【体験記】ジャニーズオーディションでは何が起きているのか

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僕が見たジャニー喜多川氏の素顔

「ジャ、ジャニーさんだ……! ジャニーさんが目の前に立っている!」

スタジオの中心で踊っていた少年たちが、サーっと壁際に移動すると、ジャニーさんが奥の方に見えた。モーゼかな、とちょっと思った。

ジャニーズ事務所 写真:AFLO

2004年7月。テレビ東京の大きなスタジオ。200人ほどの少年たちの中で、僕は人生最大のチャンスに心を踊らせていた。ジャニーズJr.オーディションだ。

小学4年生の時に家で流れていた『愛ラブSMAP!』(91年~97年・テレビ東京系)でSMAPに憧れた。中居正広主演の『味いちもんめ』(95年・テレビ朝日)を食い入るように見ていた。『しようよ』がオロナミンCのCMソングになって、よく流れている頃だった。

以来僕は生粋のジャニーズヲタク、ジャニヲタだ。高校生になって、何もなし得ていない自分に焦りを覚えた。ふとテレビをつけると、同い年の山下智久が『池袋ウエストゲートパーク』(00年TBS)といったドラマで活躍していた。

「偏差値を高めれば人生は保証されるはず」と思って入った進学校には、勉強に邁進する同級生ばかりで、ジャニーズJr.のほうが社会に価値を残しているように思えた。彼らに比べて、自分は人生のスピードが遅く、このままだと、どんどんとかけ離されていくような気がした。この人たちに、混じりたい……。

高校1年生から履歴書を送り続け、ついに返事が来たときには既に大学生になっていた。19歳を目前にして、ついに夢への大きな切符を手にしたのだった。

157cmの僕は、小学校以来『小さいほう』だったが、この日のこの瞬間だけは、頭ひとつ飛び抜けて『大きいほう』だった。オーディションに呼ばれているのは8歳から13、4歳くらいまでがメインで、親の付き添いのない僕のほうが珍しいくらいだった。

受付で名前を言うと、バッヂを渡された。そこにプリントされた『霜田明寛(18)』の文字に高揚する。

まず登場したのはサンチェさんだった。ジャニーズ専属の振付師として知られる彼は、ファンの中では有名な存在だ。SMAPにも振り付けをしたサンチェさんが出てきて、僕たちにダンス指導をしてくれる。ジャニヲタにとっては夢のような体験だ。

しばらくすると、サンチェさんが「では、手本を見せてもらいましょう!」と言って、スタジオの外のほうに声を発した。すると、二人の少年が入ってきた。

千賀健永くんと山本亮太くん、二人のジャニーズJr.である。

「千賀くんはちびっこ相撲大会に出場経験あり!」などと、一ジャニヲタとして心の中でデータを叫んでしまうほどにテンションが上がってしまうが、今日の目的はそこじゃない、と自分をおさめながら、なんとか振りを覚えていく。

そして、ついにダンス審査に入る。10人一グループにされて、スタジオの中心に集められ、ダンスをする。10人以外は、スタジオの端によって待機することになるので、このときはじめて、200人で埋め尽くされていたスタジオの中に、空間ができた。すると、冒頭のように遠くに小さな初老の老人の姿が見えたのだった。

大げさではなく、僕には“神話の人物が実在した”ような衝撃だった。

「ジャニー喜多川は、自分がジャニーだ、と名乗らず、そこにいて子どもたちの人間性を見ているらしい」

この頃には、タレントたちが、バラエティ番組でジャニーさんトークをすることが多くなっていて、それを親から聞いているのか、それともオーラで気づくのか、子どもたちの中にも緊張感が走るのがわかる。

数あるオーディションエピソード通り、ジャニーさんは名乗ることもなく、手にメモとペンを持ち、立っている。しかしその顔は、雑誌などで見ていた顔そのものだった。目線が僕と同じくらいの、小柄な男性。

