チームは最下位でもタイトル獲得 その背景に潜む様々なドラマ | FRIDAYデジタル

チームは最下位でもタイトル獲得 その背景に潜む様々なドラマ

プロ野球の個人タイトルとチーム順位の関係を調べてみたら、こんな悲喜こもごもが見えてきた!

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打率が伸びず4度目のトリプルスリーは難しそうだが、4度目の盗塁王の可能性は大いにある山田哲人
打率が伸びず4度目のトリプルスリーは難しそうだが、4度目の盗塁王の可能性は大いにある山田哲人

珍しくない最下位チームからのタイトルホルダー

山田哲人の連続盗塁記録は9月14日のDeNA戦で途切れた。これは痛恨の極みだ。現在、阪神の新人・近本光司と競り合っているが、4度目の盗塁王の可能性はかなり高まっている。
ヤクルトは9月17日時点で首位巨人から18ゲーム差の最下位。「え?最下位チームからタイトルホルダーって、かなり珍しいんじゃないの?」と思うかも知れないが、実は結構たくさんいるのだ。

昨年のパ・リーグでは最下位楽天の則本昴大が奪三振王、岸孝之が防御率1位のタイトルを取っている。
反対に、優勝チームだからといって、タイトルホルダーばかりというわけでもない。

1950年の2リーグ分裂から昨年まで、69シーズンの優勝チームと最下位チームのタイトルホルダー数について調べてみた。
タイトルは、打撃部門では、本塁打、打点、打率、盗塁、最多安打。最多安打は1994年以前はタイトルではないが、それ以前も含めた。
投手部門は、最多勝、防御率1位、最多奪三振、セーブ(1974年から)、ホールドポイント(2005年から)。最多奪三振も1991年以前はタイトルではないが、それ以前も含めた。
優は優勝チーム、下は最下位チーム。

・最多安打
147人中 優50人(34.0%)下8人(5.4%)
・首位打者
140人中 優41人(29.3%)下10人(7.1%)
・本塁打王
148人中 優52人(35.1%)下10人(6.8%)
・打点王
146人中 優57人(39.0%)下5人(3.4%)
・盗塁王
145人中 優40人(27.6%)下10人(6.9%)
◯打撃部門
726人中 優240人(33.1%)下43人(5.9%)

・最多勝
166人中 優57人(34.3%)下7人(4.2%)
・最多奪三振
141人中 優23人(16.3%)下13人(9.2%)
・防御率1位
139人中 優48人(34.5%)下3人(2.2%)
・最多セーブ
94人中 優27人(28.7%)下1人(1.1%)
・最多ホールドポイント
32人中 優12人(37.5%)下1人(3.1%)
◯投手部門
572人中 優167人(29.2%)下25人(4.4%)

◎トータル
1298人中 優407人(31.4%)下68人(5.2%)

優勝チームのタイトルホルダーは全体の3割程度。そして5%強と数は少ないが、全てのタイトルで「最下位チームのタイトルホルダー」が出ている。
打撃で言えば、優勝チームの比率が高いのは打点。投球ではホールドポイントが高い。また、セーブ、ホールドポイントとも最下位のタイトルホルダーは、1人だけ。(セーブは1980年南海の金城基泰、ホールドポイントは2006年横浜の加藤武治)。
救援投手のステイタスは高いとは言えないが、優勝争いをする上では重要なポジションだということが言える。

タイトルホルダー不在の優勝チーム

主要タイトルを取った選手が1人もいないチームが優勝した例は、1968年の阪急、1973年の南海、1978年のヤクルト、1999年の中日の4チーム。

1968年の阪急は長池徳士が4番に座り、米田哲也がエースだったが、それ以外にめぼしい選手がおらず、南海との激しいデッドヒートの末に1ゲーム差で勝ち、パ・リーグ連覇。山田久志、福本豊、加藤秀司らはまだ入団していない。

1973年の南海は極めて特殊な事例。この年からパ・リーグは前後期制となった。南海はスタートダッシュに成功して前期優勝するが、後期は3位に沈み阪急が優勝。南海は後期、阪急に1勝も出来なかったため、プレーオフは圧倒的に阪急有利と思われたが、3勝2敗で南海が優勝。前後期通算では勝率3位の南海が日本シリーズに進出した。
「後期は死んだふりをしていた」と言われ、南海野村監督は「たぬきおやじ」と言われた。打撃の中心は38歳の野村克也その人、投はこの年巨人から移籍した山内新一が20勝したが、タイトルホルダーはいなかった。

