高橋ユキが山口県『つけびの村』殺人事件取材で見た限界集落の闇

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2013年7月21日の夜、山口県周南市の山間部にある集落で、2軒の家が燃え、3名が亡くなった。翌日昼、別の2軒の家からそれぞれ遺体が発見される。5名の遺体には、外傷があった。人口わずか12人の限界集落で突如発生したこの連続殺人放火事件で逮捕されたのは、殺害された村人たちと同じ集落に住む保見光成(69)。今年7月、彼の死刑判決が確定した。

現場である、8世帯12人が暮らす小さな山村は、周南市街地から16キロほどの山奥にある

世の中を震撼させた「山口連続殺人放火事件」のルポをウェブサービスnoteに発表したのは、FRIDAYデジタルでも活躍中のノンフィクションライター・高橋ユキ氏。『つけびの村』というタイトルの記事は、執筆から2年半の月日を経て大ヒットした。ツイッターを中心に、凄惨な事件の舞台裏や高橋氏の果敢な取材姿勢が話題となり書籍化が決定。9月25日に刊行された。

フライデーデジタルでは、高橋氏にこの事件を取材することになった経緯や、実際に取材中に感じた「限界集落の闇」について寄稿してもらった。

 

私が初めてその村を訪れたのは、事件が起きてから3年を優に過ぎた、2017年1月のことだった。

すでにこの当時、保見に対しては山口地裁で死刑が言い渡されており、事件は広島高裁に係属していた。保見は、逮捕当初こそ「殺害して、その後、火をつけた。私がやりました」と述べていたものの、一審公判の罪状認否で一転「火はつけていません。頭を叩いてもいません。私は無実です」とこれを翻し、無罪を主張したのだ。だが判決では保見の主張は認められず、5人の殺害と2軒への放火は保見によるものだと認定されていた。

すでに事件が人々の記憶から消えかかっていた、節目でもないタイミングで村を訪れたのには理由があった。ある月刊誌から、保見が週刊誌に語っていた、集落における「戦中の夜這い」の存否を確かめてきてほしいという依頼を受けたからだ。

結局、その仕事は日の目を見ることなくお蔵入りとなったが、取材の過程で「夜這い」の話を尋ねていくうち、複数の村人から、気がかりな噂を聞いたのだ。

事件当時、保見被告が一人で住んでいた家

「つけびして 煙り喜ぶ 田舎者」

保見の家のガラス窓に貼られていた、不穏な川柳。これは事件発生当初、「犯行予告」なのではないかとさんざん報じられていたが、

「わしの家の風呂場が燃えた。そのあとに、あれが貼られた」

と、ある村人は言うのだ。実際この貼り紙は犯行予告などではなかったのである。さらに聞いて回ると、貼り紙は、実は事件の数年前から貼られており、村では他にも不審火があったという話まで出てきた。

「皆おらんようになったから、幕引きはできた。わしはほんとに安心して生活できるようになったよ。いまはもう鍵はかけんけど、以前はそんなことしよったら何もかも、なくなりよったからね」

こう話す村人もいた。取材の前に、あらかじめ事件にまつわる新聞記事に接していた私は非常に驚いた。「皆が家族みたいに仲良しだった」「鍵をかける者などいなかった」……全国紙をはじめとしたマスコミ紙誌の多くには、そう書いてあったからだ。

また、ネット上では「保見は村八分にあっていた」という“うわさ話”が猛威を振るっていたが、一審判決は、犯行当時の保見が妄想性障害を患っており、「近隣住民が自分のうわさや挑発行為、嫌がらせをしているという思い込みを持つようになった」と、村八分の“うわさ話”の存在を否定し、保見の“妄想”だと認定していた。

だが、“うわさ話”は保見の妄想ではなく確実に、この村に存在していたのだ。

それを耳で聞き、目で見た私は、保見の人生を辿るとともに、村の“うわさ話”について取材を続けることにしたのだった。幾度となく村を訪れ、近隣の村人たちに話を聞いて回るうちに、この村の典型的な限界集落としての側面が目につくようになった。

