急ブレーキ9回の煽り運転 渦中のトンデモ僧侶が語る呆れた言い訳 | FRIDAYデジタル

急ブレーキ9回の煽り運転 渦中のトンデモ僧侶が語る呆れた言い訳

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あおり運転を行った僧侶が住職を務める大阪府松原市内の寺
あおり運転を行った僧侶が住職を務める大阪府松原市内の寺

「声を大にして言いたいのは事故を防ぐためは、ブレーキとパッシングのどちらを先に行うべきかということです。一般論として普通に考えれば、どちらの行為が大切かは分かって頂けると思います。胸ぐらを掴んだり、暴言を吐いたことに関しては申し訳なく思っている。ただ、私自身車道に入る際に直進する車もはっきりと確認しているんです。急な割り込みをしたという認識は全くない」

宮崎文夫容疑者のあおり運転が世間を騒がせたが、その熱冷めやらぬタイミングで新たな“とんでも運転”が明らかになった。事件が起きたのは、今年1月20日午後1時半ごろ。大阪府堺市北区の府道で乗用車を運転中の僧侶(61・松原市)が、後方を走行していた大阪市の会社員男性(36・大阪市)の軽乗用車に対して、約450メートルの間に、なんと約10回の急ブレーキを繰り返すあおり行為を行った。その後、僧侶は信号待ちで停止した際、会社員男性の胸ぐらを掴んだという暴行容疑の疑いで、8月21日に書類送検されている。

住宅街の一角に佇む古寺―。問題の僧侶が住職を務める寺を訪れると、法衣姿ではなくアロハシャツに短パン姿というラフな服装に身なりの僧侶が現れた。僧侶は、本誌記者を自宅に招き入れ開口一番に冒頭のように話した。「危険な運転をしたという認識はない。私が僧侶であることと、今回の事件は関係ない」と強い口調で繰り返す、“あおり僧侶”の約1時間に渡る独白をお届けする。

「あの日、私はしっかりと左右確認し、レストランのパーキング内の停止線で一旦停止してから車道に出た。車間距離は充分でした。ところがそれでも後ろの車からパッシングされ、目が眩んでしまい、頭の中が真っ白になってしまった。そこからパッシングがどれだけ危険な行為かという注意喚起の意味合いで、ああいう行為(あおり運転)を行ってしまった。

私のようにパッシングで目が眩んでしまう運転者がいた場合、仮に更にその後ろに車がいた場合玉突き事故になる可能性もあるでしょ。正直、後ろの車のことはどうでもよかった。それよりも、その後ろに来た車の存在がその時は気になっていたんです。だから、信号待ちで車が停止したタイミングで車を降りて、後ろの運転手と話しをする必要があると思いました。

信号から少しいった先には、セブンイレブンの駐車場があり、そこで話をしようと言うつもりでした。映像で『降りてこい』と話していたのもそういう理由です。ただ、あのように汚い言葉を使ってしまったり、胸ぐらを掴んでしまったことは明らかなこちらの非です。しかしながら、胸ぐらを掴んで無理やり引きずり降ろそうとしたということは一切ありません。そんなことしたら傷害罪でしょ。繰り返しになりますが、暴言や胸ぐらを掴んでしまったことは反省していますが、私が危険な割り込みをしたという認識はありません」

僧侶の主張は上記のような内容だが、あおり運転を受けた被害者男性は当時の様子を鮮明に覚えている。

「十分とは思えない車間距離で(僧侶の車が)急に飛び出してきたため、こちらも驚いてしまって……。それでハザードをたくわけでも、手をあげるといったマナーの合図をする様子もなかったんですね。それで『危ないよ』という意味を込めてパッシングを行いました。

その後すぐに急ブレーキをかけて、何度も窓から顔を出し何か罵るような感じでこちらに向かって言っていました。2つ目の信号で車を降りてきてからは、『なんじゃコラー!降りてこいや』から始まり、『オドレ!!!』の3連発。こちらが話そうとしたら、『じゃかましい』といった汚い言葉をこちらに連発してきて、突然胸ぐらを掴まれました。パッシングという行為には賛否あるかもしれませんが、こちらは本当に事故になる可能性があると思ったんです。私の目には、先方はそのことを理解していないように映りました。

相手のキレ方に関しては怖かったという面もありますが、それよりも呆れてしまったというのが正直なところです」

あおり運転の被害にあった男性は当時の状況を克明に話した
あおり運転の被害にあった男性は当時の状況を克明に話した

捜査関係者によれば、事件時は僧侶の他にも女性の同乗者がいた。同乗者のクラクションに気づいた僧侶は自車に戻っていったという。仏の道を歩み30年を超えるという住職にとって、事故当時乗車していた「クラウン」への愛着は相当なもので、20年以上に渡り同車に乗り続けているという。取材時間の大半は、ひたすら「こちらは飛び出していない」という当時の運転の正当性を訴えることに終始していた。

なぜ胸ぐらを掴んだのか、暴言を浴びせる以外の方法もあったのではと問うと、表現や言葉を変えながらも「暴行罪という認識はなかった。頭の中が真っ白になってしまい、あのような行為をとってしまった。その点に関しては、本当に申しわけない。ただこちらが危険な割り込みをしたという認識は持っていない」と、識者や弁護士が書いたブログの擁護発言の解説や、報道資料を広げながら、何度も何度も繰り返し訴えかけてきた。

ところが今後も寺を存続していくか、という質問には態度は一変してこう答えた。

「この辺りは狭い村なので、近隣の方からもいろいろなお言葉を頂いています。(所属する宗派の)本家からも、間接的に今回の件の事実確認をされました。こういうことになってしまい、マスコミの方からも追求を受け、お寺は廃業という形を取らざるをえないと思います。

何より世間が許してくれないでしょう。そうなると、私はこのまま野垂れ死んでいくことになるかもしれません。ただ、一つ言っておきたいのは、私が僧侶であることと事件は関係ない。警察であれ、裁判官であれ誰だって間違いを犯してしまうことはある。『仏の道に背く行為では、仏の教えを説く立場の人間としてどう思うか』、というような報道が多々有りましたが、そういった報道には憤りしかありません。僧侶としてではなくて、人間としてダメな行為をしてしまったということは私もしっかり理解していますので」

そうはいっても檀家まわり中にあおり運転を行い、法衣姿で罵詈雑言を浴びせた上、胸ぐらまで掴んでいるのだ。被害者男性はこの発言をどう捉えているのか。

「やはり人に仏の教えを説く立場の方ですから・・・・・・。僕から言えることは、ご本人にはしっかり反省していただく、今後は安全運転を心がけて下さいということだけです」

現在、僧侶のもとには毎日のように30~40件のいたずら電話が相次ぎ、廃寺を求める手紙まで届いているという。

僧侶が所属する浄土真宗には悪人正機という思想がある。

「“悪人”こそが阿弥陀仏の本願(他力本願)による救済の主正の根機である」という意味が込められており、自身が悪人であることを目覚させられた者こそ、阿弥陀仏救済の対象であるという教えだ。自身の運転の正当性を訴え続ける当の僧侶には、果たして親鸞の教えの通り救済の手は差し伸べられるのだろうか。

  • 取材・文栗岡史明

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