FRIDAYが目撃してきた「素顔のイチロー」
数々の大記録は、こんなプライベートに支えられてきた
「(日本の)野球そのものの質を変えなくてはいけない。もっと、上のレベルを目指して真剣にやらないと。でも、一人でそれを主張しても伝わらない。言葉は簡単に倒れてしまうし、行動で見せたいけど、さすがに一人ではね」
マリナーズの会長付特別補佐に就任し、今季の残り試合に出場しないと決断したイチロー(44)。彼はかつて本誌にこう話していた(’00年10月)。しかし今思えば24年の選手生活の中で彼は自身の言葉を実行し、日米の野球界に多大な影響を与え続けてきた。それも一人でだ。
日本人初の200本安打を記録、メジャーシーズン最多262本安打達成、そして前人未到の日米通算4000本安打……。
本誌は20年以上にわたり、イチローのプライベートを撮り続けてきた。華やかな活躍の裏で垣間見えたのは、常に野球を意識した生活習慣である。
’94年8月――。プロ入り3年目でブレイクしたイチローは、地元・愛知県豊山町に凱旋。後援会本部になっていた寿司店で巨大な「イチロー巻き」をふるまわれたが、完食はしなかった。
「全部食べるのが礼儀かもしれないけど、お腹いっぱいになると翌日のパフォーマンスが落ちるからね」
’17年1月――。タレントの木梨憲武や競馬騎手の武豊らと、都内で会食したイチロー。同席者からは二次会に行こうと熱心に誘われた。だがこの時も、自身の体調を気にかけてか「明日があるから」と一次会だけで中座したのだ。
以下、グラウンドでは見られない孤高のスターの素顔を紹介する。
オリックス時代
メジャー移籍後
オリックス時代の恩師(元打撃コーチ)新井宏昌氏からのメッセージ
’94年春のキャンプで初めて指導した時は、「自分勝手なヤツだな」という印象でした。トスバッティングでは通常、コーチがボールを投げるタイミングに合わせて打者がバットを振ります。しかしイチローは「ボクのスイングに合わせてください」と言う。私が「普通は逆だ」と話しても不可解そうな表情を浮かべるばかり。「実戦でも打者は投手の投球動作に合わせてスイングするだろう。普段から意識しないとダメだ」と説明して、ようやく理解してくれました。イチローは、自分の納得できない練習はしなかったんです。
イチローの動きにはムダがない。キレイなフォームで低く、鋭く打球を遠くに飛ばせる。「こいつは大打者になれるぞ」と感じた私は、馴染みの中華料理店などにイチローを連れて行くたびに「彼はスターになるから覚えておいたほうがいいよ」と、店員に話したものです。「登録名を『イチロー』に変更しましょう」と、当時の仰木彬監督に提案したのも私でした。本名の「鈴木一朗」という平凡な名前ではもったいない。斬新な登録名で、目立ってもらおうと思ったんです。
メジャーに移籍してからも、毎年冬に神戸で行う自主トレの手伝いをしています。打撃投手などをしてね。イチローは会うたびに、打撃フォームなどをマイナーチェンジしている。変化を恐れては成長できないと考えているのでしょう。「日本の大打者」から「世界のスーパースター」になったイチローを指導できて、とても誇らしく思います。
撮影:鈴木幸輝、朝井 豊、中井川俊洋、西圭介
写真:AP/アフロ