「ノーサイドゲーム」出演中 日体大監督が語る「選手ファースト」 | FRIDAYデジタル

「ノーサイドゲーム」出演中 日体大監督が語る「選手ファースト」

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毎週日曜の午後9時からTBSで放送中の『ノーサイド・ゲーム』では、迫力あるラグビーシーンが見られる。トキワ自動車アストロズというラグビー部のメンバーを、トップレベルの経験者が演じているからだ。

日本代表経験者は、浜畑譲として名場面を演じる廣瀬俊朗ら計6名。なかでも現場で「陰の監督」「先生」と言われるのは田沼広之。役名は西荻崇だ。

リコーでの現役時代には日本代表ロックとして1999、2003年のワールドカップにも出た田沼。大声で味方を鼓舞する人気選手だった。今回は国内トップリーグの関係者にドラマのオーディションへ誘われ、人助けだと思って求めに応じたら出演することとなったという。

プレーを撮影する際は、福澤克雄監督の要求に応じて各選手の動き方を提案する1人となっている。ラグビーは15人で楕円球を扱う団体競技。華麗なシーンの伏線には、えてして黒子役の献身がある。本作の現場でも、表現したいシーンにたどり着くための動きを逆算して考える競技経験者の存在は心強い。

もっともその「監督」をオンエアで見かけることは、他の部員役より少ない。というのも田沼は、「第一優先」の本業を持っている。母校の日本体育大学(日体大)で教鞭をとりながら、本物のラグビー部の監督をしているのだ。2015年に就任し、一時コーチに回りながら今季は肩書きを戻した。

「(得点を)取った後が大事!」

「勿体ない! 勿体ない!」

8月31日、長野県の菅平高原に、ファンにはおなじみの威勢の良い声が響く。レタス畑の近くにあるラグビーグラウンド、サニアパークでは関東大学対抗戦Aの開幕節が行われ、田沼率いる日体大は早稲田大学(早大)に挑んでいた。

昨季対抗戦7位の日体大はこの日、前年度全国4強の早大から先制点を奪う。力強いタックル、高い弾道のキックを使った奇襲攻撃などで、スターの揃うライバルに混乱をもたらした。最後は10―68と大敗も、田沼は下を向かない。確かに手ごたえを掴んだし、手ごたえを掴んだことを口にすればチームが前に進むと感じているからだろう。

「試合の入り、敵陣で戦うこと(意識)を鍛錬期に取り組んできて。最初の数十分は強みのディフェンスからカオスな状態を作ってトライを……という我々の準備してきたことが出せました。前半30分以降は早大さんに心技体で上回られましたが、そこは我々の努力で(今後)近づける部分。『どうしたらいいかわからない』となってしまうのが一番まずかったのですが、選手たちの頑張りが新しい課題を示してくれました」

こう振り返ったのは、試合後の公式会見でのことだ。印象的だったのは、喋っていない時の指揮官の姿。臨席の石田大河主将が質問に答える間、田沼は石田の顔を見つめ、まるで自分と1対1で話しているように何度も、何度も頷きながら話を聞いている。

伝統という名の諸事情に難儀しながら、仲間を愛し、仲間を信じ、仲間を盛り立てるというこの人の生き様がにじむ。今年のチームで大事にしたいことを聞かれれば、誠実な口ぶりで言った。

「ドラマじゃないですけど、リロードですね」

劇中、大谷亮平演じるアストロズの柴門琢磨監督は、強豪サイクロンズを倒すのに「リロード」と呼ばれるタックル後の素早い起き上がりを意識すると宣言していた。田沼就任前の低迷も手伝い選手層の拡大に苦しむ日体大も、この「自分たちでできること」の徹底に活路を見出したい。

グラウンド外での負担軽減も「強化策」のうちだ。秋廣修一ヘッドコーチとの二人三脚で指導する田沼は、突然降ってわいたドラマ出演からも「学生のため」にできることを探る。

「もしうちの学生でこういう世界に興味を持つやつがいたら、『そんなに甘い世界じゃない』と身をもって言える」としながら、ドラマの制作現場に部員の就職口がないかを気にかけている。

現在いる91名の部員のうち、競技者として仕事が得られるのはひと握りだ。残りの多くは最終学年時の就職活動中に筋力が削がれ、エリート揃いの他校との公式戦に出づらくなる。「これを甘えと言っちゃえばそれまでかもしれませんが」と前置きをしながら、クラブに根付く構造的な問題を解決しにかかる。

撮影初期は、深夜の撮影を終えて朝練習に出かけることもあった。放送が進むごとに、チームの練習や試合などが本格化。日中の練習シーンへの参加は、難しくなっているだろう。

それでも田沼は、なるべく人の役に立つことを目指す。

「次はいつ(収録に)来るんだって言われますけど、試合も重なっていて。行けるところは行きます。いま、相当、ラグビーができる身体ですから!」

きっと本人は、自身が大きく扱われることを望んではいない。

この夏に専門誌の電話取材へ応じた際も、「是非、選手中心でお願いします!」と丁重に電話を切った。

さらにさかのぼれば、所属先だったリコーで引退を決めていた2009年度終盤も、報せをかぎつけた記者に「え、俺はいいよ」と応答。最終戦となった下部との入替戦時も、去就を明かさないつもりだと言いたげだった。

もっとも当日に残留を決めれば、後輩たちに胴上げされて本人の思いが明らかとなる。結局はヘッドコーチと主将が出る記者会見にも招かれ、チームメイト、家族、ファン、報道陣へ謝辞を述べた。

「こうやって仲間に送られて、その仲間には会って話せる仲間も、もう天国に行ってしまって会えない仲間もいて……。人生そのものが幸せでした」

今年9月からのワールドカップ日本大会へは、大会のアンバサダーとして各種イベントに参加。日本代表を率いるジェイミー・ジョセフとは1999年大会のナショナルチームでともにプレーしていた。今年は何度か当時のメンバーとの会合に出た。

当時の監督だった平尾誠二さん、ジョセフや田沼と仲の良かった「マンキチ」こと渡邊泰憲さんは雲の上にいる。田沼はしみじみと言った。

「(ジョセフには)いいことも、厳しいことも言いながら、全員でサポートするからと(伝えた)。平尾さん、マンキチが空から見守って、運をコントロールしてくれるからと……。非常に、いい会でした」

明るさと思慮深さを兼ね備えて日本ラグビー史を築いた46歳は、母国で初めてのワールドカップ開催を母校の監督として心待ちにしている。

  • 取材・文向風見也

    スポーツライター。1982年、富山県生まれ。成城大学文芸学部芸術学科卒。2006年よりスポーツライターとして活躍。主にラグビーについての取材を行なっている。著書に『サンウルブズの挑戦 スーパーラグビー 闘う狼たちの記録』(双葉社)がある

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