1978年のヤクルトは、球団創設以来初優勝。チャーリー・マニエル、大杉勝男が大活躍し、若松勉が打率2位、投では鈴木康二朗が最高勝率を獲得したものの、主要な投打タイトルはなし。

1999年の中日は、混戦から9月に抜け出しての優勝。野手では関川浩一が打率2位、投手では野口茂樹が防御率2位になったが、タイトルホルダーはいなかった。

この4例に共通するのは1968年の阪急が西本幸雄、1973年の南海が前述の野村克也、1978年のヤクルトが広岡達朗、1999年の中日が星野仙一と、いずれも野球殿堂入りした名将だということだ。傑出した選手はいなかったが、大監督のカリスマ性でチームを優勝まで引き上げたということになるだろうか。

反対に最もタイトルホルダーが多かった優勝チームは、1984年の阪急。ブーマーが三冠王を取った年だ。安打、本塁打、打点、打率をブーマー、最多勝と防御率1位を今井雄太郎、最多奪三振を佐藤義則、最多セーブを山沖之彦が獲得。唯一盗塁王は近鉄の大石大二郎。監督は上田利治。2位ロッテに8.5差をつけて優勝した。

球団泣かせ、最下位でタイトルホルダー豊作

反対に最下位で最も多くのタイトルを獲得したのは、1988年のロッテと2007年のヤクルトの4つだ。
ロッテは高沢秀昭が最多安打と首位打者、西村徳文が盗塁王、小川博が奪三振王。
ヤクルトは、アレックス・ラミレスが最多安打、打点王、青木宣親が首位打者、セス・グライシンガーが最多勝。
両チームともに、これだけ活躍した選手が出て最下位だったのだ。チームが低迷しても選手の成績が良いと年俸を抑えることが出来ない。フロントは大変だったはずだ。

最下位チームのタイトルホルダーはそれほど珍しくないが、MVPはたった1人。2013年、NPBの本塁打新記録60本をマークしたヤクルトのウラジミール・バレンティンだ。王貞治らの記録を抜く、球史に残る大記録に対する評価だ。
ちなみに、2004年、シアトル・マリナーズのイチローはMLBのシーズン安打記録を84年ぶりに破る262安打を記録。最多安打、首位打者のタイトルも獲得。MLBコミッショナー特別表彰も受けたが、チームはア・リーグ西地区最下位だったために、MVP投票では7位に終わった。このあたり、日米の選手評価の基準の違いを端的に表している。

いずれ球団を出て行く運命だった「孤高の選手」たち

「最下位のタイトルホルダーは珍しくない」といったが、厳密には「最近は」という但し書きが入る。1970年以前に限定すれば両リーグ合わせても18例しかない。

その顔ぶれを見渡すと、ある種の感慨を覚える。※は当時タイトルではない。

金田正一(国鉄)1953年、60年 最多奪三振※
江藤慎一(中日)1964年首位打者
桑田武(大洋)1959年本塁打王、64年打点王
張本勲(東映)1968年首位打者
土井正博(近鉄)1964、67年最多安打※

いずれも球史に残る大選手だが、下位に低迷するチームでは「浮いた存在」だった。
イチローもそうだが「あいつはチームのためじゃなく、自分のために野球をしている」と言われたりもした。「孤高の存在」でもあったのだ。
そしてこの顔ぶれは全員、やがて生まれ育ったチームを出て、他球団に移籍するのである。「掃き溜めの鶴」と言っては口が悪いが、鶴たちは巣を飛び立たざるを得ないのである。

昔と違って、戦力均衡化が進んだ今は、最下位チームでタイトルを取っても、それほど批判されることはないようだ。
タイトルをめぐるこうしたデータからは、野球が「成績が良い選手がたくさんいれば優勝できる」とは限らない、複雑なゲームだということがわかる。その奥深さも野球の魅力なのだ。

 

  • 広尾 晃(ひろおこう)

    1959年大阪市生まれ。立命館大学卒業。コピーライターやプランナー、ライターとして活動。日米の野球記録を取り上げるブログ「野球の記録で話したい」を執筆している。著書に『野球崩壊 深刻化する「野球離れ」を食い止めろ!』『巨人軍の巨人 馬場正平』(ともにイーストプレス)など。Number Webでコラム「酒の肴に野球の記録」を執筆、東洋経済オンライン等で執筆活動を展開している。

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