この村は山間部に位置するため、事件発生当時は携帯も繋がらず、現地で取材を行っていた記者らは難儀したという。そして、私が取材をした限りにおいては、この村でインターネットを利用している家はほとんどなかった。

人口が減少し、主な通信手段は固定電話。近代的な娯楽がテレビ程度のそんな集落で、うわさ話は、大きなリアリティと存在感をもってそこに在った。

「まあ、お粗末な家」「ヤーさんみたいなもんや」「どうしようもない生活しよった」

数少ない村人が別の村人を名指しして発する、そんなうわさ話を耳にすることは日常茶飯事。携帯のないこの村で、うわさは口づてと、拙著『つけびの村 噂が5人を殺したのか?』に詳しく書いた「とあるシステム」により、確実に広まってゆく。

現場に向かう道中、村の少し手前に突如現れた謎の「宇宙ステーション」

一方、村から離れると「犯人は、村人に草刈機を燃やされた」「犯人がいじめられていた」など、殺人犯として確定死刑囚になった保見が村八分にあっていたという噂がネット上に、今も残っている。もちろん、この“うわさ話”についても村で聞き込みを行った。もし、いじめが本当であれば、「あれが、いじめちょった」と誰かの口からいじめ加害者の名を聞けるのではないかと考えていたからだ。

ところが「あの人、だいたい草刈機を持ってなかったから。それに草刈機も、燃えるようなもんじゃない」「草刈機を燃やされたとかなんとか、聞いたことあるじゃろう。だけどあれはわし、よう知らんのよ」と、いじめはおろか、草刈機の存在さえ怪しいのである。さらに、

「ある村人に農薬を撒かれ、犬を殺された」

死刑確定前、広島拘置所の保見と文通している時、保見はこう綴っていた。しかし実際に村で話を聞くと、「あの人はよう農薬撒きよった」と、もともと農作業で農薬を好んで使うタイプの村人だったと分かり、さらにその村人は「いろいろ言われるけえ」と、保見から苦情を言われることをおそれ、田んぼを手放していた事実も明らかになった。

保見に対する「村八分説」は、妄想性障害により“嫌がらせを受けている”と感じていた保見自身が、事件以前に誰かに語っていたものが口づてに広まり、報道に乗り、ネット上で増幅したのだと私は見ている。

とはいえ、さまざまな“うわさ話”が漂っていたのは厳然たる事実だ。これは、なにもその村に限ったことではない。どのコミュニティにも“うわさ話”は存在する。友人同士、学校、会社、そしてインターネット……。判決後の今でさえ、保見被告の「村八分説」はネットの海に漂いつづけ、それを信じる者たちによって、ときには悪意、ときには的外れな善意、ただ面白がるだけのネタとして拡散されている。

今年4月。追加取材のため、久しぶりに集落を訪れた。神社の向かいにある保見の自宅は、以前と変わらずそこにあったが、ガレージを覆うブルーシートはビリビリに裂けて、風に煽られるたび、中が丸見えになっていた。神社の参道脇にある保見家の墓は、以前と同じように、パイプで作られたバリケードで囲われている。墓石には苔がこびり付き、花立てには、枯れ茎がささったままになっていた。保見家の自宅や墓は、時が止まっていたが、それでも村人たちの生活は続く。先祖が根を張り、守り続けてきた集落を、彼らもまた、守り続けていた。

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  • 取材・文・写真高橋ユキ

    傍聴人。フリーライター。『つけびの村 噂が5人を殺したのか?』(晶文社)、『暴走老人・犯罪劇場』(洋泉社新書)、『木嶋佳苗 危険な愛の奥義』(徳間書店)、『木嶋佳苗劇場』(宝島社)、古くは『霞っ子クラブ 娘たちの裁判傍聴記』(新潮社)など殺人事件の取材や公判傍聴などを元にした著作多数。

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