星稜・奥川恭伸 “泣き虫やっちゃん”が甲子園を湧かせるまで
父は元高校野球部の主将、母はバトミントン選手 シャイだった少年野球時代からの成長記録
「センバツでの投球と比べて、最も成長を感じたのはやはりコントロールです。準決勝までに奥川が投げた球数はわずか385球。ストライク先行のカウントに追い込んで、最後はどの球種でも打ち取れる。強打の智弁和歌山相手にはフルスロットルで投げ、準決勝の中京学院大中京は余力を残して『打たせてとるつもりでした』と、対戦相手によって投球術を変えてくる。トーナメントの戦い方を掴んでいるな、と感じました。まさに”現代野球の申し子”と言っていいと思います」
高校野球の取材を続けているライターの柳川悠二氏は、星稜のエース・奥川恭伸(おくがわやすのぶ)(18)について、こう話す。今大会の主役は、どういう環境で成長してきたのか。
強豪校では他県からの野球留学が珍しくないが、奥川は地元・石川県出身。星稜の主将・山瀬慎之助とは、小学校4年生から地元の少年野球団「宇(う)ノ気(け)ブルーサンダー」でバッテリーを組んでいた。その「宇ノ気ブルーサンダー」代表で指導者の広瀬勝巳氏(54)が、奥川と初めて会ったのは、まだ4歳の頃。7つ上の兄も同少年団で野球をしており、試合になると家族に連れられてきた奥川は「やっちゃん」と呼ばれて、皆に可愛がられていたという。広瀬氏が言う。
「ヤス(=奥川)に投手をさせたのは、私の考えです。お母さんがバドミントンの優秀な選手だったそうで、彼も幼い頃からラケットを振っていた。そのせいか肘と手首が軟らかくて、ボールを自然に投げることができていたんです。非常にコントロールがよくて、1試合で四球をひとつ出すか出さないかでした。これまで教えてきた200人の中には彼より球が速い子もコントロールがよい子もいましたが、その両方を兼ね備えていたという意味ではヤスが一番ですね」
父子の絆も大きかった。金沢市工高で野球部主将だった父・隆さんは、息子に対する労を惜しまなかった。
「少年野球の時には投球フォームに変なクセがついてしまいがちですが、ヤスに改善点を指摘すると、帰宅してからお父さんと一緒にチェックして、次の時にはきちんと直してきた。そうしてみるみる上達し、皆の目標になったんです。
素顔は情に厚くて涙もろい子ですよ。小学5年生の時、一つ上の先輩が引退する式があったんですが、次の主将を引き継ぐ彼は最後に先輩を送る作文を読むことになっていた。そうしたら、泣きじゃくって声が出なくなり、皆から『ガンバレ』と励まされながらようやく読み上げたんです。その翌年、自分が送られる時ももちろん泣いてました(笑)」(広瀬氏)
クレバーな投球術と対照的な、素直な感情表現。それがプロになっても多くのファンを惹きつけるに違いない。
『FRIDAY』2019年9月6日号より
- 写真:時事通信 宇ノ気ブルーサンダー
- 撮影:岡田浩人