「運び屋」。それはスリルと危険に満ちた、だけど魅力的な仕事
みなさんは「運び屋」と聞くと、どんなイメージを持つだろうか。夜の波止場。静まり返った倉庫に響く靴音。「ブツは?」おもむろに開かれたアタッシェケースの中には何やら怪しげな白い粉…。
そんな運び屋を生業としている片岡恭子さんに仕事の内容を聞いた。ただし! 彼女はあくまでも合法かつ全うな運び屋なのである。
バイクを飛行機に換えてどこまでも
「運び屋というのは、現在は“ハンドキャリー”、昔は“クーリエ”などと呼ばれていた仕事です。国内ならバイク便になるところを、海外なので飛行機に乗って急ぎの荷物を持っていく、という感じです」(片岡恭子さん 以下同)
元々英語とスペイン語が堪能だった片岡さんのハンドキャリー歴は13年。バックパッカーの経験が豊富で、旅のお供の決定版である『地球の歩き方』の編纂にも携わっていた経歴を買われ、運び屋をしている知人から仕事を紹介されたのがきっかけだった。
これまでに仕事で訪れた国はアメリカ、メキシコ、アルゼンチン、ポルトガル、チェコ、エジプト、モロッコ、ベトナムなど全26カ国。運び屋以外の仕事や観光で行った国を入れると、なんと計51ヵ国に及ぶ。



仕事の流れとしては、電話で依頼を受けて羽田か成田に行き、運搬会社の人から荷物を受け取り税関手続きをし、現地でも通関して空港で待ち受けている人に荷物を渡す。
片岡さんが運ぶブツは、工場で使われる部品が多いという。今すぐそれを運ばないと明日から海外の工場がストップしてしまう、「フェデックスでは間に合わない!」といった、超切迫した状況で登場するのが運び屋なのだ。
タダでいろんな国に行けてマイル貯まり放題、仕事は荷物を運ぶだけ。諸事情があって現地で待機する場合は、顎足付きで観光(これはさすがに自腹)だってできてしまう。これってメチャクチャ美味しい仕事では!?
「そうですね。求人情報は、あまり一般には出回らないようです。出すとものすごい数の応募があって大変らしいので」


あなたにはできるか!? 日帰りフィリピン
しかし、世の中そんなに甘くはない。というのも、仕事の依頼はいつも突然やってくる。
「朝の10時に登録会社から電話があって、15時には成田にいることもあります。いちばんキツかったのは2ヵ月間毎週アメリカに通ったとき。週末だけ帰って洗濯して、また荷物をもってアメリカへ、という仕事でした」
しかも年間の渡航回数がハンパない。
「多い時は年に42回。時差ぼけという概念はもうないです(笑)。韓国や中国は近いのでほぼ日帰り。インドネシアやフィリピンも日帰りしたことがあります。空港から一歩も出ず、そのまま帰ることもあります」


そしてこの仕事には、思わぬアクシデントもイヤというほどある。
「まずはロストバゲージですね。調べるとそれは航空会社のせいではなく、たとえばアメリカの連邦保安局が荷物を調べてそのまま返さなかったり、箱を開けた際に荷物を破損してしまって返せなかったり、ということのようでした。
ほかによくあるのは、乗り継ぎがある場合は預け荷物の積み替えのための時間を考えて、余裕を持たせてスケジュールを組むのですが、飛行機会社が勝手に気を遣って早い便に荷物を乗せてくれちゃうことがあるんですよ。本人はそんなこと知らないからターンテーブルの横で『無い!無い!』と探しまわっていたら『もう着いてますよ』と言われたり…。『それやらなくていいから!』って思います。預けた荷物が出て来るまでは、毎回ハラハラです」
さらに税関で持ち込んだ荷物が「申告額が不当に安すぎる。追加税を払って手続きしなさい」と根拠もなく言われ、対処しなければならないこともあるという。


「プライベートで行くときも、海外ではどんなアクシデントがあるかわからないので、日本円で3万円分、千円札で持って行くようにしています。1万円札なら3枚で終わりですが、千円札なら30枚。いきなり外貨を出されても、どれくらいの価値があるのかはわからないですから、『1枚、2枚、どこまでですか?』と交渉して、トラブルを回避することもあります」
そのほか、食中毒で腸の粘膜まで出てしまうほどの下痢になったり、空港からホテルまでのタクシーで連れ去られそうになったりと危険も多く、気苦労も相当な運び屋稼業だが、もちろん楽しいこともたくさんある。
「自分のチョイスだったら絶対に行かないだろうという国に行けたり、プライベートではお金がかかって何泊もできないような国に長く滞在できたり。せっかく仕事に就けても続かない人はたくさんいますが、私は今のところは続けようと思っています」


旅のプロが選んだ最強に面白い国。それは…
まさに世界を知り尽くした片岡さん。もしも住むとしたら、訪れた51ヵ国のうちのどこがいちばん魅力的なのだろうか。
「日本の、それも東京ですね。もっと言えば新宿(笑)。映画ひとつをとっても、アメリカ、ヨーロッパ、アジアの大作からマイナーな作品まで全部見られるのは日本だけ。食事にしても、世界各国の料理をこんなに美味しく食べられる国はありません。しかも今デフレだから安いし。東京がいちばんいろんな文化に触れられる、いちばん分厚い場所だという気がします」
ありとあらゆる国を旅した挙句、幸せはすぐそこにあったという、まるで屈折した『青い鳥』のような人生。彼女は今日も、どこかの国に何かを運んでいる。かもしれない。
片岡恭子 ハンドキャリー。プロバックパッカー。1968年京都府生まれ。同志社大学文学研究科修士課程修了。同大図書館司書として勤めたのち、スペインのコンプルテンセ大学に留学。中南米を3年間放浪後、偶然手にした職、ハンドキャリーが話題となり、さまざまなメディアに登場。現在は旅にまつわる講演会も多数開催。近著に『食べた! 見た! 死にかけた! 「運び屋女子」一人旅』(講談社)。
取材・文:井出千昌写真:片岡恭子