「もちろん勝ちたい」。アイルランド戦に先発する38歳の生き様 | FRIDAYデジタル

「もちろん勝ちたい」。アイルランド戦に先発する38歳の生き様

リーチ主将不在のチームに、トンプソンが欠かせない

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20日のロシア戦に後半から出場した日本代表・トンプソンルークが突進
20日のロシア戦に後半から出場した日本代表・トンプソンルークが突進

日本代表史上初めて4度目のワールドカップ(W杯)ピッチに立ったLOトンプソンルークが28日のアイルランド戦の先発が決まった。W杯出場12試合目となり、華麗なステップで一時代を築いた名WTB小野沢宏時に並び、最多タイ記録。20日のロシア戦後、トンプソンはこう明かしていた。

「(W杯は)全部の試合、簡単じゃない。それでもボーナスポイントをとって勝ったからうれしい。自分の仕事に集中してみんな(を)リラックスさせたかった。今日のファンは素晴らしかった。めっちゃいい雰囲気。選手はみんな(仲間やファン)のためにすごい頑張りたい。アイルランドにはもちろん勝ちたい」

グループリーグ最難関となる一戦に主将のリーチマイケルが先発しない。だからこそ、歴戦を潜り抜けてきた38歳の男が頼みの綱だ。金星をあげた南アフリカ代表戦も含め3勝をあげた前回2015年のW杯でも中心選手。その南アフリカ戦の試合中、トンプソンは円陣の中で「歴史を変えるの、誰よ?」と問いかけ、仲間の心を震わせ、苦しい場面でもあと一歩を踏み出させる原動力となっていた。

「僕の仕事はラグビー。チームが勝つことを助ける。このチームでベスト8という新しい歴史を作りたい。ベストなプレーができればチャンスがある」

ニュージーランド出身のトンプソンは、出場機会を求めて2004年に三洋電機(現パナソニック)に入るために来日。その後、2006年に東大阪市の花園ラグビー場を本拠地とする近鉄ライナーズへ移籍。大阪の水が合っていたようで、外国人初のキャプテンも経験。なんと現在まで13年間、在籍している。

3人の子どもとニュージーランド出身の奥さんがいるが、お好み焼きの「モダン焼き」が大好物のトンプソンは2010年には日本国籍も取得。関西弁も流ちょうで、34歳の2015年ワールドカップ後はこう代表引退を宣言した。

「すごくプライドを持って戦うことができました。(W杯)準々決勝には進出できなかったけど、新しい歴史を作ることができた。今日で僕は代表引退です。ちょっと寂しいですけど、僕の最後のテストマッチでした。僕はおじいちゃんだから無理です」

しかし2年後の6月、アイルランド代表との試合で、日本代表にラインアウトやスクラムなど、セットプレーの要のひとりであるロックにケガ人が続出する緊急事態に……。日本代表を率いるニュージーランド出身のジェイミー・ジョセフヘッドコーチ(HC)の「SOS」信号に、経験豊富なトンプソンが応えた。

「『1週間だけ(お願い)』と(ジョセフHCから)電話がありました。日本代表は特別なチームです。難しい判断だけど、簡単な判断でした。日本代表を助けたい。(招集されて)めっちゃ、うれしい。日本代表に来たら、ベストを尽くすのは当然。僕の仕事をするだけ」と気合いを入れて臨んだ。

当時36歳ながらも、なんと80分間のフル出場。タックル数は両チーム合わせても断然トップの24回と、もっとも身体を張った選手となった。試合後、敵将も「精度の高いタックルは存在感が大きかった」と言えば、ジョセフHCも「トンプソンは年を取り過ぎてプレーできないという声もありましたが、今日のパフォーマンスで世界レベルのロックだということを示してくれた」と称えた。

まだまだインターナショナルレベルで活躍できることを証明したが、当時は、その後の日本代表活動に関しては消極的だった。

「日本には若く、才能のあるロックもいる。私は36歳だし、今回かぎり(の代表復帰)です。『Never say never(絶対ないとは言えない)。誰もいなかったらやるかもしれないけど」とわずかながら含みも残した。

