多忙で関大監督を退任した織田信成の後任はまさかの“お母さん” | FRIDAYデジタル
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多忙で関大監督を退任した織田信成の後任はまさかの“お母さん”

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プロスケーターとしても、タレントとしても、3児の父としても多忙を極める織田
プロスケーターとしても、タレントとしても、3児の父としても多忙を極める織田

9月9日に関西大学アイススケート部の監督兼コーチを退任することを発表した織田信成。‘15年にコーチに就任、’17年には監督兼務となり、後進の育成のために尽力した。

「織田さんは’15年に高槻市内に自宅を建て、奥さんと3人の息子さんとともに暮らしています。就任当初は週2でテレビの仕事、週5で関大のコーチというスケジュールをこなそうとしていたようですが、年々テレビ界での評価は上がり、引っ張りだこに。それでいて、アイスショーや、ジャパンオープンにもスケーターとして出場するなど多忙を極めたのでしょう。就任当時、部の遠征費などといった手当は支給されるものの、監督としては無給で働くと語っていました。契約では1期2年で、3期まで更新できるそうです。今年1度目の更新をしたものの、任期途中で退任することとなってしまいました」(スケート連盟関係者)

実は今年3月いっぱいで任期満了だった織田。早くから契約更新の意志を伝えていたようだが、3月下旬に事件が起こる。

「3月29日に地元・大坂で行われるアイスショー『スターズ・オン・アイス』に出演予定だったのですが、体調不良のために急きょキャンセルとなってしまったんです。“高熱が長引き、検査と治療に当たっていた”とSNSで明かしていましたが、シーズン中の疲れが出てしまったのではないかと思います。このことがきっかけで、ご自身のスケジュールについて考え直したそうです」(同・スケート連盟関係者)

実は、フィギュアスケートの試合は、毎年選手たちをも悩ませるタイトなスケジュール。この過密さには、毎年ケガなどを心配する声が上がるほど。現に、羽生結弦を始め、シーズン中のケガに頭を悩ませる選手も多い。加療に当たろうにも試合の間隔が短いため、具合によっては欠場を余儀なくされるからだ。特に五輪や世界選手権と並ぶ規模の大会・グランプリシリーズが鬼門になっている。

「10月~12月の約2か月間、毎週末試合が行われているんです。6か国で試合が行われ、選手は最高2試合出場できます。出場した試合の順位に応じてポイントを得ることができ、獲得ポイント上位の男女各6名が最終決戦に駒を進めるのです」(スポーツ紙記者)

体調管理もさることながら、時差に悩まされる選手も多い。実は、そんな選手よりも過密なスケジュールに見舞われるのが、アナウンサーや解説者なのだ。選手は2試合で済むところ、解説者は6連戦を強いられる。昨年、グランプリシリーズの解説を行った織田は、毎週末のようにアメリカやカナダ、ロシア、フランス、中国……と各国を渡り、丁寧な現場レポートを行っていた。

「織田さんは視聴者も親しみやすいキャラクターですし、現役の選手とも試合でいっしょになったことがあるギリギリの世代。そのため、選手からのコメントも上手に引き出せます。売れっ子解説者としてほかの試合でも引っ張りだこですから、多忙さはかなりのものでしょう」(同・スポーツ紙記者)

フィギュア解説者と監督業を平行させることが困難になったとしても仕方のないことかもしれない。しかし、関西大学アイススケート部は超名門。織田はもちろんのこと、かつては髙橋大輔が在籍し、宮原知子や本田太一が現役で名を連ねるレベルの高い部活だ。彼らを放り出して退任するというのは、少々無責任にも聞こえる。

しかし、部員をシーズン前に放り出すようなことを、織田がするはずなかった。織田が後任として引き継ぐコーチは、彼を指導したこともある意外な“大物”なのだ。その人物とは、

「織田さんの母・憲子さん(72)です。幼少期から信成さんのコーチを務め、彼が関大に在学中は信成さん専任としてアイススケート部のコーチを務めていました。今回息子さんからのバトンを引き継いで、コーチとして復帰されるそうですよ」(関西大学関係者)

部員を“育ての親”に託すことができたからこそ、織田は安心して監督から身を引くことができたのかもしれない――。

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