巨人猛追DeNA ラミレス監督「恩人に豪華クルーズ旅行」秘話
ラミレス監督には「恩人」と慕う人物がいる。ヤクルトで国際スカウトをしていた中島国章氏だ。ラミレスと中島氏の知られざる交友秘話を紹介する。
広島とともに首位・巨人を追うDeNA。8月28日のヤクルト戦にサヨナラ勝ちすると、アレックス・ラミレス監督(44)は「シーズンのターニングポイントになる試合」と21年ぶりのリーグ優勝を諦めていない姿勢を示した。そのラミレスが「恩人」と感謝する人物がいる。現役時代のラミレスを日本球界に招き公私にわたり相談に乗った、ヤクルトの元国際スカウト・中島国章氏(67)だ。以下は中島氏が語る、ラミレス監督との知られざる交友秘話である。
「ラミちゃんとの出会いは、’94年春にさかのぼります。業務提携していたインディアンスのキャンプに毎年視察に行っていた私に、『コンニチワ!』『ゲンキ?』と日本語で気さくに話しかけてきたんです。ただ、線が細く打球の飛距離も出なくてね。それから5年ほど見ていると、年々胸板が厚くなり左右に打ち分けられるようになったんです。愛嬌たっぷりで、野球に対する姿勢はマジメ。日本向きだと判断し、球団(ヤクルト)に獲得するよう強く要請しました」
だが、来日当初のラミレスはパッとしなかった。ボール球に手を出しては凡打の山。通訳を兼ねていた中島氏には、こう弱音を吐いていたという。
「結果が出ずに球場では監督に叱られ、家では妻に叱られ……。居場所がないよ」
落ち込むラミレスを、中島氏は自宅に招きバーベキューなどして励ました。
「コーチとは言葉が通じないので、技術的な相談も受けました。ボクは『日本の投手の配球を学ぶといいよ』とアドバイスしたんです。それからラミちゃんはベンチの最前列に座り、投手一人一人の配球を研究するようになった。試合後は飲みにも行かず、気づいたことを自宅のパソコンにまとめていたそうです」
熱心な研究のおかげでラミレスは覚醒する。外国人選手としては歴代最多の1744試合に出場。2017安打(同1位)、380本塁打(同2位)1272打点(同1位)を記録したのだ。移籍した巨人では試合後のお立ち台で、こう語ったこともある。
「活躍できるのは日本に連れてきてくれたナカジマさんのおかげ。感謝してま~す!」

中島氏が続ける。
「ラミちゃんは律儀でね。’09年オフには恩返しだと、ボクと妻、娘3人をカリブ海の10日間クルーズに招待してくれたんです。3000人が乗れる超豪華客船でね。好きな時に好きな飲み物や食べ物を注文でき、いたれりつくせり。しかも自分のクレジットカードを渡し、私たちに一銭も払わせようとしないんです。実際は一人100万円ぐらいかかっていたんじゃないかな。夢のような時間でした」
ラミレスの気遣いは日本でも変わらない。食事した時など「ご家族にあげて」と、時計などをプレゼントしてくれるのだ。
「ラミちゃんは『ボクの先祖は日本人かも』と話していましたが、日本人以上に行き届いたオモテナシぶりでした。(中島氏が日本に招いた)ペタジーニからもよく贈り物をもらいましたが、彼が持ってくるのはおもちゃの野球盤など、試合のホームラン賞でもらった景品ばかりでした」
現在でも、ラミレスとメールでやり取りしている中島氏。100人以上スカウトした外国人選手の中で、「人間性も実績も間違いなくラミちゃんがナンバー1」と話す。




元国際スカウト:中島国章(ナカジマ・クニアキ)
'52年生まれ。インターナショナルスクールから南海の臨時通訳を経て、'73年にヤクルトへ入社。マニエルやマルカーノの通訳を担当。スカウトも兼務しホージー、ペタジーニ、ラミレス、ブロスなどの獲得に携わった。'05年に巨人に移籍。'12年に退職。著書に『プロ野球 最強の助っ人論』(講談社)、『プロ野球通訳奮闘記』(日本放送出版協会)など
写真:中島国章氏提供