元近鉄ブライアント ’80年代“伝説の名勝負”舞台ウラを明かす
パ・リーグを代表する外国人スラッガーのインタビュー。歴史に残る名勝負を今だから明かせるエピソードをまじえ振り返る。
「今でも動画を見ると鳥肌が立つよ。なんであんな感動的な試合ができたのか、どうして優勝をかけたゲームでホームランを4本も打てたのか……。自分でも信じられないんだ」
こう話すのは近鉄で3度の本塁打王を獲得し、通算259本のホームランをはなったラルフ・ブライアント(58)だ。ブライアントは、8月25日のオリックス対日本ハム戦の始球式に参加するため来日。伝説となった’88年のロッテとのダブルヘッター「10・19」や、翌年に4打数連続ホームランを打った土壇場の西武戦について、120分にわたり語りつくした。以下は伝説のスラッガーの回顧録だ。
「10月19日のロッテとのダブルヘッターに連勝しなければ優勝できないことは、当然わかっていたよ。でもその年の近鉄はロッテをカモにしていた(対戦成績18勝6敗)。(ロッテの本拠地)川崎球場に行くまでのバスの中では、みんなで冗談を言い合い緊迫感はなかったね。空気が一変したのは、球場についてからサ。普段は閑古鳥が鳴いているスタンドが、立ち見が出るほど超満員なんだ。異様な雰囲気に、いつもは明るいボスの仰木(彬)サンでさえ無口になっていたよ」
‘88年の近鉄は、ロッテのダブルヘッター2試合を残してマジック2。連勝しなければ、すでに全日程を終えていた西武に優勝をさらわれる。第1試合は9回表に近鉄が逆転し、4対3で薄氷の勝利を収めた。
「『これで第2試合も行ける』という思いはあったね。でも勢いに乗れない。9回を終わって4対4。近鉄は勝たなければ優勝できない。しかも当時は、4時間を超えたら試合を打ち切るというルールがあったんだ。9回裏に、ロッテの監督・有藤(道世)サンが2塁での交錯プレーで9分間も抗議。試合時間は3時間30分を越していた。時計を見ながら『頼むから早くベンチに戻ってくれ』と祈っていたよ」
結局、近鉄は延長10回の死闘を戦い4対4の引き分けで優勝を逃す。
「帰りのバスの中では、仰木サンも選手もみんな号泣していたね。車中には鳴き声が響くばかり……。もちろんオレも悔しかったサ。でも感情は微妙に違った。メジャーでは引き分けはなく、決着がつくまで翌朝まででも試合をするんだ(ブライアントは前年までドジャースに在籍)。だから引き分けという結果で優勝を逃しことに、納得できず悶々としていたんだ」
『乾杯!』も痛みでグラスを持った腕が上がらず……

翌年も近鉄は激しい首位争いを演じる。優勝するためには残り4試合で1敗しかできない状況で迎えた、首位・西武とのダブルヘッター。西武が1つでも勝てば優勝を決められる。
「さすがに前夜は緊張で一睡もできなかったね。西武球場では選手入り口からグラウンドまで続く階段があるんだけど、いつも以上に長く感じたな」
試合は西武優位に進む。4回表にブライアントがソロ本塁打をはなつが西武も1点を追加し、5回を終わって1対5。むかえた6回表に、近鉄は無死満塁のチャンスを迎える。打席に立ったのはブライアントだ。
「その試合は調子が良かったんだ。球がソフトボールぐらいの大きさに見えるほどね。どんな球でも打てる気がしたよ。満塁で打ったボールの感触は、今でも鮮明に覚えている。野球選手として、あれ以上の素晴らしい感覚はないね」
ブライアントの打球は、西武ファンで埋まるライトスタンドへ。試合を振り出しに戻すグランドスラムだった。そして迎えた8回表――。打席に立ったブライアント対策として、西武はエースの渡辺久信をマウンドに送る。この年の渡辺は、ブライアントに対し14打数8三振、本塁打0。完璧に抑え込んでいたのだ。
「苦手の渡辺の姿を見て、めまいがしたよ。ただ当日のオレは、とにかく調子が良かった。2ストライクに追い込まれた後の内角高めの球をフルスイングすると、打球はライトスタンド上段につきささった。オレが最も苦手にしている球だよ。自分でもなぜ打てたのかわからない。1塁を回るときに渡辺を見ると、『なんであのボールが打たれるんだ』と信じられないような顔をしてマウンドにひざまづいていたな」
第一試合はブライアントの3連発で、近鉄が5対4の逆転勝ち。第2試合でもブライアントの勢いは止まらない。第1打席は敬遠だったが、続く機会で4打数連続となる本塁打。近鉄は14対4と圧勝し、前年の雪辱を果たす9年ぶりの優勝を決定づけた。
「前年の悔しさがあったから、本当に嬉しかったね。ただ連戦と緊張で、身体は悲鳴を上げていたようなんだ。試合後、金村(義明)サンが声をかけ、宿泊先(東京)立川の焼き鳥店にチームみんなで飲みに行ったんだ。『乾杯!』となったんだけど、オレは痛みでグラスを持った腕を上げられない。金村サンに『エディ(俳優のエディ・マーフィーに似ていたブライアントの愛称)、すぐに針を打ちに行け』と言われ、翌日、生まれて初めて鍼灸師にお世話になったのを覚えているよ」
ブライアントは近鉄に8年在籍。プロ野球記録の1シーズン204三振を喫するなど粗削りではあったが、記憶に残る本塁打を連発した。
「オレが活躍できたのは、近鉄というチームカラーのおかげだね。仰木サンは、いくら三振しても『エディ、心配するな。思い切り振ってこい』と言ってくれた。他のチームにいたら、あれだけ打てたかどうか……。ただ家族や米国の友人には、自慢話になるから日本での活躍をあまり話していなんだ。この間ネットでたまたま西武戦4連発の動画を見た友人が、『オマエは日本で偉大な選手だったんだな』と驚いていたよ」
ブライアントの自宅には、今でも近鉄のユニフォームが大切に飾られている。

取材協力:日本プロ野球外国人OB選手会撮影:桐島 瞬