引退・ロッテ福浦 2000本安打達成の要因はイチローのモノマネ | FRIDAYデジタル

引退・ロッテ福浦 2000本安打達成の要因はイチローのモノマネ

また一人、球界に大きく貢献した選手が引退する。ロッテの安打製造機、福浦和也だ。幕張のレジェンドがファンに贈るラストメッセージ。

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埼玉県浦和市のロッテ二軍施設にて。福浦和也の通算安打数はちょうど2000本。二塁打が非常に多いのが特徴。中学硬式野球チーム「千葉幕張ボーイズ」のオーナー
埼玉県浦和市のロッテ二軍施設にて。福浦和也の通算安打数はちょうど2000本。二塁打が非常に多いのが特徴。中学硬式野球チーム「千葉幕張ボーイズ」のオーナー

「自分の中では2000本安打という区切りを達成して燃え尽きた感がありました。妻からも『もう十分やったんじゃない』と言われ現役を退く決心をしました」

「幕張の安打製造機」と呼ばれた千葉ロッテマリーンズの福浦和也(43)が、今季限りで引退する。プロ野球53人目の2000本安打を昨年9月に達成。首位打者一回、ベストナイン一回、ゴールデングローブ賞3回を獲得したレジェンドだ。

決してエリート選手ではない。習志野高校(千葉県)の投手だった福浦は、’93年のドラフトでロッテから最下位の7位指名。当初は、まったく注目されなかった。

「背番号は70でした。巨人との二軍戦でお客さんから『オマエ、(背番号の大きい)コーチか!』とヤジられたこともあります。投手として入団しましたが身体がまったくデキていなかったため、すぐに肩と肘を痛めてしまった。シーズンが開幕しても二軍のベンチにさえ入れず、毎日走り込みと体幹トレーニングばかりやっていました」

転機は、二軍打撃コーチの山本功児氏(故人)の一言だった。

「昼休みに『ちょっと打ってみろ』と言われたんです。高校時代からバッティングはワリと良かったこともあり、軽い気持ちでマシンのボールを振り抜くとライトスタンドへ鋭い当たりを連発。それからというもの、山本さんからはことあるごとに『バッターに転向しろ』と言われました。自分は投手がやりたいので上手くかわしていたのですが、遂に醍醐猛夫二軍監督からも転向を勧められ断り切れなくなったんです」

プロに入ってからの転向で、他の野手に後れをとっていることは歴然。起きている時間は、ほとんど練習にさく日々を送る。

「全体練習の前に朝練の特打、試合後は特守、寮に帰ってからも素振り……。誰よりも練習をしていた自信はあります。夜中の3時頃までマリンスタジアムでトレーニングをしていたため、『深夜のトレーニング場から不気味な声が聞こえてくる』と妙な噂が広がったこともありました。生き残るために、ガムシャラにやるしかなかったんです」

レパートリーはクロマティからケン・グリフィーまで

福浦は二軍で実績を残し4年目に一軍へ昇格。レギュラーの座を掴むと、5年目の’01年に打率.346を記録し首位打者となる。打者として成功のキッカケはモノマネだった

「子どもの頃から、巨人の吉村偵章さんやクロマティなど、格好いいと思った左打者の構えをよくマネていた。プロに入ってからは、イチローさんやメジャーリーガーのケン・グリフィー・ジュニアを参考にしました。大打者のマネをすることで、バッティングの良い部分を取り入れることができます。特に、構えたときのトップ(両手)の位置を参考にしました。左肩より後ろの深い位置に持ってくることで、バットが出やすくなったんです」

実績を残している選手に、打撃技術を貪欲に聞きに行くこともした。

「オールスターゲームや普段の試合前の練習時に質問をしました。稲葉篤紀さん、小笠原道大さん、松中信彦さんなど素晴らしい左打者に『どんな感覚で打っているのですか、どこを意識しているんですか?』と尋ねると、みな親切に話してくれました。稲葉さんからは、『構えのときに左の臀部を意識するように』と教わりました。軸足に集中することで、バットが振りやすくなるんです。それからは構える前に、お尻を手で叩いています」

イチロー選手のアドバイスは今でも忘れない。

「『打つ時に最後まで胸はピッチャーに向けるな』と言われました。早く体を開いてしまったらバットを後ろに残せないため、いい当たりが打てないということだと思います。その時はチームメイトの黒木知宏さんに連れられてイチローさんと食事をしていたのですが、ホテルに戻ってからすぐにメモをしたのを覚えています」

現在はロッテの二軍打撃コーチを兼任している。指導者として心がけていることは、“教えない”ことだ。

「一人一人の体格が違うように、それぞれの持ち味を生かす指導をしたい。私からああしろ、こうしろとは言いません。選手が悩んでアドバイスを求めに来た時に、的確な助言ができるよう見続けていたいと思っています」

今では、若手から“マネされる”存在だ。

  • 取材・撮影桐島 瞬(きりしま・しゅん)

    ジャーナリスト。’65年、栃木県生まれ。プロ野球から原発問題まで幅広く取材。『FRIDAY』『週刊プレイボーイ』など雑誌を中心に活躍している。

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