置した「投手の障害予防に関する有識者会議」は非公開です。閉鎖的で形式的、とすら思ってしまうのは僕だけでしょうか。大きな進化を促すかといえば現状では期待できません。

例えば、アメリカの高校の監督を呼んでもいい。他競技の指導者の意見を聞く必要もある。球数がなくても効果的なトレーニングをスポーツ外科医に提言してもらう。いずれにしても門戸を広げて、あらゆる可能性を様々な角度から探ることに意味があります。

日本では甲子園礼賛が良くも悪くも強すぎると僕は思っています。確かに代表校と球児は郷土の誇りではありますし、都道府県対抗のトーナメントには魅力が詰まっています。だからといって若者の将来を奪っていいというのは少し乱暴ではないでしょうか。

日本では「甲子園出場経験」というのはブランドでしょう。単純に尊敬されますし、話題としても明るいものです。場合によっては就職活動などにうまく働くケースもあるかもしれない。

でも、アメリカの医師が日本の投手の肩や肘を診察すると「甲子園」というフレーズは限りなくマイナスに作用します。公言はしませんが「だからこんなボロボロなのか」と納得するそうです。

甲子園というコンテンツの大きさに振り回されてはいけません。101回を超えた甲子園、曲がり角は過ぎました。甲子園のブランドを守るために、運営側や選手、指導者、メディアやファン、それぞれが考える機会なのではないでしょうか。

  • 長谷川滋利

    1968年8月1日兵庫県加古川市生まれ。東洋大姫路高校で春夏甲子園に出場。立命館大学を経て1991年ドラフト1位でオリックス・ブルーウェーブに入団。初年度から12勝を挙げ、新人賞を獲得した。1997年、金銭トレードでアナハイム・エンゼルス(現在のロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム)に移籍。2002年シアトル・マリナーズに移り、2006年現役引退

  • 撮影桐島舜

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