「負けてられない」姫野の心のライバルは誕生日が近い世界の大谷

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姫野和樹(右から2人目)は前に出るたびに観衆を沸かせた(撮影:渡部薫)

倒れても、たちあがって再び前に進み、日本代表のFWを前に出した。20日のロシア戦でNO・8で先発した姫野和樹は、その突破力が世界規格であることを身をもって示した。チーム内MVPに輝いた姫野は試合後、こう明かした。

「最初みんな緊張してすごい硬くて、僕もノックオンから始まって、本当に緊張したけど勝ってひと安心です。グラウンドの中で仲間が必死に戦っている姿を見て、またリーチ(マイケル)さんとか他の経験値のあるメンバーが声かけをすることによって、だんだんチームがいい方向に進んでいきました。自分の持ち味を出せたかなと思うが、ミスが多かった。1試合やって緊張もほぐれたと思うので、次の試合からはもっと持ち味だせるように頑張りたい」

姫野にとって、アメリカのメジャーリーグで活躍する大谷翔平(エンゼルス)は、身近な存在でありLINEのやりとりもする仲だ。姫野の誕生日が1994年7月22日、大谷が同年7月5日生まれと同世代で、昨年冬、栄養士が大谷と同じというつながりでご飯を食べる機会があった。大谷からは「ラグビーの練習は究極だよね!」と言われたが、姫野は大谷が新しいことに興味を示してラグビーの練習内容について熱心に聞いてきたことに刺激を受ける。

「姿勢がすごい。(同じ歳として)負けてられない」

身体は鍛えに鍛えて筋骨隆々、ファンの間では俳優の市原隼人似と言われている。昨年からはキャプテン、リーチマイケルを筆頭に10人いる日本代表のリーダーのひとりに指名され、すでに次世代の日本代表キャプテン候補だ。これまで名前こそ大谷ほどメジャーではなかったが、このW杯が日本スポーツ界のスター候補に躍り出るチャンスだ。

姫野和樹という名を最初に聞いたのは、「花園」で行われた全国高校ラグビー大会だった。1年生ながら春日丘(愛知・現中部大春日丘)でNo.8として先発として活躍し、2年時も花園に出場。すでに今と同じくらいの身長があり、その突破力は目を見張るものがあった。

姫野和樹は俳優・市原隼人似のルックス

まわりよりも一回り大きかった小学生時は、本人曰く「ガキ大将」だった。野球をしているときはホームランを連発しボールを屋上に乗せてしまい、中学時は腕相撲をした先生の腕を折ってしまったこともある怪力の持ち主。そんな姫野は名古屋市立御田中学校からラグビーをはじめたが、それが人生の分岐点となった。

「野球もサッカーもバスケットボールもやってみたんですが、ラグビーをやってみて一番、しっくりきた。人に思いっきり当たって、ひっくりかえして……純粋に楽しい!と思いました。わかりやすい世界だし、自分の身体を最大限に活かせるとおもって始めました」

そんな姫野を当時の日本代表指揮官であるエディー・ジョーンズHC(現イングランド代表HC)は放っておかなかった。高校3年生で日本代表に準じるジュニア・ジャパンに選出。帝京大1年の2013年7月には、日本代表の菅平合宿のメンバーに選ばれた。しかし、初日の練習で左足甲の中足骨を折って離脱。そのケガが長引き、その後の代表合宿には声がかからず、大学でもなかなか試合に出られない日々が続いた。前回のW杯は大学3年時。日本代表が金星をあげた南アフリカ戦は、帝京大の寮でチームメイトとみた。

「一度、エディー(・ジョーンズ)さんに菅平合宿に呼ばれて、もしケガしなければ(日本代表に)入れたかも……。南アフリカ戦(の勝利)は嬉しさと同時に、悔しさがこみ上げてきたと覚えています。そのときから日本代表に入りたいと目標がクリアになった」