この試合後、トンプソンは日本代表活動に参加することも、日本を本拠地とするスーパーラグビーチーム「サンウルブズ」でプレーすることもなかった。

しかし、2019年のW杯イヤーに入ると、有力選手は日本代表活動を優先し、他にもケガ人が出た。そのため、日本代表のコーチで、サンウルブズの指揮官でもあるトニー・ブラウンはトンプソンに電話をかけた。

トンプソンもサンウルブズで活躍すれば、わずかに日本代表の復帰の可能性があることもわかっていた。実は昨年、6月の日本代表対イタリア代表戦を見入っていたトンプソンの妻から「(もう一度、日本代表の桜のジャージーを着て)やりたいの? 本当にやりたいなら、いつも応援している」と言われ、トンプソンは「そのときから、(日本代表復帰を)考えていた」と語る。

「身体も動く。大きなケガをしてないので大丈夫」とトンプソンはサンウルブズ入りを即決した。ただ、妻から「もし『応援している』と言われなかったら、絶対、代表復帰はなかった」と振り返る。3人の子どものいる家庭で、妻の理解は必要不可欠だった。

「日本は僕の国」

2015年W杯。トンプソンルーク(左)は代表引退を決めていたが、3勝しても決勝トーナメントに進めなかった悔しさをにじませた(アフロ)
2015年W杯。トンプソンルーク(左)は代表引退を決めていたが、3勝しても決勝トーナメントに進めなかった悔しさをにじませた(アフロ)

2月から始まったサンウルブズの試合で、トンプソンは日本代表入りを目指して猛アピール。当初は「サンウルブズの選手だから」とさほど興味を示していなかった日本代表のジョセフHCも心変わりをし、6月の宮崎合宿の日本代表候補に招集した。

「トンプソンは強くて不屈の精神を持った選手だ。他の選手の手本になるような行動をする模範的な選手です。若くないが、サンウルブズで非常にいいプレーをしてくれた。そこを評価して、今回の決断にいたった」(ジョセフHC)

そして7月、8月のテストマッチでもラインアウトや接点でしっかり働き、チームに必要不可欠な選手であることを証し、見事、4度目のW杯出場の切符を手にした。20日のロシア戦で、日本代表として初めて4度出場した選手となり、日本代表のW杯最年長出場記録も更新した。

そんなトンプソンにとって、今回のW杯は特別な大会である。すでに、今シーズン限りで現役を引退することを決めており、母国で農場の経営をするというセカンドキャリアを描いている。

「4回目のW杯は信じられへん(苦笑)。前回大会より、顔がぶつかって、不細工前になった(苦笑)。W杯は毎回、めっちゃ、楽しみ。(今回は)日本で、アジアで初めてなので本当にすごく楽しみ! ただこの大会が絶対最後のW杯。(今年度は)最後のラグビーシーズンだから、ちょっと特別(な大会です)。ラストチャンスはすごいいい結果残したい」

「日本代表にすごく誇りをもっている」トンプソンに桜のジャージーの重みを聞くと「日本代表のジャージーを着たら、出身は関係ない。チームメートは兄弟です。顔違うけど、日本語あまり上手くないけど、日本は僕の国です。チーム、家族、日本のために戦うのが僕のモチベーション。僕の心は日本にある」とキッパリと言った。

今大会こそ、正真正銘、トンプソンが日本代表のジャージーを着てプレーする最後の大会となる。16年、日本に住んで、日本を、そして東大阪市をこよなく愛するロックの勇姿を見逃すな。

  • 取材・文斉藤健仁

    1975年生まれ。ラグビー、サッカーを中心に、雑誌やWEBで取材、執筆するスポーツライター。「DAZN」のラグビー中継の解説も務める。W杯は2019年大会まで5大会連続現地で取材。エディ・ジョーンズ監督率いた前回の日本代表戦は全57試合を取材した。近著に『ラグビー語辞典』(誠文堂新光社)、『ラグビー観戦入門』(海竜社)がある。自身も高校時代、タックルが得意なFBとしてプレー

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