そして、ついに自分のダンスの順番がやってきて、僕は必死にフリを間違えないように踊った。間違えないことに必死になりながらも、懸命に楽しそうな顔をしてみた。チラッと見たジャニーさんは、僕ではない、他のコの方を見ていた。

まずい、後がない……。僕は焦っていた。ダンス審査が終わると、僕らは円の形を作って座らされた。円の真ん中に、サンチェさんが入る。そして「何か特技がある人は、ここで見せて下さい!」と、僕らへのチャンスを与えてくれた。バク転、パーカッションなど“ジャニーズっぽい”特技が繰り返されていく。

さっきのダンス審査ではジャニーさんの目には僕は入っていないだろう。ここで逆転しなければいけないが、僕にはこれといった特技がない。気づいたら「他に何かある人!」というサンチェさんの声に「はい!」と大きな声で反応していた。

サンチェさんは、その声に反応し、僕に向かって「じゃあ君!特技は何かな?」と聞いてきてくれた。僕は頭の中で必死に過去を巡らせる。何か僕の中で特技と言えるもの……。

僕は「モノマネです!」と答えていた。小学生のときにウケていたCHARAのモノマネをするつもりだった。僕の決死の答えを聞いたサンチェさんは、こう返した。

「モノマネか…それはカメラテストでやってくれ。はい次!ほか!」

この事件で確実に僕の心は動揺した。なぜ、“小学生のときにウケた特技”を人生のかかった場で披露しようとしたのか。カメラテストでCHARAをやる勇気はもう残っていなかった。

2台のカメラが置かれ、同時進行で2人ずつカメラテストはおこなわれていて、その2つのカメラの真ん中あたりにジャニーさんは立っていた。

順番がまわってきて、カメラの前に立った僕は

「霜田明寛、18歳です。げ、現在、早稲田大学の1年生です……」

という完全に人間性の伝わらない、アウトな自己PRをしてしまっていた。

この時のジャニーさんの行動は「早稲田」と聞こえた瞬間にメモから顔を上げ、こちらを一瞥。僕の顔を確認すると、スグにまた目をそらす……というものだった。

これが僕の、最初で最後の、自分にとっての神様とのすれ違いの日となった。

このオーディションの日から僕は、「ジャニーズ事務所から電話が来るかもしれない」という理由で、自宅に引きこもり、結果、大学1年生の夏休みというもっとも楽しいハズの時間を、“自宅待機”に費やすことになった。

オーディションの最後に事務所の女性はこう言っていた。「この時点で、皆さんはジャニーズジュニア研修生です。今のタイミングでレッスンには呼ばない、と判断した方にも、半年、1年と経って連絡することもあります」

その言葉を信じて、あれから15年が経った今も、電話を待っている。

……というのは冗談だが、落ちた後は、余計に自分に足りなかったものを考え続けた。それはすなわち、ジャニーズのすごさを見つめ続けることに他ならなかった。

「ジャニーズには落ちたけれど、ジャニーズという素晴らしい人たちのいる世界で、僕は生きていかなきゃいけない」と思うことで、なんとか人生を進めていくことができた。

そんな僕のジャニーズへの憧れは今も消えることなく、ジャニーズのすごさ綿密に調べた著書まで出せた。

世界の見方を変えてくれた、一度だけすれ違えたおじいちゃんに、これからも感謝し続けて生きていこうと思う。

霜田明寛氏が上梓した『ジャニーズは努力が9割』こちらから。

 

  • 霜田明寛

    1985(昭和60)年東京都生まれ。東京学芸大学附属高等学校を経て、早稲田大学商学部卒業。9歳でSMAPに憧れ、18歳でジャニーズJr.オーディションを受けた「元祖ジャニヲタ男子」。現在は「永遠のオトナ童貞のための文化系WEBマガジン・チェリー」の編集長として、著名人にインタビューを行い、成功の秘訣や人生哲学などを引き出している。『マスコミ就活革命~普通の僕らの負けない就活術~』ほか3冊の就活・キャリア関連の著書を持ち、『ジャニーズは努力が9割』が4作目の著書となる。

Photo Gallary2

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