帝京大時代は、前述のケガの影響もあり完全燃焼とはいかなかった。特に、試合に出られなかった1~2年時、姫野は名将・岩出雅之監督に怒られてばかりだった。

「人間的に幼かったので、目配り、気配りもできず、自分のことばかりになりがちで、心にも余裕がなかった。そういったことがなければ人間としての土台が築き上げられなかったと思うし、すごく(岩出監督に)感謝しています。(大学1~2年は)すごく小さな人間だった。最初はみんなそうだと思うし、そこから自分で気づいて、どう成長するかが大事。大学時代には、それをすごく気づかせてくれたのが大きかった」

姫野は高校時代までの自分を「(NO・8として)自分がやりたいプレーしかしていなかった」と振り返る。それを察した岩出監督は、姫野を我慢強くFW第2列のLO(ロック)でプレーさせ、タックルや接点といった泥臭いプレーやボールを持っていないときのプレーなど姫野に足りないプレーの重要性を叩き込んだ。心身ともに大きくなった姫野は大学3年になると岩出監督にまったく怒られることはなかったという。そして4年時は、大学選手権の決勝に先発LOとして出場し、帝京大学の8連覇に貢献した。

帝京大時代から姫野和樹の太ももはずば抜けて太かった(アフロ)

社会人1年目でいきなり主将に抜てき

名門・トヨタ自動車に入社すると、5月にいきなりチームのキャプテンに指名された。2007年W杯で南アフリカを優勝に導いたジェイク・ホワイトHCが就任し、「帝京大出身の選手は勝ち方を知っている」とチームの起爆剤として抜擢した。

トップリーグで開幕から先発出場を続けてそのポテンシャルは花開き、同年11月、強豪・オーストラリア代表戦で代表デビュー。その試合でトライも挙げて、トップリーグ新人賞も受賞、さらにサンウルブズに選出された。日本代表のジェイミー・ジョセフHCが率いた2018年のサンウルブズでは11試合に出場した。

「サンウルブズの経験はすごく大きかった。毎週、毎週、最高のレベルで試合ができて、自分の強みのボールキャリーに磨きがかかったし、ブレイクダウンの部分でもかなり絡む場面も多く出てきたし、強いタックルができるようになった。社会人になった当初とは別の選手になっているんじゃないですかね? 今は自信満々です」

日本代表でもリーダーのひとりを任される存在となった姫野は、大学卒業時はまだ少年のような面影が残っていたが、すっかり青年の顔となった。キャプテンやリーダーという役職が姫野を育てたのだろう。

姫野の進化を近くで見ていたPR稲垣啓太は、「プレーで引っ張ってくれる。彼が勢いをつけてくれるとチームがスムーズに運びます。言葉でもチームに勢いを与えられるので、彼の存在はチームにとって大きい」と細い目をより細めた。

「ここ数年、自分もチームも鍛えに鍛えてきました。あとはそれを出すだけですが、出し切った末に自分にもチームにもどういった結果が待っているかすごく楽しみ。フィジカルの部分では絶対に負けないことを意識してやりたい!」

姫野は今大会でブレイクし、野球で世界的にブレイクしている大谷よろしく、ラグビー界の枠を超えたスター選手をめざす。

埼玉県行田市の「田んぼアート」であしらわれるほどの注目株。左端が姫野和樹、中央がリーチマイケル主将、右は田中史朗(アフロ)
姫野和樹は帝京大の先輩・中村亮土の肩を抱き、開幕戦勝利を喜ぶ(撮影:渡部薫)
  • 取材・文斉藤健仁

    1975年生まれ。ラグビー、サッカーを中心に、雑誌やWEBで取材、執筆するスポーツライター。「DAZN」のラグビー中継の解説も務める。W杯は2019年大会まで5大会連続現地で取材。エディ・ジョーンズ監督率いた前回の日本代表戦は全57試合を取材した。近著に『ラグビー語辞典』(誠文堂新光社)、『ラグビー観戦入門』(海竜社)がある。自身も高校時代、タックルが得意なFBとしてプレー

Photo Gallary5

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