W杯代表発表直前 妻・ローラさんが語る「大舞台に強い山田章仁」
ラグビー日本代表は明日29日に発表
ラグビーワールドカップ(W杯)開幕まで1か月を切り、29日に日本代表戦士が発表される。2013年11月に日本代表デビューを果たし、以来5年以上日の丸を背負い続けた34歳のWTB山田章仁(NTTコミュニケーションズ)は開幕3か月前の6月以降、代表から外れた。現在、フランスの名門・リヨンで練習をしながら「その時」を待つ山田の妻で元モデルのローラさんはどんな心境なのだろうか。
「私が山田と出会って間もない頃、まだ彼はキャップ(日本代表としての出場歴)がなくて、2015年のイングランドW杯に選ばれることが最大の目標でした。今回の日本大会は34歳で迎えることもわかっていたので、当時は『出られたらボーナスだね』と話をしていたんです。でも前回のW杯で南アフリカに勝ち、その後3年半、代表で頑張ってきて、それでも急に外れたので……。私もモヤモヤして消化しきれないものはありました。今、山田がリヨンで練習させてもらえるのは、NTTコミュニケーションズさんのおかげですが、山田の今までの経験もあってこの機会をいただけたので、フランスでの時間を楽しんでいます。日本の情報とかは見ていませんね」
2人はW杯開幕を半年後に控えた2015年3月に結婚。山田は南アフリカ戦で先発出場し、第3戦のサモア戦ではトライも奪った。しかしその試合で相手選手に激しくタックルして頭を強打。ピッチに倒れ、ピクリとも動かなくなった。スタンドで観戦していたローラさんのもとにスタッフがわざわざ来て、大会関係者しか入れないメディカルルームに招かれた。
「当時、結婚したばかりだったので『いきなり未亡人か』という思いもよぎりました」
その後、山田が意識を取り戻して事なきを得たが、ローラさんは一時、夫の『死』を覚悟するほど追い込まれた。W杯後の2016年のウェールズ戦、2017年のアイルランド戦でもトライする決定力を見せ、昨年11月には、敵地で行われたイングランド戦でも先発。順風満帆に見えたが、その陰でローラさんは、ジェットコースターのような心理面の激しい変化を経験していた。

米国出身のローラさんは、山田を支えながら2016年に生まれた双子の世話にも奔走。ただ、日本代表は春に海外を転戦し、家を空けることが多い。「日本から一番近いアメリカに家族の拠点を置いたほうが、(ローラさんの両親が来やすくて)安心できる」と山田のほうから提案があり、2018年からはハワイへの移住した。慣れない環境をひとつずつクリアしながら、山田のストレスを受け止める“クッション”の役割も果たしていた。
「後ろ向きなことはめったに言わない山田も、ストレスが溜まると愚痴大会になることもあります。私もそこにあえて参加して『そうなんだ』とか共感したりして……。ラグビーのことは全然わからないので、話し方などについて『次はこうしてみたら?』とアドバイスしたことはあります。ただ、山田と同じ時期に(前回W杯の快進撃の立役者と言われた)CTB立川(理道)さんも代表から外れたことがびっくりで……。立川さんの奥様とは以前から仲良くさせていただいていて、近くの公園で何回か話をしましたね」
日本代表として求められる力を発揮するための夫の努力も見続けてきた。
「特にこの4年間は体のケアの時間が増えました。彼の目標はW杯はもちろん、その後、どれだけ長く選手を続けられるか、という点にあります。練習で極限まで追い込みすぎて壊れてしまったら元も子もないので、ケガにつながる疲れをとることにずっと神経を使っています。毎週末、誰かを呼んで体を見てもらったり、アキレス腱を十分に伸ばす特別な板をどこにでも持参しています。今、フランスの家にもあるんですよ。スーツケースを半分埋めてしまうぐらい大きくて、しかも重いので、旅に出るとすぐに重量オーバーです(笑)」

かわいい子供たちの衣類を入れたいスーツケースのスペースをトレーニング機器に占拠されても、ローラさんは夫に目くじらを立てなかった。それは「彼の夢を壊わすことはしたくない」という思いがあるからだ。
「周りの方はよく『山田は大舞台に強い』と言ってくださるんですが、その大舞台にたどりつくまで実はあまりスムーズに行ったことがないんです。2016年のリオデジャネイロ五輪のときも、7人制日本代表はベスト4まで行きましたが、山田は最後の合宿にも参加していたのに落選しました。当時、私は妊娠していてアメリカに帰っていて一緒にいられなかったんです。みんなで本大会をテレビで応援する準備をしていたので、余計に悔しかった。これは笑いのネタにしているんですが、山田は海外でプレーすると不思議と新聞に掲載してもらえて、つけられるタイトルがいつも『日本のRISING STAR』。でも山田からすると『永遠にRISINGだと、ずっと頂点に立てないんじゃないか』って言うんです。今、山田は少ないかもしれない可能性をかけてしっかり準備はできていますし、もし名前がなかったとしても、人間としてまた一回り大きくなれるんじゃないかな。大事なことは『頂点』をどこに置くか、だと思っています」
山田がラグビーを始めた時から変わらない目標は「海外で活躍できる選手になる」。フランスで研鑽を積むことはむしろ、「頂点」に近づくことができる。運命の29日。どんな結論が待っていても、山田家にとっては新たな一歩を踏み出す日になる。


写真:アフロ